歴史認識
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最終更新日:2016/11/25
戦跡観光
歴史認識も時代により変化する。日本人の徳川時代の認識は、明治政府によりつくられたものを学校で学んだせいなのか、「薩長史観」的であった。徳川家18代のご頭首は、冗談交じりに、子供の頃学校で歴史を学び、とんでもない家に生まれてきたと語られたものである。一世紀以上を経た近年ではその認識が見直されつつあり、士農工商のような身分制は存在しなかったという学説が主流となっている。しかしこれも政治的にはその過程を経なければおさまらなかったものなのであろう。
日本の朝鮮植民地政策に関する、韓国人の歴史認識はいわゆる「民族史観」以外はタブーとなっている。この民族史観に感情的に反応する日本人がヘイトスピーチを行うものだから、冷静な歴史認識論議など期待するほうが無理なのである。我々日本人もついこの前まで、薩長史観に基づく歴史認識に基づき、士農工商は「親の敵」と思っていたのだから、他国の歴史認識がそのうちに変化するかもしれないということぐらいは理解をし、余裕をもって接することができなければ先進国とは言えないのであろう。韓国は北朝鮮とともに、日本の敗戦直後、自国民の政府が樹立できなかった歴史(韓国の場合は沖縄同様にアメリカ軍の直接統治)の中で、内戦を経験し、今なお継続しているから、権力者が正統性を主張するためには、民族史観にならざるを得ないのである。これを否定することは、日本においては天皇制を否定するに等しいのかもしれない。中国共産党についても同じことが言える。
今EUがユーロをめぐって揺れている。ギリシャの経済危機の取扱であり、イギリスの離脱問題である。イギリスは王室を抱く国家であるが、超国家的なEU加盟国でもある。EUの元首はイギリスの元首より上席になるのであろう。東アジアも欧州並みに成熟し、日本が近隣諸国と超国家的組織に加わるとしたら、日本の天皇制に対する国民の感情も変化しているかもしれないし、韓国の民族史観や中国共産党の歴史認識も変化しているのであろう。
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