*

『富嶽旅百景』青柳周一 観光地域史の試み

公開日: : 最終更新日:2021/08/05 出版・講義資料

 港区図書館で借りだして読んだ。本書は、1998年東北大学提出学位論文がベースとなっている。外部から旅行者をはじめとする人々の流入を積極的に受け入れることで再生産を継続するタイプの地域社会の歴史的研究=「観光地域史」研究を提唱し、その成果は『富嶽旅百景-観光地域史の試み-』として上梓している。「観光地域史」としているが、私の印象では、観光政策論としても十分に通用し、なおかつ、近世の観光政策を論じたものとしても初めてのものではないかと思う。

 観光概念が発生していたかの判断は、何のために論じるかということにもなるが、「楽しみのための旅の大衆化」とすれば、まさに近世の富士参詣は大衆化の時期であったから、人流政策は観光政策ととらえることができる。政策と政策以外のもとを区別する要素は単純で、唯一「権力の行使」があるか否かである。権力基盤が確立した近世の時期、富士参詣を巡って、吉田村沿道地域等からたびたび当局に訴えが行われている。私法と公法が未分離な時代(現代でも単純な私法、公法の区分は否定されているが)、当局は何らかの判断基準により訴えを処理しているから、人流政策を行っていたと考えられる。

以下内容紹介

  参詣ルートの変化と統制 沿道での稼ぎが住民たちに大きな利益をもたらすのもであっただけに、ルートが変更して参詣客が通らなくなるようなことがあれば深刻な問題が生じることになったと記述(p.19)するが、空港や新幹線等現代の人流政策でも同じである。品川宿は、江戸から神奈川宿まで一気に海上を船で行くようになり、富士等へ向かう参詣客が減少したので「船往来」差し止めを町奉行に申し出ているから、まさに政策論議である。宝永4年富士山噴火により、参詣ルートに大きな影響が発生した。その災害復旧の過程で沿道利害集団が形成され、その都度当局に対して、参詣客集客に関し、優遇策と他地域の抑制策が訴えられている(p.36以下)。中世より存続してきた参詣者と御師(旅行手配士)の関係並びに御師と宿泊所の関係が、近世の参詣客の増大により大きく変化した。ITにより、旅行者と旅行業や宿泊業の関係に大きな変化が発生している現代にも通じるものである。独占禁止法的な発想がない近世であるから、仲間内での規則の制定は試みられているが、他地域との調整、御師と宿泊所の関係は民間だけでは処理しきれないものであるから、当局に訴えがなされることになる。

当局側の最大の関心は、災害時の参詣客の処理である。師檀・定宿関係を持たず来た参詣者は単独登山するため、遭難時等の処理が村役人には困難を伴うこととなる。そのための予防措置等が政策として講じられることとなったのである。また、よそ者である参詣客の増大は地域住民との利害が対立することがある。物価高騰、環境破壊は近世後期も現代も同様であり、私法領域だけではなく、まさに観光政策が求められる。

オリンピックを巡り前会長の女性蔑視発言が国際的な話題となったが、近世後期も女人禁制が大きなテーマであった。規制札が沿道に建てられていたから、行政の関与はあったはずであるものの、内容も理由も明確でない。女性に対する穢れ思想の存在は否定されているようでもあり禁制自体が曖昧である中、近世後期には女性参詣客が増大した。観光と無関係の地域住民は、悪天候の発生源としてのイメージを仮託して、排除を試みた(p.145)が、集落同士の競争もあり、禁制の弛緩化が進行した。1872年3月太政官布告第98号「神社仏閣女人結界の場所を廃し登山参詣を随意とす」により女人結界が解除された。政府からの税制上の措置を受けている相撲協会の方針は、相撲を神事と考えないのであれば理解できるが、神事とすれば布告の精神には反しているのであろう。

富士山頂の所属を巡り、静岡県と山梨県で見解がことなる。同書でも第3章をこの話題に充てている。公物管理ではなく私的財産権の問題で論じるのであれば、観光政策の出る幕ではないものの、近世後期の当局の関心事は、やはり遺体の処理責任者の決定であるから、現代風に理解すれば交通事故の県警の決め方の問題である。瀬戸大橋での交通事故の場合、岡玉県と香川県では、県境で区分せず、接近の便利なレーンをそれぞれ分け合っている。逆に言うと、近世後期も死骸処理の方法の判断事項として取り扱われており、決着するまで7年かかったようである(p.209明和・安永論争)。観光政策でいえば、よそ者のの取扱いに関し、どの行政組織の担当かということになる。現代の国境紛争のように、すべての法律事項を国境で明確に区分するというものでもないことである。

いずれにしろ、本書は近世における貴重な観光政策の材料を提供してくれており、観光研究者には必読の書である。

  

関連記事

no image

三灶島事件

「日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦」NHKスペシャル取材班、P344-35

記事を読む

no image

QUORA ゴルビーはソ連を潰したのにも関わらず、なぜ評価されているのか?

ゴルバチョフ書記長ってソ連邦を潰した人でもありますよね。人格的に優れた人だったのかもしれませんが

記事を読む

 動画で考える人流観光学 『ビルマ敗戦行記』(岩波新書)2022年8月27日  

明日2022年8月28日から9月12日までインド・パキスタン旅行を計画。ムンバイ、アウランガバード

記事を読む

『1964 東京ブラックホール』貴志謙介

前回の東京五輪の世相を描いた本書を港区図書館で借りて読む。今回のコロナと五輪の関係が薄らぼんやりと

記事を読む

『ヒトはこうして増えてきた』大塚龍太郎 新潮社

p.85 定住と農耕 1万2千年前 500万人 祭祀に農耕が始まった西アジアの発掘調査で明らかにさ

記事を読む

no image

高木由臣 公研2019.1月「ゾウリムシ研究でたどり着いた『私の生命観』」

生命とは死なないのが本来の姿であり、死ぬことができるように進化した どうして? どのように?

記事を読む

no image

『ミルクと日本人』武田尚子著

「こんな強烈な匂いと味なのに、お茶に入れて飲むなんて!」牛乳を飲む英国人を見た日本人の言葉である。

記事を読む

no image

伝統も歴史も後から作られる 『戦国と宗教』を読んで

 横浜市立大学の観光振興論の講義ノート「観光資源論」を作成するため、大学図書館で岩波新書の「戦国と宗

記事を読む

no image

『国債の歴史』(富田俊基著2006年東洋経済新報社)を読んで

標記図書を読み、あとがきが要領よくまとめられていた。財政に素人の私には、非常に参考になる。 要約す

記事を読む

『庶民と旅の歴史』新城常三著

新城 常三(1911年4月21日- 1996年8月6日)は、日本の歴史学者。交通史を専門とした。1

記事を読む

no image
ロシア旅行の前の、携帯wifi準備

https://tanakanews.com/251206rutrav

no image
ロシア旅行 田中宇

https://tanakanews.com/251205crimea

no image
2025年11月25日 地球落穂ひろいの旅 サンチアゴ再訪

no image
2025.11月24日 地球落穂ひろいの旅 南極旅行の基地・ウシュアイア ヴィーグル水道

アルゼンチンは、2014年1月に国連加盟国58番目の国としてブエノスア

no image
2025年11月23日 地球落穂ひろいの旅 マゼラン海峡

プンタアレナスからウシュアイアまでBIZBUSで移動。8時にPUQを出

→もっと見る

PAGE TOP ↑