脳科学と人工知能 シンポジウムと公研
本日2018年10月13日日本学術会議講堂で開催された標記シンポジウムを傍聴した。傍聴後帰宅したら公研10月号が贈られてきており、シンポジウムと同じテーマの西垣通氏の文章がでており興味深く読ませてもらった。
シンポジウムのテーマに脳科学と人工知能が選択された動機は主催者の説明では、人口減少時代を迎え、交通事故死亡者の数倍にのぼる自殺者が出ている現代にとって大きな問題であり、解決手段がAIの活用にあるからだとする。うつ病等の精神疾患のデータがバラバラで解明されていないが、AIを駆使してその脳内メカニズムのビッグデータ解析ができないのかという主催者の問題提起から始まった。このイントロで、「楽しみのための移動」を対象とする観光学もアプローチは正反対だが、ビッグデータを駆使した研究が必要だと感じていたので大いに共鳴した。ただし、精神疾患の場合、原因解明は病気治癒につながるわけであるが、観光学研究では、ヒトの移動するモチベーション解明であるから、それがわかったとしたら、誰でも対応することが可能となり、ビジネスとしての観光は成り立たなくなることになる。このことは、マーケティング全体に言えることである。その一方そのようなことは不可能といったとたんに、では観光学はサイエンスとしては存立できないということになり、マーケティングは博打と同じくサイコロを振って予測するということになるという、やや詐欺めいた研究なのであるということにもなる。
しかし、ことは簡単ではない。ビッグデータなら、テストデータもビックでなければ、数学的に意味がない。汎化誤差というのだそうだ。今のデータ量ではとても無理であるとの説明。10万人のデータ規模でないとということである。しかも、健常者の個人差が、精神疾患患者の個人差の倍もあるということであるから、これまで何の意味もない論文が数多く発表されていたのだという説明を聞き、現在の観光学会のアンケートを中心にした論文のことを思い浮かべてしまった。クロス集計も無理であるとのこと。施設格差が大きすぎて意味がないのだそうだ。病院がそうなら、ましてや観光施設は比較すること自体がナンセンスかもしれない。
それにしても、一を聞いて百を知るという人間は不思議なものである。
合原一幸東大教授が次世代人工知能と数理脳科学につて講演された。ニューラルネットワークとAIは前は交流がなかったが、現在は脳科学と3分野が交流している。神経の研究のため、ヤリイカの人工飼育に成功したというエピソード。現在のノーベル賞委員会に受けそうな話。神経スパイクの回路のモデルの話もあった。しかし人間はわずか20ワットの電源で脳を動かしているようだ。合原氏はattentionの数理モデルを開発中とか。蝙蝠がエサを探すときの脳の働きを分析し、自動運転に応用できると考えている。つまり実際の脳の非線形動力学の解明を目指しているようだ。脳の正常機能の数理モデル、異常機能の数理モデル、ゲノムのモデルから、脳の全体像を解明できないかということのようである
attentionは脳に制約があるから存在するが、AIには制約が少ない。パワーがあればattentionは必要がないのである
参加者からの興味は「人工知能で善悪が判るか」という、人工知能が倫理や道徳に与える影響をテーマにした講演であった。夢が読み取れるようになると、それでいいのかという話は、観光研究に共通する話である。人の行動をビッグデータから読み取れるとした場合、事前に犯罪を予測できるかという問題が提起された。マイノリティレポートというトム・クルーズの映画も紹介されていた。その場合に、例えば特定の人種のある社会背景を持った人たちがかなりの確率で犯罪を犯すと予測するデータを反道徳的として禁止できるか否かという問題提起である。AIのアルゴリズムにそれを書き込むことの問題提起であるが、フロアーから、それは受け止める人間の問題ではないかという意見が提起された。しかし、講演者は、人を殺してはいけないという命題に対して、刑の執行者は例外である等際限なく但し書きが必要となるはずであり、難しいのではないかという答えをされた。確かに、自動運転車の場合のアルゴリズムを作成するにあたって、事故が回避できない場合に、誰をはねていいのかいいのかというアルゴリズムが必要なのかもしれないが、そんなアルゴリズムは反道徳的となるのであろう。
ロボットのアイボ供養をする日本人のメンタリティの話がでて、針供養、人形供養をする伝統があるからだとの説明があり、さらに追い打ちをかけるように、実は、これらの供養は古くはなく、江戸時代にはなかったということで、伝統は古くはないという次節の補強材料がまた一つ増えることになった。でも、ネットには人形供養400年の歴史があるという長福壽寺が出ているが、嘘だとすると住職は大したものである。多分「現在のような供養の形は、すでに江戸時代に原型はあったようだが、上記のような有名どころでも供養が始まったのは昭和や平成になってからである」https://dot.asahi.com/dot/2017101300060.html?page=2という説明が正しいのであろう。
西垣通氏の論文 氏の話は「概念というものは社会的なもの」という一語に尽きる。「コンピュータが社会的概念を認識できるようになったわけではないのに、深層学習を過大評価した。それがAIが人間の知を超えてゆくという話ににもつながっていってしまった。困ります。」「将棋や碁は有限状態ゲーム」「宇宙あるいは世界というものは、一種の調和、秩序を持っている。それは音楽によってハーモニーとしてあらわされている。同時にそれは数学的・論理的な秩序を持つ幾何学であり神学。神様に行き着く。そこからバッハの平均律が生まれ、ニュートン力学が花開いて行く」といつもの西垣節が展開されていた。
関連記事
-
-
天児慧著『中国政治の社会態制』岩波書店2018を読んで
中国民族は概念としては梁啓超以来使われていたが実体のないものであった。 それを一挙に内実化し実体を
-
-
『公研』 2018年2月号 「日本人は憲法をどう見てきたか?」
歴史は後から作られるの例である。 境家史郎氏と前田健太郎氏の対談 日本国民が最初から憲法九条
-
-
○『公研』2015年9月号「世界のパワーバランスの変化と日本の安全保障」(細谷雄一)を読んで
市販はされていないが、毎月送られてくる雑誌に公益産業研究調査会が発行する『公研』という雑誌がある。読
-
-
羽生敦子立教大学兼任講師の博士論文概要「19世紀フランスロマン主義作家の旅行記に見られる旅の主体の変遷」を読んで
一昨日の4月9日に立教観光学研究紀要が送られてきた。羽生敦子立教大学兼任講師の博士論文概要「19世紀
-
-
『地方創生のための構造改革』第3章観光政策 論点2「日本における民泊規制緩和に向けた議論」(富川久美子)の記述の抱える問題点
博士論文審査でお世話になった溝尾立教大学観光学部名誉教授から標記の著作物を送付いただいた。NIRAか
-
-
Ctripの空予約騒動について 大山鳴動に近い騒ぎ方への反省
「宿泊サイト、予約しない部屋を販売」といった表題でテレビが取り上げ、関係業界内ではやや炎上気味であ
-
-
日本の観光ビジネスが二流どまりである理由
日本の観光ビジネスが二流どまりになるのは、人流に関する国際的システムを創造する姿勢がないからです。
-
-
町田一平氏の私の論文に対する引用への、厳しい意見
町田一平氏がシェリングエコノミーに関して論文を出している https://m-repo.l
-
-
大衆軍隊出現の意味 三谷太一郎講演メモ 学士会報2018-Ⅳ
226事件は、天皇の統帥権の名目化 軍隊の大衆化 軍隊内の実権は将官、佐官、尉官へと下降した
-
-
ジャパンナウ2019年9月号原稿「森光子記念館」
著名人の顕彰施設は著名である限りは存続する。問題は経年変化により著名人でなくなった場合である。文化
