『公共貨幣論入門』山口薫、山口陽恵
公開日:
:
最終更新日:2023/05/28
出版・講義資料, 路銀、為替、金融、財政、税制
MMT論の天敵
Amazonの書評(注 少し難解だが、言わんとするところは読み取れる)
佐藤優氏が「MMTを吹き飛ばす新しい貨幣理論」と評するだけあって、MMTの更に”左”を行く本書のテーマ「公共貨幣論」は急進的に信用創造廃止を訴える。
実は「公共貨幣論」とMMTはともに信用創造を金融危機の原因と見做し、その問題意識を共有している。ただし、MMTが統合政府を仮定し「中央銀行を頂点とした債務貨幣の階層構造と、政府支出による安定した信用創造で、民間銀行の不安定な信用創造を補える」とする点で、「公共貨幣」とは本質的に異なるそうだ。信用創造メカニズムへの理解は同じでも、それを許容するMMTに対して完全否定する「公共貨幣論」との図式だろうか。もっとも「公共貨幣論者」がMMTを銀行の手先扱いするあたりに理想に燃える学生左翼活動家を重ねてしまう。
興味を引くのは、同じ信用創造でもマネーの使途が民間投資だと政府支出よりもGDPが増えるとの考察。だから、激減する民間マネーを政府支出で補おうとしても経済を成長させることはできない。これが90年代以降はマネーストックを維持しても景気が上向かない理由かと納得。まるで赤字国債発行による政府支出を重視するMMTの盲点を突くかのようだ。また、100%準備で銀行が定期預金を原資に貸出すようになると、銀行のあり方もゼロから変わるはずだと思った。
この「公共貨幣」を実現しようとすると、国家に通貨発行権を委ねることへの抵抗や民間経済への影響もあり、簡単ではないだろう。それでも、本書が提起する信用創造への問題意識は理想主義的だと思った。果たして信用創造なき理想世界は来るのだろうか?
山口薫さんは異端の経済学者として知られる研究者。
本書は、2015年に出版された『公共貨幣』(東洋経済新報社)を引き継ぎ、より分かりやすく説明するとともに、今後の日本政府の施策に大胆な提言を行なったもの。
「公共貨幣」という概念は、現在の「債務貨幣経済システム」にとって代わるものとして想定されている。債務貨幣が資本主義と結びつき、経済的格差を広げていくものであるのに対して、公共貨幣を導入すれば、日本経済の再生が可能だと主張される。
現行の経済システムに対する批判の部分は、きわめて説得的で、納得のいくものであった。バブル崩壊後の「失われた30年間」による経済停滞は、このまま進めば確実に日本を滅ぼしてしまう。そのことが理論や数的指標によって明確に示されている。
ただ、公共貨幣がどこまで有効なのかは、本書だけでは充分には理解できなかったというのが、率直な感想だ。もう少し著者の主張をいろいろなところで確かめてみたい。
関連記事
-
-
『初期仏教』 馬場紀寿著
初期仏教は全能の神を否定 神々も迷える存在であるので、祈りの対象とならない
-
-
書評『我ら見しままに』万延元年遣米使節の旅路 マサオ・ミヨシ著
p.70 何人かの男たちは自分たちの訪れた妓楼に言及している。妓楼がどこよりも問題のおこしやすい場
-
-
『ざっくりとわかる宇宙論』竹内薫
物理学的に宇宙を考察すればするほど、この宇宙がいかに特殊で奇妙なものかが明らかになる。マルチバー
-
-
中国語の中の日本語(Chinese Borrowings from the Japanese Language) 陳 生保(Chen Sheng Bao) 上海外国語大学教授
中国語の中の日本語(Chinese Borrowings from the Japanese
-
-
人間ってなんなの?:チンパンジーの4年戦争【 進化論 / 科学 / 人 類 】タンザニア
グドール 道具を使うチンパンジーを発見 ジェーン・グドール(Dame Jane Morris Go
-
-
ブロックチェーンと白タク、民泊シェアリングエコノミー 『公研』2018.12.No.664 江田健二×大場紀章 を読んで考える
白タクや民泊は、絶えずその有償性が問われて、既存業界の攻撃の的になる。無償であれば全く問題がない
-
-
肥後交通グループの第2回オフサイトミーティングに参加して
チームネクストの番外の研修として、熊本県人吉市に所在する中小企業大学校研修室を使用して開催された、肥
-
-
『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』 (幻冬舎新書) 加谷 珪一
題名にひかれて、三田図書館で借りて読む。表題は営業用に編集者がつけたのであろう。先進国が消費拡大
-
-
『日本経済の歴史』第2巻第1章労働と人口 移動の自由と技能の形成 を読んで メモ
面白いと思ったところを箇条書きする p.33 「幕府が鎖国政策によって欧米列強の干渉を回避した
-
-
『雇用破壊』森永卓郎著 角川新書 2016年 その他
森永卓郎氏は直接面識はないは、海外留学後日本専売公社から当時のいわゆる天上りで霞が関に出向し、その