童謡「赤とんぼ」から躾を考える
公開日:
:
観光資源
村のしつけが対象とするのは正規メンバーだけで、共同体からはみ出た子供たちは、アウトサイダーとして生きざるを得なかったようだ。私生児として生まれ、5歳で子守に出され、本名もしらず、はだしであるき、最後は売り飛ばされてしまったのだ。「赤とんぼの歌」はその子守の悲しさの背景を思い出さなければわからないのである。故郷に赤とんぼの会という合唱団があったが、ずいぶんイメージが違う
「赤とんぼ」(赤蜻蛉、あかとんぼ)は、三木露風の作詞、山田耕筰の作曲による、日本の代表的な童謡の一つである。夕暮れ時に赤とんぼを見て、昔を懐かしく思い出すという、郷愁にあふれた歌詞である。2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。 2003年(平成15年)にNPO「日本童謡の会」が全国約5800人のアンケートに基づき発表した「好きな童謡」で、「赤とんぼ」は851票を獲得し第1位に選ばれた[2]。
Wiki等にあわられる公式認識は以上であり、地域の観光資源に使用される。しかし、少し深く考察した見解がある。
https://blog.goo.ne.jp/ken-morita_001/e/2ba83e875d4619e6c269c89a273f963e
「赤とんぼ」の作詞は三木露風ですが(大正10年に発表・作曲は山田耕作)、詞の内容は露風自身の幼少時代の思い出を正直に書いたものと思われます。
露風は5歳の時両親が離婚することになり、以降母親とは生き別れで祖父に養育されることになったのですが、実際は子守り奉公の姐やに面倒を見てもらい、そのときの印象を歌にしたものです。
だから詞の第一節の「おわれてみたのは」を漢字で書けば「追われてみたのは」ではなく、「負われて見たのは」であり、姐やの背中におんぶされて肩越しに見た夕焼け という意味です。
姐やといっても15歳で嫁に行ったのですから、当時の農家は赤貧のため口べらしもあっての子守り奉公で、しばらくして嫁いでいったわけですが、嫁入り先の農業労働力としての意味もあり、その後の姐やも働きづめの一生を送ったのでしょうね。
また、「お里の便りも絶えはてた」の意味は、姐やが嫁に行ってからは彼女の便りがなくなった と解釈する人もいますが、私の推薦する解釈では、お母さんは離婚し実家に出戻っているのですが、実のお母さんが実家の近くの娘を子守り奉公に出すように図ることにより、彼は姐やからお母さんの便りを聞くことが出来たのですが、姐やも嫁に行くことになって、もうお母さんの消息も聞くことが出来なくなったという意味だと思います。 だからこそ時代を超えて私たち日本人の心を揺さぶる理由がそこにあったのですね~。
子守歌も似た内容ですね。
ちなみに、江戸時代までの絵巻、屏風絵に
女児が子守をしている絵が全く無いのはなぜか?
皆で考えてみましょう。
(検索=「5世紀頃のイスラムの子育て」
文科省は国辱ゆえ決して教えません。)
関連記事
-
『動物の解放』ピーターシンガー著、戸田清訳
工場式畜産 と殺工場 https://www.nicovideo.jp/watch
-
天児慧著『中国政治の社会態制』岩波書店2018を読んで
中国民族は概念としては梁啓超以来使われていたが実体のないものであった。 それを一挙に内実化し実体を
-
『徳川家康の黒幕』武田鏡村著を読んで
私が知らなかったことなのかもしれないが、豊臣家が消滅させられたのは、徳川内の派閥攻勢の結果であったと
-
明治維新の見直し材料 岩下哲典著『病と向きあう江戸時代』第9章 医師シーボルトが見た幕末日本「これが日本人である」
太平の世とされる江戸時代に自爆攻撃をする「捨足軽」長崎奉行配下 福岡黒田家に「焔硝を小樽に詰めて肌身
-
原田信男著『義経伝説と為朝伝説』
伝説においては、歴史学の大原則ともいうべきテキストクリティック(史料批判)は必要とされない。資料の一
-
マザーテレサ 歴史は後から作られる例
マザーテレサについて、ウィキペディアは、正反対の記事を二つ載せている。 スコピオを旅行したと
-
仏フォアグラ生産者が米加州の禁止措置に反発、人道的飼育を主張 「観光資源フォアグラと動物愛護」の教材
世界のこぼれ話2019年1月18日 / 11:26 / 3日前 [モ
-
ウッドストック50周年中止 歴史は後から作られる
newspicks のコメントが面白い。Wikiの解説とは一味違う。これも歴史は後から作られる例か
-
観光資源としての吉田松陰の作られ方、横浜市立大学後期試験問題回答の例
今年も一題は、歴史は後から作られ、伝統は新しい例を取り上げ、観光資源として活用されているものを提示