*

江戸時代の交通事故

公開日: : 最終更新日:2021/08/05 出版・講義資料

交通事故は、自動車の登場以前にもあった。江戸時代にも、大八車や牛車、馬車などの“クルマ”があったからだ。これらは、さまざまな物資の輸送に欠かせない一方、江戸市中で交通事故を引き起こし、江戸の町の深刻な問題となっていた。
のんびりと動きそうな大八車や牛車ではあるが、大八車は坂道では思わぬスピードがつくし、牛や馬は突然、暴走しかねない。しかも、江戸の道路は、大八車や牛車、馬車で、たえず混雑していた。1701年(元禄14年)の時点で、大八車が2239両もあったうえ、江戸の通りはごく狭かった。勢いのついた大八車が狭い道を走り、逃げ場のない人をひくというケースが少なくなかったのだ。そこで幕府は、大八車や牛車、馬車に交通規制をかけた。現代の道路交通法とよく似ていて、その内容は、車間距離の設定や荷物の積載量制限、狭い路地での駐車禁止など多岐にわたる。
もっとも規制をかけても、交通事故はいっこうに減らなかった。そこで幕府は交通事故をついに“犯罪”と考えるようになった。1716年(正徳6年)、交通事故で人の命を奪うと、流刑にすることを決めたのである。
それでも、事故が減らなかったため、八代・吉宗時代の1742年(寛保2年)には、さらに重刑が課せられることになった。交通事故で人を殺した者は死罪、さらに家財を没収され、荷主にも重い罰金が課せられることになったのだ。

関連記事

『総選挙はこのようにして始まった』稲田雅洋著 天皇制の下での議会は一部の金持ちや地主が議員になっていたという通説が実証的に覆されている。いわば「勝手連」のような庶民が、志ある有能な人物(国税15円を納める資力のない者)をどのような工夫で議員に押し立てたかを資料に基づいて丹念にドキュメンタリー風に解説

学校で教えられた事と大分違っていた。1890(明治23)年の第一回総選挙で当選して衆議院議員にな

記事を読む

no image

『中国はなぜ軍拡を続けるのか』阿南友亮著

第40回サントリー学芸賞(政治・経済部門)受賞!第30回アジア・太平洋賞特別賞受賞! 何

記事を読む

ヒマラヤ登山とアクサイチン

〇ヒマラヤ登山 機内で読んだ中国の新聞記事。14日に、両足義足の、私と同年六十九歳の中国人登山

記事を読む

ウクライナ戦争の戦況集収から考える「情報」の本質 2022年7月 公研 嫌露、嫌米、アンチ公権力等の先入観が情報収集機会を減少

  2022年7月の「公研」で、クライナ戦争の戦況集収から考える「情報」

記事を読む

no image

小城鎮建設論

p.82 改革・開放が始まって暫くの間、「小城鎮建設論」 都市と農村の中間地帯=小城鎮を豊かにし、そ

記事を読む

保護中: 『植物は知性を持っている』ステファノ・マンクーゾ 動物と植物は5億年前に進化の枝を分かち、動物は他の動植物を探して食べることで栄養を摂取する「移動」、植物は与えられた環境から栄養を引き出す「定住」、を選択した。このことが体構造の違いまでもたらしたらしい。「目で見る能力」ではなく、「光を知覚する能力」と考えれば、植物は視覚を持つ

植物は「動く」 著者は、イタリア人の植物生理学者ステファノ・マンクーゾである。フィレンツェ大学国際

記事を読む

no image

非言語情報の「痛み」

言語を持たない赤ん坊でも痛みを感じ、母親はその訴えを聞き分けられる。Pain-o-Meter Sc

記事を読む

no image

虚数 四元数

https://youtu.be/ctj0GWhsykE

記事を読む

no image

ジャパンナウ観光情報協会機関紙138号原稿『コロナ禍に一人負けの人流観光ビジネス』

 コロナ禍でも、世界経済はそれほど落ち込んでいないようだ。PAYPALによると、世界のオンライン

記事を読む

no image

デジタル化と人流・観光(1)

通信の秘密が大日本帝国憲法及び日本国憲法に規定されていることもあり、長らく電気通信事業は逓信省、運

記事を読む

PAGE TOP ↑