純国産の少ない戦後生まれのB級グルメ 島村恭則編『引揚者の戦後』を読んで
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最終更新日:2018/06/02
観光資源
引揚者が戦後同胞から差別扱いされたことは知っていた。「観光の政治学」で高媛も論述していたからだ。
西部先生が、ドイツ人のうちゴリゴリの思想を持つ人はシベリアに長く抑留されていた。それが生きながらえて故国にかえってきた者をドイツ人はよく頑張ったといってほめたたえたと語っておられる。それに比べて日本人は何だと嘆いておられる(下記動画参照)。
なお、ソ連がドイツ人、日本人を抑留したのは、ドイツの戦争被害を最も多く受けたソ連が、戦後のアメリカの援助政策から外されたことが原因しているとする、オリバーストーンの解説がある。いずれにしろ、ソ連だけを批判しても済まない話であろう。
同書によれば、東京のアメ横が、国鉄と満鉄のよしみで、引揚者が上野の高架下を使わせてもらえたようだ。夏にアイスキャンディを売ってそれが当たったので、冬に飴を売ったことから、アメ横という名前が定着したとある。新橋の高架下ばかりに目が行くが、アメ横も高架下である。JRにお世話になった時、はじめ「ビル高架下事業部」に配属になったので、親しみを覚える。といっても、その当時は「ビル高架下」には橋の下のようなイメージがあり抵抗もあったことも事実であるが。
『引揚者の戦後』でまとめられた記述に、餃子等のことが書いてある。引揚者は、生活のため食い物やを始めているのである。屋台ラーメンはほとんどがそれである。「含多湯(ガタタン)」は中国の「ガー痘湯」、じゃじゃ麺(炒醤麺)、餃子、満洲鍋、ジンギスカン(とんちゃん)、明太子、冷麺等も戦後の引揚者が始めているのである。
いま、宇都宮をはじめ地方の街おこしに、これらが活用されていることを思うと、無邪気なものだとおもってしまう。その歴史を説明すると、かえって嫌がられてしまうのであろう。
なお、沖縄出身者でパラオから引き揚げた人々が、戦後沖縄で生活を始めた時、沖縄方言がしゃべれず、地域から疎外されたことも紹介されている。
ペリリュー島も行ってみたい島。西部先生の動画がある https://youtu.be/NqjkDMJRJc8
https://youtu.be/tTiQb1oooH4
酋長の娘 https://youtu.be/XLC3xoXpc3s
島では、一等国民が日本人、二等国民が沖縄人、三等国民が島民、四等国民が朝鮮人とされたようである。
帰還移民の数 第一次世界大戦までに、米国から400万人、豪州から100万人が英国に帰還、これは16世紀以降英国から植民地に向かった数の約3分の一
日本人の海外残留者約700万人は当時の人口の約9%にあたる。歴史的には「大移動」に当たる数字である。しかもわずか2年間の間に500万人が引き上げている。国内にいた外国人も250万人であり、世界史上例を見ない大移動が実施された。
私の人流論で時折取り上げる話題でもある。
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