🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2022年4月27日 コルシカ島(フランス解放戦線🏳🌈㉟)
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最終更新日:2023/06/14
シニアバックパッカーの旅
中高時代の世界地理でサルジニアとコルシカを知ったが、何が違うのか今もよくわからない。コルシカ人民解放戦線がついこの前までテロ活動をしていたとか。中央と比しての経済格差による不満だろう。シギリアロックを旅した時ガイドは、あの楽しそうな女性達はタミル人ですよと、メディアが書き立てるタミルの虎など誇張しすぎだといっていたことを思い出す。不公平な津波義援金配分に対する怒りのテロで、民族対立でもなんでもない。
両島ともリビエラ高級リゾートと比して、遅れているのだろうが、私が泊まった民泊のオーナーは粋で客室づくりをたのしんでいた。観光地も格差はあるから、マスコミがかきたて、それにつられた観光地域興の幻想には気をつける必要はある。
イタリアのフェリー乗場では青空チェックイン。グリーンカードつまりワクチンパスポート、旅券、セキュリティのチェックがあった。マスクは必須。チケットはバーコード。コロナでデジタルが進んだのだろう、1€の水を買っても、カード払いが可能。この一週間現金を要求されたことは数えるほど。観光政策とは、Gotoなどプロモーションではなく、EUのように感染対策を機としたデジタルなのであろう。イタリアからフランスへの入国は全くのノーチェック。フランスからの出国は、旅券と搭乗券だけ。ターミナルはあるが、閑散としていた。準備したPassenger Locator Formはみられなかった。復路の船内はマスクしている者は皆無で、若者はテーブルを囲んで茶話会。フェリーでのイタリア入国も全くのノーチェック。ローカルルールかもしれないが拍子抜け。アルゲヒロの公園売店でマスクをしておらず厳しい注意を受けたから、個人差の方が大きい。そういえば日本でも他県ナンバーに意地悪をした輩がいた。
フェリーから両島がみえる。スマホのパノラマ機能の写真で撮影。昔の日本なら政治家は直ぐに架橋をいいだすが、私の乗った船は往路は乗客12名、車2台、バイク3台。復路は乗客63名、車は把握できなかったが10台は超えていたものの、流動量は、圧倒的にたりないか。
コルシカはボニファシオのマリーナ、ボースンが出帆準備に余念がない。神戸海運監理部時の職員のヨットでヒタヒタと向かった家島航海や、免許試験対策のため淡路沖で繰り返した、船舶のその場回転の練習などを急におもいだした。船は結構面倒なもので、これを趣味にする人を尊敬する。写真の高台を観光。昔はここが外敵防衛には最適だったろう。二時間で散策終了。12時半の船がいたが、会社が違うからと、変更できない。瀬戸内海なら共同運航しているのに。三時間近くターミナルですまほをいじくりながら過ごす。
サンタテレサガウリアからオリビア行きのバスは5時55分出発後直ぐに事故渋滞。途中の海岸に高級リゾートがあり、ダイアナ妃も愛用したとかだが、一時間半近く遅れてしまい、分からずじまい。船42€は最初に検討していたので、間に合うと判断し、フェリーターミナルでまず降車することにした。その次に空港まで間に合うなら、タクシー。最悪は明日の便7時、宿は空港そば六千円。
結果的にバス運転手が快調にカバーしてフェリーターミナルには9時到着。飛行機はゲートクローズが9時50分、ラジオタクシーを呼んでもらう。20€で9時25分に到着。やれやれ。
旅行準備資料
◎サルジニア・コルシカ間フェリー 往復36€
https://ichnusalines.com/en/
◎Bonifacio
フェリー乗船も航空機への搭乗と同様に相当前に到着しておくことが必要。フェリー便数も1日3便程度と多くないので、時間前のフェリー乗り場到着は必須。ボニファシオの海岸を離れるとすぐに対岸のサンタ・テレーザ・ガッルーラが見え始めますので、連続的な景観見学が可能。

コルシカ島面積は広島県と同程度と、地中海ではシチリア島、サルデーニャ島、キプロス島に次いで4番目に大きく、人口は約30.2万人。ナポレオン1世の出身地、1980年代にはコルシカ民族解放戦線(FLNC)が活動して爆弾テロ事件を頻発させていた。FLNC は、 コルシカ島の分離独立を主張する集団。フランス本土での活動は低調。 コンカルタナジウナリスタは、しばしば組織の政治部門であると考えられる。FLNCの典型的な過激な破壊活動としては、公共施設、銀行、観光施設、軍事施設、あるいはその他フランス本土を象徴するものに対する爆弾を用いた襲撃が挙げられるが、その他にも民間人に対する暴行、銀行強盗 、いわゆる「 革命税 」の民間企業に対する強要などを引き起こした。襲撃は通常、建物や島の社会基盤に対して行われるが、度々特定の個人をも標的にする。1998年のClaude Érignac殺害がその代表例である。フランス本土における騒擾事件は、そのほとんどがニース、マルセイユ、アビニョンまたはその周辺地域で発生したものである 。2014年には武力闘争の中止を発表し、2016年に再びその方針を確認した。それにもかかわらず、これまでに多くの小規模なシスマが出現し、依然として活動を続けている。
観光はシーズン期が7月と8月のみで、また近隣にフランスの大陸本土南岸のコート・ダジュールやスペインのバレアレス諸島にあるイビサ、イタリアのリグーリア海岸など国際的リゾート基地に囲まれており、激しい競争にさらされている。サービス業はスーパーマーケットなどの小売業の他、運輸・公務関係者が圧倒的に多い。島内の都市間を結ぶ交通はアジャクシオ、バスティア、コルテ、カルヴィを連絡するコルシカ鉄道があるものの便数は決して多くなく、ほかに1日に1、2便しかない都市間路線バスもあるが、それ以外には公共交通機関はない。よって、島内の移動には、自動車(レンタカー)による移動、タクシーの利用が交通機関利用よりも便利で効率的である。島内には国道193、194、196、197、198、200号線があるが、高速道路はない。国道の道路事情は極めて悪かったが、1990年代以降は徐々に改善されている。
コルシカ鉄道は現在、二つの路線がある。一つは島の二大都市であるアジャクシオ(Ajaccio)とバスティア(Bastia)を連絡する路線で、途中でコルシカ島唯一の大学がある小都市コルテを経由する。もう一つの路線は、アジャクシオ―バスティア線の途中にあるポンテレッチャ(Ponte-Leccia)から島の北西部にある小都市カルヴィまでを連絡する路線である。コルシカ鉄道はほとんど単線で山岳部では駅間距離もあり、また列車がすれ違うための施設もないので、本数は少ない。 アジャクシオ―コルテ―ポンテレッチャ―バスティア間は一日4往復(日曜・祝日は2便)。6時台および8時台にアジャクシオとバスティアを発車する2便と、15時台および16時台にそれぞれの駅が始発となる午後の2便がある。バスティア―アジャクシオ間の所要時間は3時間30分程度。島内の船舶や航空機との接続はない。
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