🗾🎒シニアバックパッカーの旅 1995年 小笠原諸島 父島、母島
1995/05/26 | シニアバックパッカーの旅, 国内観光
父親を誘い、小笠原に行く。片道27時間かかるので、往復1週間みなければならない。先輩に小笠原海運にお願いしてもらって、運賃を半額にしてもらった。目的はバードウッチング、母島でメグロをみる。メジロと違い
1995/05/26 | シニアバックパッカーの旅, 国内観光
父親を誘い、小笠原に行く。片道27時間かかるので、往復1週間みなければならない。先輩に小笠原海運にお願いしてもらって、運賃を半額にしてもらった。目的はバードウッチング、母島でメグロをみる。メジロと違い
1995/05/04 | シニアバックパッカーの旅
国旗は西ドイツ国旗が、ドイツ国旗となる。 キールに上陸し、ハンブルグへ。ハンブルグでは商船三井の支店へ。 ハンブルグは爆撃で消滅、広島といわれている。 ボンでは、運輸省からの出向者の
1995/02/03 | シニアバックパッカーの旅
ノルウェイは海運大国。運輸省に調査に行く。戸田さん(参議院議員)が船舶技官時代、アタッシェで出向していた。大使にサーモンをご馳走になり、気軽にノルウェイに来てほしいといわれる。ムンク美術館にゆく。
1995/02/03 | シニアバックパッカーの旅
日本でも国際競争力充実のため、国際船舶制度を作成することとなり、海外調査を実施。日本船主協会からは、商船三井が参加。 スウェーデンには、科学技術庁からのアタッシェが対応してくれた。どうもノーベル
1995/01/09 | シニアバックパッカーの旅
駒谷康文氏の友人に、フィージ―航空の日本支店長がいて、招待飛行に誘ってくれた。父親を誘って旅行。現地費用は個人負担。 小笠原 観光協会時代、長田さん御計らい
1993/02/03 | シニアバックパッカーの旅
橋本内閣時、北方領土の対応振りから、ロシアとの経済協力に政府は極めて消極的であった。その穴を埋めるため、民間企業であるJR東は、ロシア国鉄に経済協力を行うことになった。実際、中古のディーゼル車を寄贈し
1993/01/03 | シニアバックパッカーの旅
◎ビューワールド 窓口販売商品の品揃えのため、JALと提携。当時はANAとは関係が深くなかったが、大学同級生のANA社員の太田君と後に社長にまで出世した伊東さんと山形を旅。伊東さんが社長時代に、全日
1992/06/30 | シニアバックパッカーの旅
JR東出向中、視察候補地を聞かれ、ためらいもなくブラジルはマナオスと答えた。マナオスは、高校の地理の時間その場所を知った。アメリカ大陸のど真ん中にあるにもかかわらず、海抜が50メートルというのが驚きで
1992/06/28 | シニアバックパッカーの旅
鉄道空港全線走破を思いつく 航空局経理補給課長からJR東開発事業本部担当部長へ出向 日本の空港は、東京離島、沖縄離島についで、鹿児島離島、長崎離島が多く、これらの離島を制覇すれば、日本の空港制
1990/05/04 | シニアバックパッカーの旅
全日空国際線進出前夜の時代。官房人事課の藤井氏と参加。二階俊博衆議院議員が事務局長となり、全日空機をチャーターし、日本旅行が手配して実施。金丸・若狭ラインの政治力で実現。出発前にパレロワイヤルにある金
文字通り、物理的にはオーストラリアの一部ではな
日付変更線をまたぐので、複雑な旅程になる。サモアから米領サモアを旅
南極旅行は、南アメリカ旅行の際に計画するつもりであったが、偶然スーツ交
◎ カンタス航空ラウンジでの忘れ物 カンタス航空ラウンジに、子供たち
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