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🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 パラオ共和国(国連加盟国188か国目)

公開日: : 最終更新日:2024/12/04 シニアバックパッカーの旅

 
 
 
 

 

 

https://youtu.be/I1GvbqqTHTI

https://youtu.be/QeHPXXPbfXQ

https://youtu.be/7URZZm0Y_vU

https://youtu.be/H0WdqiArpPw

https://youtu.be/Tt-N1IRXuuI

 

1994年独立のパラオ共和国 サイパンを反面教師にしながら「持続可能な観光」 、

パラオ人の海外流出(給与格差でサイパンへ)と、非パラオ人の流入 公務員志向のパラオ人は肉体労働を嫌がる。グアムはアメリカ、北マリアナ諸島はアメリカの自治領である。ミクロネシア連合、パラオ共和国がアメリカと自由連合協定を締結、相互の移動、就労が容易 移住、養子、出稼ぎ、送金、市民権、米軍再編が相互に絡み合っている。日本の先輩 

ロックアイランド(コロール島とペリュリー島の間にある石灰岩質の島々)、マリンレイク(マカラカル島のジェリーフィッシュレイクが有名)

戦争終結後の1947年に、国際連合の委託を受けアメリカ合衆国はパラオを信託統治下に置いた(太平洋諸島信託統治領)。アメリカはミクロネシア地域には動物園政策を取り教育や福祉健康には援助を行ったが、日本とは違い産業開発にはほとんど投資を行わなかった[12]

アメリカ統治の開始にともない、今度は英語による教育が住民に対して行われるようになった。パラオ住民は一部かつ英語によるものではあるものの高等教育も受けることが出来るようになった反面、上記のように産業開発は行われず経済はアメリカの援助に依存し、パラオ人は農業などの肉体労働に就くのを嫌がるようになり、かつてアメリカの植民地支配下にあったフィリピンからの出稼ぎ労働者が担うようになった。

1979年7月には、アメリカによる核兵器の持ち込みを禁止した「非核憲法」を住民投票で可決したが、アメリカ政府の意向を受けた信託統治領高等裁判所が無効を宣言。10月、非核条項を緩和した憲法草案で再び住民投票を行ったが今度は否決。しかし1980年7月に、1年前と同じ内容(修正前)の草案での住民投票で可決された。

1981年に、自治政府の「パラオ共和国」を発足させ、憲法を発布。翌1982年に、内政・外交権はパラオが、安全保障はアメリカ合衆国が担うものとし、アメリカ軍が駐留。その見返りとしてアメリカが財政援助をする自由連合盟約(コンパクト)の内容に関して両政府が合意した。だが翌年行われた住民投票でコンパクトは否決され、これ以降、1990年まで都合7回の住民投票が行われたが全て否決された。

独立

1990年代初頭の冷戦終結を受けて、アメリカにとってパラオの利用価値がなくなった後の1992年に行われた住民投票で、憲法内の非核条項をアメリカとの自由連合協定においてのみ凍結することが決まり、コンパクト承認のための住民投票の可決条件を緩和(75%から50%へ)する憲法改正のための住民投票が行われ、これを可決。同時に行われた大統領選挙でクニオ・ナカムラが当選した。

1993年には、緩和された可決条件の下、8回目の住民投票でアメリカ合衆国とのコンパクトが承認された。これにより、1994年10月1日に、コンパクトによる自由連合盟約国として独立し、国連による信託統治が終了。同年に国際連合へも加盟した。信託統治領としては最後の独立となる。現在でもパラオ国会では日系の政治家が強い影響力を持つなど、日本と歴史的に密接な繋がりを持つ国である。

 
 

大日本帝国によって統治されていたパラオですが、パラオ語として、現在も使われている日本語はありますか?

パラオ語の20%近くが日本語由来なのだそうです! しかもアンガウル州には日本人が多く残留したので日本語が公用語に制定されていて、日本語を法的に公用語にしてるのはパラオだけなのだそうです。(日本は^^;?)

パラオ語にも沢山日本語が入ってるけれどパラオの人はどれが日本語から来たかは全く気にしてないのだそうです。面白いですよね

一番面白いのは

美味しい というのを アジダイジョウブ

(味大丈夫 から) っていうのだそうです^^

「南洋游記」大宅壮一

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