三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』なぜ日本に政党政治が成立したのか
1 なぜ日本に政党政治が成立したのか (これまではなぜ政党政治は短命に終わったかを論じてきた)
日本に立憲主義を受け入れることを可能にした歴史的条件があった 幕藩体制には権力抑制均衡メカニズムが備わっていた(複数の若年寄等、月番制、権力と権威の分散、相互監視) 政治的コミュニケーションが幕藩体制のなかで成立できる素地として、非政治的知的なコミュニケーションのネットワーク(社中)が形成されていた
幕府側も反幕府側も、将来の権力がどういう形をとるにしろ「公儀」によるというコンセンサスが形成
覇府排斥論と権力分立制 反政党内閣と権力分立制の不可分性 上杉慎吉は明治憲法で明文化されていなかった違憲立法審査権を認める(美濃部達吉と異なる)
明治憲法は表見的な権威主義的構成にもかかわらず、その特質は分権的 体制を統合する主体に欠けていた この主体として、まず藩閥が登場したが、衆議院をどうしても掌握できなかった。日清戦争時から藩閥を政党の接近が始まり、政党が幕府的存在化する
この現象はアメリカもおなじ。アメリカの憲法制定者は、議会多数派の国家支配を抑制することを意図 結局大統領選出母体として複数政党
政党政治の終わりと立憲的独裁 1930年代 デモクラシーなき立憲主義 蝋山政道 ドイツのナチス、英国の挙国一致内閣、米国のニューデール
関連記事
-
-
2023/7/18 【未来予測】地球の課題を解決するのは「人流ビッグデータ」だ ジオテクノロジーズ | NewsPicks Studios
https://newspicks.com/news/8641407/body/ 若い人達も人
-
-
書評『シュリューマン旅行記 清国・日本』石井和子訳
日本人の簡素な和式の生活への洞察力は、ベルツと同じ。宗教観は、シュリューマンとは逆に伊藤博文等が
-
-
「南洋游記」大宅壮一
都立図書館に行き、南洋遊記を検索し、[南方政策を現地に視る 南洋游記」 日本外事協会/編
-
-
国際連盟における中華民国代表顧維欽の演説(人流論) 渡辺銕蔵が戦争調査会で繰り広げる際に引用
満州には日本人はわずかしか入っていない。 朝鮮から日本に入った方が多いくらいだ。 なぜ
-
-
ヘンリーSストークス『英国人記者からみた連合国先勝史観の虚妄』2013年祥伝社
2016年10月19,20日に、父親の遺骨を浄土真宗高田派の総本山専修寺(せんじゅじ)に納骨をするた
-
-
動画で考える人流観光学 観光資源、質量の正体は一体何なのか -質量の起源-
https://youtu.be/TTQJGcu-x3A https://
-
-
『パッケージツアーの文化史』吉田春夫 草思社
港区図書館の新刊本コーナーにあり、さっそく借り出して読んだ。JTBでの実務経験が豊富な筆者であり、
-
-
保護中: 7-1 先行研究1(高論文要約)
高論文「観光の政治学」戦前・戦後における日本人の「満州」観光 (満州引揚者)極楽⇒奈落 ホ
-
-
アメリカの原爆神話と情報操作 「広島」を歪めたNYタイムズ記者とハーヴァード学長 (朝日選書) とその書評
広島・長崎に投下された原爆について、いまなお多数のアメリカ国民が5つの神話・・・========
-
-
QUORAにみる歴史認識 不平等条約答えは長州藩と明治政府のせいです。今回に限って言えば、長州藩と明治政府が不平等になるように改悪した原因なのです。
日本人があまり知らない、日本の歴史といえば何が思いつきますか? 日米和親条約と日米修好通商条