*

ゲルニカ爆撃事件の評価(死者数の大幅減少)

公開日: : 最終更新日:2023/05/29 出版・講義資料, 歴史認識, 軍隊、戦争

歴史には真実がある。ただし人間にできることは、知りえた事実関係の解釈に過ぎない。もっともこれも人間の恣意的な創造の産物かもしれない

歴史というものはあまり性急に割り切らない方がよい。

長期的巨視的な視野がなければ、善意と浅慮の暴走となりかねない

ムッソリーニにしろ、フランコにしろ、その再評価には、同国人の「歴史認識」の成熟ぶりもさることながら、英国の歴史学会が大きく貢献している事実に感銘した。いまだに衰えぬ英国人の「歴史感覚」には、文句なく脱帽せざるを得ない。東洋の島国日本も、西洋の島国の英国並みに、高度の歴史感覚がなければ到底生き残れないだろう。 色摩力男 2000年4月

ゲルニカ空爆(ゲルニカくうばく)は、スペイン内戦中の1937年4月26日、ドイツ空軍コンドル軍団がスペイン・ビスカヤ県ゲルニカに対して行った都市無差別爆撃である。
この爆撃は焼夷弾が本格的に使用された世界初の空襲であり[3]、「史上初の都市無差別爆撃」や「史上初の無差別空爆」[4][5][6]とされることもある[7]。この爆撃は敵国民の戦意をそぐために行われる戦略爆撃の先駆けと考えられており、戦略爆撃は第二次世界大戦で本格化した


1997年の60周年式典では在スペイン・ドイツ大使がローマン・ヘルツォーク連邦大統領による謝罪文を代読した 1998年にはドイツ国会がゲルニカ爆撃の謝罪を全会一致で決議し、国会代表がゲルニカを訪問した

バスク自治政府は死者数を1,654人、レンダカリのホセ・アントニオ・アギーレは2,000人と推定している[98]。フランコ側は「エラン報告」で死者数を100人と推定し、フランコ派の学者による死者数は学者によって12人から250人まで幅がある

フランコの死後にはそれまで未公開だった公文書を用いた研究も不可能ではなくなり[100]、従来考えられていたよりも人的被害が少なかったとする説が主流となった。1985年には左派の歴史家の集団がゲルニカにゲルニカサーラという研究組織を設立し、爆撃の意図が民間人の殺戮にあったこと、死亡したのは250人であるとの見解を発表した[89]

関連記事

no image

『永続敗戦論  戦後日本の核心』、『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』『英国が火をつけた「欧米の春」』の三題を読んで

「歴史認識」は観光案内をするガイドブックの役割を持つところから、最近研究を始めている。横浜市立大学論

記事を読む

no image

『ヴェノナ』

ヴェノナの解読は、数十万通のうちの僅か千通程度の解読であるが、それでもUSA内のスパイを炙り出す

記事を読む

no image

Quoraに見る歴史認識 第二次世界大戦以前の世界では欧米諸国による植民地がたくさんあったが、戦後そのほとんどが独立した。そのことを欧米の学校ではどのように教えているのでしょうか? 

あたり前ですが、戦勝国と敗戦国で、扱いは異なります。その上で、指導者が自殺したドイツと、無条件降伏

記事を読む

no image

筒井清忠『戦前のポピュリズム』中公新書

p.108 田中内閣の倒壊とは、天皇・宮中・貴族院と新聞世論が合体した力が政党内閣を倒した。しかし、

記事を読む

『観光の事典』朝倉書店

「観光の事典」に「観光政策と行政組織」等8項目の解説文を出筆させてもらっている。原稿を提出してか

記事を読む

no image

何故日米開戦が行われたか。秋丸機関の報告書への解説 『経済学者たちの日米開戦』

 書名は出版社がつけたものであろう。傑作ではある。書名にひかれて読むことになったが、およそ意思決定

記事を読む

no image

安易なフードツーリズム、食育、和食神話への批判  コメに無期ヒ素が含まれているのはものすごく都合が悪い。大手メーカーが「ただの水です」といって水素水を売っている

公研2016年6月号に「食の安全とリスクを考える」畝山智香子(国立医療品食品研究所安全情報部第三室長

記事を読む

no image

『金融資本市場のフロンティア 東京大学で学ぶFinTech、金融規制、資本市場』に学ぶべきMaaS

本書を読んで、アンバンドリングとリバンドリングという言葉に出会った。金融機能が、テクノロジーが導入

記事を読む

no image

ハーディ・ラマヌジャンのタクシー数

特殊な数学的能力を保有する者が存在する。サヴァンと呼ばれる人たちだが、どうしてそのような能力が備わ

記事を読む

ヘンリーSストークス『英国人記者からみた連合国先勝史観の虚妄』2013年祥伝社

2016年10月19,20日に、父親の遺骨を浄土真宗高田派の総本山専修寺(せんじゅじ)に納骨をするた

記事を読む

no image
2025年11月25日 地球落穂ひろいの旅 サンチアゴ再訪

no image
2025.11月24日 地球落穂ひろいの旅 南極旅行の基地・ウシュアイア ヴィーグル水道

アルゼンチンは、2014年1月に国連加盟国58番目の国としてブエノスア

no image
2025年11月23日 地球落穂ひろいの旅 マゼラン海峡

プンタアレナスからウシュアイアまでBIZBUSで移動。8時にPUQを出

2025年11月22日地球落穂ひろいの旅 プンタアレナス

旅程作成で、ウシュアイアとプンタアレナスの順序を考えた結果、パスクワか

2025年11月19日~21日 地球落穂ひろいの旅イースター島(ラパヌイ) 

チリへの訪問は2014年に国連加盟国 として訪問済み。イースタ

→もっと見る

PAGE TOP ↑