*

🗾🎒 🛤✈シニアバックパッカーへの道 20世紀日本の鉄道全線走破と全空港利用  国土の均衡ある発展の実感 

公開日: : 最終更新日:2023/06/15 シニアバックパッカーの旅, 国内観光

鉄道全線走破については、調査企画課時代に広報誌トランスポートを編集していて、JTBの時刻表あとがきの記事を読んで、その記事を書いている職員が全線走破組であることを知り、広報誌にも記事を書いてもらったことが始まりである。内容の記憶にあることは、宿泊とトイレの苦労話である。大学の先輩である島田判事の紹介で鉄道ファンの石田判事を紹介いただき、全線走破の記事を書いてもらった。石田氏は、証拠に基づき判断する職業に従事するにもかかわらず、全線走破の証明が困難だと記述しておられた。後日JR東出向時代に、鉄道事業部の清水企画課長とともに、東京高等裁判所長官時代の石田氏を訪問させていただいた。退官後、地裁所長をされた沖縄に移住されている。同じく全線走破組の神戸市消防局長をされた上川さんからも、石田氏の話はよく聞かされていた。

従って、私としては鉄道全線走破しても、鉄道が心底好きであるわけでもなく、仕事の延長上の事であり、趣味で行われた人たちと比較することがおこがましい。退職後はあまりこだわらずにいるので、その後新線建設があったので、いまでは全線走破とはいえなくなっている。

大阪陸運局、四国運輸局は仕事の都合上管内はほぼ全線乗車していた。JR東出向時代に、社員証が鉄道乗車券になることから、せっせと活用し、全線走破を意識しだした。空港の方は数も少なく、航空局の経理補給課長をしていた関係で、概ね利用していたから、残っていたのは、農道空港などであった。東日本管内を乗りつくすと、北海道方面にも足を延ばした。北海道の空港もこの時代に全部利用した。私鉄もJR東を利用してアクセスに活用し全線走破した。その時に活用した書籍に、JR全線全駅という書物がある。また時刻表は大いに活用させてもらった。最初は乗車区間だけ印をつけていたのだが、進展すると、未乗車区間を印をつけるように変化していった。効率よく乗車するため、パソコンで調べたりしたが、当時は乗継の情報がすくなく、最適解はなかった。効率よく乗継ためには、バスの情報が重要なのであるが、バス情報はJRの時刻表くらいで乏しかった。

JRから運輸省に戻ったのち、中部運輸局に赴任中は、管内の鉄道は全線走破できた。名鉄、近鉄はローカル線が多く、地の利がないと不便であったから助かった。この時点で概ね残ったのは、九州と中国地方である。国土庁時代に、北九州市の委員会のメンバーになっていた関係で、渡りに船と会議の開催を活用して、2000年前に全線走破が達成できた。日南線が最後であった。しかし後日、広島のスカイレールが、鉄道に分類Aされることがわかり、あらためて乗りに行った。空港の方は、但馬空港が最後であったが、一度欠航されてしまい、再チャレンジであった。欠航時、帰りの豊岡からの鉄道運賃までも航空会社が負担してくれたことを覚えている。しかし、全線走破すると、とたんに興味がなくなり、その後は乗りに行っていない。

全線走破を達成して感じたことが一つある。日本中どこへ行っても同じであるということを実感したことである。北海道礼文空港にゆき、ナイター照明付き運動場を見、コンビニ、図書館等の存在を知り、この島にないものはないかと考え、そうだラブホテルがないということに気が付いた。逆に言えばそれ以外は何でもあるのである。国土の均衡ある発展が実現しているのである。どこの地域にいっても女子高生は流ちょうな標準語をしゃべり、服装もおしゃれで、他地域と変わらない。東北弁という言葉が死語になっている。辛うじて関西弁が残っているだけである。風景は北海道の道東や沖縄に行けば、羽衣伝説が誕生しそうもないことは理解できるが、肝心の羽衣伝説の本場は、自然が少なくなってきているから、違いが少なくなってしまった。

このことは、国連加盟国192か国回りをしている今日、地球規模で同じことを感じ始めている。

関連記事

🗾🎒シニアバックパッカーの旅 2018年7月10日 チームネクスト 函館 アイヌ語

https://www.facebook.com/shuichi.teramae/videos/82

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 5月19日 旅の終わりはアラブ首長国連邦・ドバイ(国連加盟国99か国目)

https://goo.gl/photos/ahvZBNeujQRGXvRUA 今回の旅の終わ

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2017年5月16日 レバノン(国連加盟国95か国目)ベイルート

〇中東のイメージ 中東、中近東の東はヨーロッパから見た東であり、中国から見た西洋よりは手前であ

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 モンゴル国フブスグル地区紀行~トナカイとシャマンとドロ━ン(7)

2015年8月27日 野営の朝は気持ちが良い。対岸のツアーキャンプは、西洋人の四人組で馬6頭オ

記事を読む

シニアバックパッカーの旅 ジャパンナウ原稿2019年11月 太平洋島嶼国等の観光政策

 ラグビーのワールドカップ戦を偶然サモアでむかえた。現地は日本時間より五時間早く、開始時間は深夜。

記事を読む

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2019年10月2日~3日VLI ヴァヌアツ(国連加盟国137か国目) ポートビラ 

  GOOGLEPHOTO(アルバム「2019年10月2日ヴァヌアツ・ポートビラ」)

記事を読む

🌍👜シニアバックパッカーの旅 2018年8月10日  バルセロナ・カタルーニア、ZARGOZA パンプローナ泊

    バルセロナ 13:25発 2号車9C AVE3132 サラゴサ1

記事を読む

🌍🎒2023夏 シニアバックパッカーの旅 2023年8月27日午後 トルクメニスタン(国連加盟国166か国目)NISAの要塞(世界遺産)

事前資料   https://youtu.be/kpQIxNwtZfo &nbs

記事を読む

Madagascar · Antananarivo (145) February 16th – 18th, 2019

 Because I had a visa, I could enter the country

記事を読む

保護中: 🌍🎒シニアバックパッカーの旅 トリエステ(イタリア特別自治州🏳‍🌈㊳) 旅行準備資料 アルベルコ・ディフィーゾ

◎Stop Flixbus Trieste  

記事を読む

no image
🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 福建省(24番目)厦門

中国渡航にビザが必要な段階で計画したので、金門島から廈門に渡る

🌍🎒シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 台湾省🏳‍🌈 金門島

  昨夜桃園空港から台北駅に鉄道で移

no image
🌍🎒シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 台湾省🏳‍🌈 台北

国連加盟国第一か国目は中国。1970年に香港、台湾と旅行した。当時は、

🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 パラオ共和国(国連加盟国188か国目)

    2024年12月4日早朝マニラから

🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 セブ・マクタン島

youtubeで、マゼランの世界一周を 取り上げた動画があり、船

→もっと見る

PAGE TOP ↑