角川文庫『ペリー提督日本遠征記』(Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan)
本書を読んだことはなくても、題名を耳にした人は数多くいるであろう。私もその一人であったが、図書館で取り寄せて上・下二巻を一気に読んでしまった。原題は、Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japanとなっているから、中国と日本が対象である。アメリカ東海岸から出発して、マディラ島、ベルデ岬、ガンビア、セントヘレナ島、アフリカの喜望峰、モーリシャス、セイロン、シンガポール、マカオ、香港、上海を経て那覇、浦賀、下田、函館を訪問している。マディラ諸島、ベルデ岬、ガンビアはコロナがなければ昨年訪問する予定のところであった。
ペリー提督は、遠征する前から記録を重視しており、乗組員の選抜時点でその記述能力も考慮していた。乗組員に記録をとらせるととともに、外部への発表も制限していた。遠征記自体もFLフォークスという友人の専門家に編纂を依頼しているから、冒頭の序論を読むだけでも、当時の日本を知る大きな手掛かりを与えてくれる。
内容は多くの研究者が論評しているところであるから、素人の私が口を出せるものではないが、シーボルトに関わる部分は興味深いものがある。西田正憲氏の博士論文の要約『瀬戸内海の発見 意味の風景から視覚の風景』は、シーボルトの観察によるところも大きい。そのシーボルトのイメージが、ペリー提督日本遠征記では、ロシアと密接な関係があったことなど、別の側面も存在したことが記述されている。ペリーはシーボルトが強く希望した乗船を拒否している。観光概念はペリーの時代存在していたと思われるが、遠征記では、香港等における記述につき、原文でのvisitorを観光客と訳している。しかし、訪問客の方が適切であろう。また、sight-seerは遊覧者と訳されている。中国滞在中、疫病の記述をしている。マラリア防止の民間俗説が紹介されているが、当時の航海は疫病対策が大変であったことがうかがえる。日本の衛生状態を評価しているのも、その裏返しの意見なのであろう。
小笠原諸島に関して、日本人がボニンアイランドの発見者であることは間違いはないが、のちに放棄したのであろうと記述している。英国が、領有の意思確認のため銅板を機にうち付けていったが、住民はいかなる政府もみとめず、外国の統治は必要がないとしている。琉球の記述も詳しい。日本政府が要求を拒むなら、大琉球島を米国監視下に置く準備がなされていたことが記述されている。沖縄での、米国人随員が現地人に殺害された事件に関しては、琉球の刑事裁判を優先させることが記述されており、現在の米軍兵士の犯罪処理よりも進んでいるから驚きである。国際法を順守して日本を開国に導こうとしているペリーの思想があらわれている。吉田松陰の密航希望に関しても、日本の法律を破ることになり、厳正に拒否している。日本ほど制定法や諸細則が何一つ見逃すところがなく整備されて、徹底的に施行されている国はないと、遠征記は記述
日本の道路は、全国的に素晴らしく、沿道には公衆トイレが設置されていると記述する(肥料収集のためであることは認識されていない)。日本人の役人の聖職者に対する態度は丁重であったが、ローマカトリック教には根深い嫌悪感を抱いている。日本人は観察が鋭いので、いつの日か新教との違いを理解するのは間違いがないと記述している。私は、当時のアヘンは、純度が低く、それほど劇薬ではないという印象を持っていたのだが、遠征記では、アヘン吸飲者の恐るべき末路ほどおぞましいものはないとの記述がみられる。
関連記事
-
QUORAに見る観光資源 日本から出たことがないのでわからないのですが、日本は本当に治安が良いのですか?松本 貴典 (Takanori Matsumoto),
日本から出たことがないのでわからないのですが、日本は本当に治安が良いのですか?松本 貴典 (Tak
-
『休校は感染を抑えたか』朝日新聞記事
https://www.asahi.com/articles/ASP6J51TNP6CULEI0
-
『昭和史』岩波新書青本 恐慌の影響で、朝鮮人(日本国籍がある)の満州移住が増加したが、中国側は日本の手先と見て敵視 奉天の柳条溝で満州事変 この頃からメディアも変わる
26年と30年を比較すると中国(満蒙含む)の輸出入貿易額に占める対日貿易額の占める割合は低下した
-
保阪正康氏の講演録と西浦進氏の著作物等を読んで
日中韓の観光政策研究を進める上で、現在問題になっている「歴史認識」問題を調べざるを得ない。従って、戦
-
中国文明受入以前は、藤貞幹は日本に韓風文化があったとする。賀茂真淵は自然状態、本居宣長は日本文化があったとする。
中国文明受入以前は自然状態であったとする賀茂真淵、日本文化があったとする本居宣長に対して、藤貞幹
-
シャマニズム ~モンゴル、韓国の宗教事情~プラス『易経』
シャーマン的呪術は筮竹による数字と占いのテキストを使った方法にかわった。このことにより特殊能力者でな
-
書評『山形有朋』岡義武 岩波文庫
p.208- 晩年とその死 世界戦争に関し、米国の対日態度は懸念される。ドイツの敗戦が必ず
-
『徳川家康の黒幕』武田鏡村著を読んで
私が知らなかったことなのかもしれないが、豊臣家が消滅させられたのは、徳川内の派閥攻勢の結果であったと
-
『ヒトはこうして増えてきた』大塚龍太郎 新潮社
p.85 定住と農耕 1万2千年前 500万人 祭祀に農耕が始まった西アジアの発掘調査で明らかにさ
- PREV
- 『MMT現代貨幣理論入門』
- NEXT
- 『飛躍への挑戦』葛西敬之著