コロニアル・ツーリズム序説 永淵康之著『バリ島』 ブランドン・パーマー著『日本統治下朝鮮の戦時動員』
「植民地観光」というタイトルでは、歴史認識で揺れる東アジアでは冷静な論述ができないので、とりあえずコロニアル・ツーリズムと題して記述してみた。英国では未だに大英帝国圏内の国によるオリンピックを実施している。フランス植民地でのコロニアルホテルが人気を博している。これに対して、韓国では、朝鮮総督府を移設せず破壊しており、朝鮮ホテルも跡かたもない。台湾では日本時代の施設が観光資源化してきている。中国では、歴史認識の問題もあるのか、史跡は保存しているが、評価は別である。これを観光施策の視点から整理して論じることができないかと考えている。
コモンウェルスゲームズ(Commonwealth Games)は、イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会である。オリンピック競技のほか、英連邦諸国で比較的盛んなローンボウルズ、7人制ラグビー、ネットボールなども行われる。主催はコモンウェルスゲームズ連盟。日本語では英連邦競技大会(えいれんぽうきょうぎたいかい)と称する。
ガーンジー、ジャージー、マン島などの王室保護領を含め、多くのイギリスの海外領土からも出場がある。オーストラリア領のノーフォーク島、ニュージーランドと自由連合関係にあるクック諸島やニウエも個別のチームとして出場している。
2006年の大会に向けてコーンウォールを独自チームとして出場させようという動きがあったがこれは認められなかった(Cornwall Commonwealth Games Association)。
参考書
永淵康之「バリ島」講談社新書
ポストコロニアルなどと呼ばれる状況の中で、今われわれは芸術や文化全般に対する見方の転換を様々な形で迫られている。かつてわれわれが当然のこととして受け入れていたものの見方や価値観の中に、知らず知らずのうちに統治国が植民地に向けるまなざしが刷り込まれていることに、否それどころか、統治されている当の植民地の人々自体がそういうまなざしをすすんで共有する「共犯者」の役割を果たしていたりすることに気づいて愕然とすることがある。
「神々の島」、「芸術の島」などと呼ばれ、その楽園ユートピア的なイメージで多くの観光客を引きつけてやまないバリ島であるが、本書はそんなバリ島のイメージそのものがまさに植民地主義的な状況の中で西洋人の側の視点から形成されていった過程を、1931年にパリで行われた国際植民地博覧会と、1937年にアメリカでベストセラーとなったミゲル・コバルビアスの『バリ島』の出版という二つのできごとを軸に、見事に説き明かしている。
われわれは何かにつけて、文化の正統性とか、由緒正しさとかいうことを語りたがる。そして、そういう「ホンモノ」の文化を大切にし、「マガイモノ」を排除することこそが文化的な営みだと無意識に思ってきた。本書を読むと、そういう一見正統的な「ホンモノ」にみえるようなあり方が実はしばしば食わせ物だということをいやというほど感じさせられるのであるが、そういう正統性の「神話」の中で、当の被支配者であったバリ島の人々までもがそういう支配者側のイメージを内在化させて、そういう「外」との関わりの中で自己の文化を形成してきた歴史を考えるとき、問題はそういう「神話」を解体することによって真実が明らかになるというような単純なものではなく、文化というものはそもそもそういう「外」との関わりの中で形成されるものだという認識から出発してものを考えることこそが求められているということに気づかされるのである。
そう、ことはバリ島だけ、狭い意味での植民地主義にかかわる事態だけにとどまるのではない。パリのシャンソンだって、ウィンナワルツだって、否ありとあらゆる芸術文化のあり方はそういう「外」との関わりのうちで、そこにはたらく様々な力関係のなかで形成され、何らかのアイデンティティを獲得するにいたったものであるにちがいないのである。そういうまなざしのもとにあらためて見直してみることによって、われわれの見慣れた対象が全く別の光を放ちはじめる、芸術をとりまく、そういうもう一つの世界があることをこの本はわれわれに教えてくれるのである。
ジャワを支配していたオランダは、19世紀末に北バリ支配を、1908年に全島支配を実現し、武力介入以前にオランダの統治権を認めたスカワティ家やカランガスム王家等は、植民地エリートとして発展した。オランダは支配の正当化のために、バリの「本質」をヒンドゥー的社会、平等な宗教的組織としての村落から成る社会として規定した上で、イスラム支配を免れたバリのヒンドゥー文化の保護、専制君主に対する村落の保護を掲げ、その理念をもとに機能的な統治体制を組み立てた。植民地政府と深い関わりを持つ芸術サークルの指導者モーエンは、バリの美学性・非西欧性・宗教性を強調し、「ジャワで失われたヒンドゥー的世界」をバリで維持しようとした。それは西欧的教育を受けた反植民地運動家への弾圧(ジャワのイスラム系ナショナリストとバリの切断、官僚化した旧王家の復活を通じた間接統治への移行)、バリ人の「バリ化」、観光開発(バリ文化の見世物化)政策と結び付いていた。他方ハーレム黒人運動や米国文化人類学と密接な関係を持つ、メキシコ人イラストレーター・コバルビアスは、ベストセラー『バリ島』(1937年)で、生活・宗教・芸術が一体化したバリ文化を商業主義や植民地主義から守る必要性を説いたが、それはオランダ語文献に依拠していたために、バリ社会の近代化への動きや植民地主義の分析を捨象し、「西洋が失った世界」を理想化し、「不変の伝統文化」にバリ島を固着させる新たなステレオタイプの創出を帰結し、彼自身そのイメージを用いた商品をニューヨークで売り出した。バリ人自身も資本主義への参加要求からそうした西洋的視線を自ら取り込み、自身の「伝統」の捏造に力を貸した。こうした戦間期の状況の中で初めて、現在流通しているバリの姿が実体化されていったのだと著者は主張する。
日本統治下朝鮮の戦時動員 草思社 ブランドン・パーマー
総督府の弱さ、人々の主体的な選択――通説とは異なる実相
パーマー教授はこのような厳しい研究環境のなか、日中戦争・太平洋戦争下朝鮮の戦時動員(志願兵制度・徴兵制度・労務動員=徴用)の実態を検証するという難題に挑み、英語・ハングル・日本語の膨大な資料を読み込み、ときに韓国系米国人指導教授とのあいだで意見の対立を見つつ博士論文(於ハワイ大学)を執筆、その論文をもとに本書を上梓しました。教授のこの研究は日韓のいずれかに与するためのものでないことは強調しておくべきでしょう。すなわち、あくまでも公正な視点からのアプローチだということです。そうやって得られた研究成果から見えてくる実相は、人的資源の育成や戸籍制度の整備が後れていた朝鮮総督府は動員に気乗り薄だったこと、戦況の悪化により動員やむなしとなると、まずは法律をととのえ、実施に際しては朝鮮の人々に協力と承諾を求めたこと、一方、朝鮮の人々は協力するか否かを自らの意思で積極的に決定できる立場にあったことなど、悲惨一辺倒で語られる「動員体験」とは明らかに異なります。ロビンソン教授は序文で、本書を「植民地研究の新しい潮流の訪れを象徴するもの」と評していますが、これを嚆矢として、事実に立脚した動員研究、統治史研究がいっそう進むことを期待してやみません。
朝鮮ホテル
1910年から行うれた韓国併合により、朝鮮半島を直接統治した日本の朝鮮総督府は、首府の京城府(現在のソウル)に日本や諸外国からの貴賓客に対応できる宿泊施設の整備を構想した。その後計画は本格化し、朝鮮総督府鉄道の京城駅からほど近い中心部の丘の上にあり、かつて大韓帝国の皇帝が祭礼を行った圜丘壇であり文禄の役で宇喜多秀家の陣地でもあったエリアに建設することを決定し、圜丘壇の一部を取り壊し建設を進め、1914年10月10日に朝鮮半島初の西洋式ホテルである「朝鮮ホテル」が開業した。ユーゲント・シュティール様式に朝鮮趣味を加味した地上4階地下1階レンガ造りのホテルで部屋数は72。朝鮮総督府鉄道局が総工費84万2800円(当時)をかけて建設し、設計は日本で活動していたプロイセン出身のユダヤ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデ、施工は清水組があたった。
同ホテルは朝鮮総督府鉄道の付属施設として位置づけられ、日本によって多くの技術やノウハウが持ち込まれ、朝鮮半島で初のエレベーターが設置された建物となったほか、朝鮮半島で初のアイスクリームも提供された。その後は東京の帝国ホテルや京都の都ホテルなどと同様に、朝鮮半島の迎賓館機能も兼ね備えたホテルとなった。
その後1937年に勃発した日中戦争や、1941年に日本も参戦した第二次世界大戦下においても同ホテルは通常通りに営業を続け、ソウルを訪問した日本をはじめとする各国の要人から利用された。
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