観光資源としての吉田松陰の作られ方、横浜市立大学後期試験問題回答の例
今年も一題は、歴史は後から作られ、伝統は新しい例を取り上げ、観光資源として活用されているものを提示するようにしておいた。
今年は明治150年。明治維新の評価は、江戸時代の評価と関連して、後世何度も書き換えられるであろうが、鹿児島県、山口県、京都府、東京都、福島県では、観光資源化している面があることは間違いがない。しかし、私が学生の頃学んだ明治維新の評価からも、ずいぶん変わってきていることも事実である。
私自身も、松蔭大学の観光学部設置に多少かかわったので、あまり吉田松陰の評価に異議を唱えることには躊躇するところがある。また、市長の集まりの席で萩市長さんから、松陰をテレビで取り上げてもその描き方に問題があると、右翼からうっとおしいほどクレームが入るので、大河ドラマにはしずらく、その妹という取り上げ方になったとお聞きしたことを思い出した。
ネットでは、要約すると次のように堂々とその虚像を説明しているものがある。 「一言で言えば、松陰とは単なる、乱暴者の多い長州人の過激派若造の一人に過ぎない。今で言えば、センスの悪い地方都市の悪ガキといったところで、何度注意しても暴走族を止めないのでしょっ引かれただけの男である。ただ、仲間うちではほんの少し知恵のまわるところがあって、リーダーを気取っていた。とはいえ、思想家、教育者などとはほど遠く、それは明治が成立してから山縣有朋などがでっち上げた虚像である。長州藩自体がこの男にはほとほと手を焼き、遂には士分を剥奪している。つまり、武士の資格がないとみられたはみ出し者であった。 」
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/08/2325.html
他でもよく知られていることであるが、山形有朋が自らの政治的立場を大きく見せるため、松下村塾と吉田松陰神話を作り上げたという説である。江戸幕府では、まったく相手にもしていない者であり、犯罪者として取り扱われていた。私も高校生の時吉田松陰を歴史の授業で学んだが、尊王攘夷主義者が急にずさんな計画でアメリカに密航しようとするその意味がよくわからなかったことを思い出す。質問すると自らの理解不足をさらけ出すようで控えたものだ。
お隣の韓国では、安重根が国民の英雄であるが、日本での扱いはテロリスト扱いであるから、吉田松陰の扱われかたと似ているところがある。もちろん安重根が無差別のテロリストではないことは承知しているが。
何度も記述しているが、観光資源の価値はその刺激性にある。英雄も大悪党も世に知られていなければ、価値が出ない。その意味では、安重根は歴史事件を引き起こしたという刺激性には富む。一方、吉田松陰はおそらく日本では、神格化している集団には刺激性の強いものであるものの、大きな歴史事件との具体的かかわりは薄く、時がたつと、その観光資源としての価値は、西郷隆盛や木戸孝允ほどには高くなくなる可能性がある。刑死した点がなければなおさらであろう。といって、歴史観を大きく変えるテレビドラマは、刺激がありすぎて、ネット右翼からの攻撃にさらされるので、とてもではないが作成できないであろう。
関連記事
-
-
DVD版 NHKスペシャル『日本人は何故戦争へと向かっていたっか』第3回「熱狂はこうして作られた」(2011年2月27日放映)を見て 麻布図書館で借りて
メディアが戦争をあおり立てたというおなじみの話がテーマ。 日本の観光政策が樹立されていく1930年
-
-
Quoraに見る歴史認識 日中戦争(日支事変)ではなぜ和平をしなかった(できなかった)でしょうか?
日中戦争における和平の最大の機会は、第二次上海事変で圧倒的な勝利を収め、もうすぐ首都南京を攻め落
-
-
ヨーロッパを見る視角 阿部謹也 岩波 1996 日本にキリスト教が普及しなかった理由の解説もある。
キリスト教の信仰では現世の富を以て暮らす死後の世界はあ
-
-
マルティニーク生まれのクレオール。 ついでに字句「伝統」が使われる始めたのは昭和初期からということ
北澤憲昭の『<列島>の絵画』を読み、日本画がクレオールのようだというたとえ話は、私の意見に近く、理解
-
-
ゲルニカ爆撃事件の評価(死者数の大幅減少)
歴史には真実がある。ただし人間にできることは、知りえた事実関係の解釈に過ぎない。もっともこれも人間
-
-
『元寇』という言葉は江戸時代になって使われ始めた
Wikiでは、「「元寇」という呼称は江戸時代に徳川光圀が編纂を開始した『大日本史』が最初の用例で
-
-
書評 渡辺信一郎『中華の成立』岩波新書
ヒトゲノム分析によれば、山東省臨̪淄の遺跡 2500年前の人類集団は現代欧州と現代トルコ集団の中間
-
-
『訓読と漢語の歴史』福島直恭著 観光とツーリズム
「歴史として記述」と「歴史を記述」するの違い なぜ昔の日本人は、中国語の文章や詩を翻訳する
