*

ジャパンナウ2019年9月号原稿「森光子記念館」

公開日: : 最終更新日:2023/05/29 ジャパンナウ観光情報協会, 観光資源

著名人の顕彰施設は著名である限りは存続する。問題は経年変化により著名人でなくなった場合である。文化的価値等があれば存続の可能性があり、運が良ければ大英博物館に引き取られることもある。世界を見渡せば、ビートルズが代表例である。リバプールではマジカルミステリーツアーという旅行商品が販売されている。ストロベリーフィールドやツアーでしか入れないポールやジョンの家に手軽に回れ、値段は3千円程度。つまり町ぐるみ顕彰するビジネスに成長している。実在しないものでも、ピーターラビットとコッツウォールズなどはその成功例である。日本でも寅次郎と柴又は現在は成功事例であるが、その後の継続の可能性は地元の力による。もう一つの成功事例は基金の設立であり、基金があれば永続性が確保できる。松井秀喜は大リーガーの盟友ジータの発想にならい、自ら基金設立「松井55ベースボールファウンデーション」を設置している。世間によくある〇〇御殿の大半は崩壊しており、明治の元勲の屋敷等が一部財団等で保存されているものがある程度である。地域とのつながりは、歴史と時間を必要とする。単に生まれたぐらいならどこにでもある。裕次郎と小樽も裕次郎の名前ビジネスであった。彼が小樽開拓者のリーダーだったならまた違った。

加賀山中温泉の森光子記念館は短命だった。市長時代に同温泉で創業八百年・よしのや家が倒産し湯快リゾートが引き取った。しかし、皇室ゆかりの別邸依緑苑は加賀市に引き取ってほしいといってきた。えてしてこの手の寄付は、市長の個人的趣味に左右されるという批判があるが、天皇陛下三代にわたりご宿泊されたという歴史は重要であり、寄付を受けた。この別邸の活用をめぐり、森光子記念館の要望が関係者から内々出された。文化勲章受章者であり加賀山中温泉菊の湯名誉館長であったから大儀はたつが、遺品管理は責任が伴う。市への寄贈という条件を出したが、遺品所属に関し関係者で話がつかなかったのであろう、依緑苑は使用せず個人的に記念館を運営するということに落ち着いた。開館当時は人気があり、ビジネスは成功したかにみえたが、森光子さんの名声でも新幹線金沢開業までもたなかった。

関連記事

no image

ジャパンナウ観光情報協会機関紙138号原稿『コロナ禍に一人負けの人流観光ビジネス』

 コロナ禍でも、世界経済はそれほど落ち込んでいないようだ。PAYPALによると、世界のオンライン

記事を読む

no image

伝統は後から作られる例 関西は阪神フアンという伝統

これも学士會会報の記事、何時も面白い話をしてくれる井上章一氏の「ゆがめられた関西像」 戦後しば

記事を読む

no image

大衆軍隊出現の意味 三谷太一郎講演メモ 学士会報2018-Ⅳ

226事件は、天皇の統帥権の名目化  軍隊の大衆化 軍隊内の実権は将官、佐官、尉官へと下降した

記事を読む

no image

🌍🎒シニアバックパッカーの旅 動画で見る世界人流観光施策風土記   モンゴル紀行 メモ書き シャーマン動画 トナカイ解体動画

ツァータン族の居住地の4泊分は、通訳代、移動費を別にして、180万ツグルであった。 ツァーマン

記事を読む

no image

伝統は古くない 『大清帝国への道』石橋嵩雄著を読んで

北京語 旗人官僚が用いていた言語 山東方言に基づく独自の旗人漢語を北京官話に発展させた チャイナド

記事を読む

no image

『ピカソは本当に偉いのか?』西岡文彦 新潮新書 2012年 を読んで

錯覚研究会での発表に備えて読んでみた。演題が「ピカソの贋作は本物を超えるか」としたため、慌てて読んで

記事を読む

no image

『素顔の孫文―国父になった大ぼら吹き』 横山宏章著 を読んで、歴史認識を観光資源する材料を考える

岩波書店にしては珍しいタイトル。著者は「後記」で、「正直な話、中国や日本で、革命の偉人として、孫文が

記事を読む

no image

デジタル化と人流観光(ジャパンナウ観光情報協会原稿)

ジャパンナウ3月号1400字原稿 デジタル化と人流・観光(1) 通信の秘密が大日本

記事を読む

no image

『公研』 2018年2月号 「日本人は憲法をどう見てきたか?」

歴史は後から作られるの例である。 境家史郎氏と前田健太郎氏の対談 日本国民が最初から憲法九条

記事を読む

no image

自然観光資源と沿岸風景(概論)

1 風景観の変化 自然を見る視点が移動手段の発達により変化し、沿岸の風景観も変化してきた 。移

記事を読む

PAGE TOP ↑