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加太宏邦の「観光概念の再構成」法政大学 法政志林54巻4号2008年3月 を読んで

公開日: : 最終更新日:2017/03/27 用語「人流」「観光」「ツーリズム」「ツーリスト」

加太宏邦の「観光概念の再構成」法政大学 法政志林54巻4号2008年3月の存在をうかつにも最近まで知らなったが、とり急いで読んでみた。

〇 著者によれば、本稿の目的は、観光論を深めるとともに、観光政策の策定に資することにあるとする。そのうえで「観光立国推進(基本)法」や東京都の「観光産業振興プラン」「ビジット・ジャパン・キャンペーン」等は「観光とはなにであるかを定めないところから発生した問題」があるとする。観光者を「客」としてしか捉えられず,ひたすらインバウンドの数値目標に達する事を論じることを、まるで自動車のディーラーの販売促進会議であるとする。「観光を狭く考えないで, よりひろく緩やかにというのはありえる議論ではあるが,その場合も,広げるための核になる「観光」の概念は閑却されている」と記述している。同感できる部分もあるが、具体的数値目標を何にするかは政策論では重要である。

 氏は「実態でない観光の枠組みを,あえて定めることの目的は,観光を狭く解釈し,我が田へ水を引こうとするものでない。むしろ,定めないままの議論が,結果,集客施設の建設,道路行政,駅前開発など,いかにもモノとして形が見え,数値目標化できそうな,たんなる公共投資の方策へと利用され,恣意的にいかようにも拡散して観光を危うくしてしまう危険を防ぐためである。」とされるが、科学として客観的な指標を立てないで論じないわけにはいかないのではなかろうか。

 「観光と観光以外の施策や実践を区別することはきわめて重要」とされる点は全く同感である。次に「観光というのは,「文化」の問題」だとし「グローバル化の波は,あらゆる文化を平板化し,日常化していくだろう」とされる。非日常と日常が相対化するという認識には同感である。「日本の風物がすでに無国籍化し,非日常や異郷性などは消えつつあり,全国金太郎飴状態になりつつある。そういう中で,観光 が持続しうるためには,唯一,“グローカル”に郷土性を深めることである。すなわち,グローバ ル化の中でこそ,卓越する郷土の風物や郷土らしい演出や伝統・誇り・美意識・帰属意識などアイ デンティティにかかわる問題として観光をとらえなおすことである。郷土性がくっきりしていない空間で,いかに観光インフラを整備しようとも,観光的非日常は際立たないだろう。 今後,日本の観光者行動など,相関関係にさらに分け入った生産と消費と整序のサーキットを検討していくという課題も山積している。機会を得て,考究を深めていきたい」とされる。観光立国推進基本法の理念である国の誇り、地域の誇りと置き換えれば同じ趣旨なのであろう。私は感性アナライザー等を活用して脳の中の反応を直接把握分析する手法を開発できなければ氏の言う課題は解決できないだろうと思っている。
 
 続いて氏は、そのため観光概念の枠組 み(内包)の再構成を試みたとする。定義を「試みておられる。著者によれば 現在一番妥当だと思われるものはリヨン大学(元)教授のマルク・ボワイエの「観光は, 常住地域の外への旅行と一時的滞在から帰結する現象の総体である。ただし,その移動が余暇の中 で,近代産業文明における文化的欲求を満足させるものであること」とする定義だとして紹介されている。そのうえで氏の定義は「観光とは,近代市民社会定住者が,一時的離郷し,有償前提にして気軽楽しむために, 他郷風物を観に行き短期間滞在をする現象に関わることどもの総体である」とする。

そして、その個別の命題を次の8項目に分類する。

観光は,近代的・経済的社会に生活するものの実践である。
観光は,定住者が行う行為である。
観光には,他郷への意図的離郷が伴う。
観光は一時的である。

  この4つはほぼ事実に属する事象の確認であるとする。


観光は「観る」ことが中心になる。
観光は対象を消費する。
観光は軽快である。
観光は快楽である。

この4点は「必要条件」 への包含の確認であるとする。

私は何のために論じるのかという視点が異なれば、定義も異なるとおもっているが、観光という研究対象が論じる共通の法則があるとするのであれば、科学として共通の定義が自然とされるのかもしれない(ほとんどないであろうが)とも思っている。
定住、一時的離郷は定義を明確にすれば統計的把握は可能である。軽快、快楽は外形的把握が困難である(アンケート等に頼らざるを得ない)。

〇 氏の論議は具体的でわかりやすい。

目的観光こそが観光政策や評価研究の対象であり,随伴観光行為は前者の成果を享受するに止まるとする。白川郷は「目的観光」の対象であるが,群馬県桐生市となると,たとえば,企業の出張で訪問し,余暇時間で渡良瀬鉄道に乗る観光が付随するものだとする。

「観光の要件の中で,もっとも重要なのは,視覚依存の諸慣行である」とされる。つまり、観光はすぐれて視覚の作用に依拠する行為であるとされるのである。従って、体験や買い物や食などが主である行為は,少なくとも,観光行為とはみなさないのである。「「グルメツアー」 「ショッピングツアー」などと称するものは,集客のイベントの一種であり,商業主義的消費行為の要素が強すぎるのであるとする。「バスで団体客を大量に運んで,食事,入浴,購買,遊興をホテル内で囲い込んで完結させる競争を行ったが,ここから脱することのできない大手温泉町は,いま衰退の兆候がはっきりしている。今一度の温泉町の視覚 的「らしさ」へ工夫や対応が求められるであろう」とする。氏に言わせれば、温泉場が衰退したのは氏の定義する観光から外れたが故の結果なのであろう。しかしこの要件には異論のほうが多いのではなかろうか。

 氏は、観光は軽佻ともみなされ、真面目な「エコ・ツーリズム」や 「グリーン・ツーリズム」「学ぶ観光」がより好ましく思われる気風があるとする。確かに小泉総理の観光立国宣言まではその気風があったことは否定できない。そのうえで氏は真面目さは,観光をその本質から遠ざけるとする。「観光者は,帰宅して,明日への活力をよみがえらせるというような効用すら求めるのは、観光を本質的に捉えそこなえた発想である」と記述する。一つの考え方ではある。

 氏は「非日常空間がもたらすいくつかの論点」を上げている。例えば
「アマゾンのジャングルは,われわれ日本人の日常景と大きな差はあるが,魅力的な観光空間とはいえない。理由は人間文化の介在度が希薄であるからである。アマゾンは,単なる密林地帯である。アマゾンでの川舟をつかうエコ・ツアーは,観光でなく観察旅行や冒険にちかい(このことからも,エ コ・ツアーはありえても,エコ・ツーリズムは無効だという主張の正統性が証明される)。自然観光が成立するには,その自然が文化的自然でなくてはならない(このことは,観光の成立要件である「軽快さ」とも関係する)。すなわち自然も観光的である必要があるのである。スイスのアルプ ス地方が,山の自然観光空間として,世界でも有数の価値を持つのは,手付かずの自然ではないからである。原初から開墾の手が加えられ,牧草地化が行われ,また,19 世紀以来,道路,橋梁,トンネル整備や山岳鉄道敷設やホテル建設が行われ,隅々まで手入れされた高度な文化的「大自然」であるからである。この空間が観光的なまなざしと合致して,スイ スは観光国として成立していくのである。このことは,諸大陸の高山をもつ山岳地帯がすべて かならずしも有数の観光地となっていないことからも容易に理解できる。」
グリーン・ツーリズムやエコ・ツーリズムが観光をあらわすツーリズムということばを用いているために,ことを混乱させている」「グリーンが表わす農業や,エコが表わす自然環境 はそれ自体では観光資源でないのにそこを対象にすることをまでツーリズムと称するからである」と論ずる。ただし、筆者は,エコツアーやグリーン・ツーリズムそのものを否定するものではない。「わが国に未だ達成されていない長期連続休暇の余暇消費の形態としてはすぐれたもののひとつと信じるからである。だが,観光論で扱う範囲からは除外すべきだという立場である。」とする。明快であるが何にために論じるのかがわからなくなる。

「現実からの浮遊感 非日常空間によって惹起される浮遊感というのは,観光の度合いを高めるものとして重要である。」とされるものの、「日本人が最も好むショッピング観光というのは,日常の消費形態の延長であり,むしろ観光行為を毀損させる一因となっていることに気づくべきである。購買の行為は,あくまで観光行為に付随するものであり,主題ではない。ただ し,いわゆる「土産」を買うという行為は十分に観光的である。しかし,ハワイでフランス製のル イ・ヴィトン社製品を買うことは,みやげ探しの観光とは言いがたい。単なる買い物である」とされる。「遊興施設と観光空間との区別をつけておくこ とも必要」であり、「対象が限定的(すなわち,動物園では基本的に動物を見るということに限られ,野球場や映画館に来れば,「よそ見」が許されない)であり,じつは,非日常空間というより,日常ゼロ空間なのである。一ディズニーランドは観光地であるか,という議論も,この目安をあてがうと容易に「否」という答えが導き出される。」とされる。

「日本の会社や組織の慰安旅行や団体旅行は,観光度をかなりの程度損なわせているとみなすことができる。その結果,観光空間においても,視覚よりは,娯楽や 飲食の消費行動に結びついてしまうことになる」とする。

氏は、観光は「日常において非生産的で不要不急であるのに,あえて金銭的に購入する(消費する)ことが可能な社会においてのみ成立する行為」「一般の体力では凌げない難路であるとかいうばあいは観光とはみなされない」「観光という概念を逸脱」とされる。具体的にこれまで引用したのは、何のために論議するかという点で曖昧になってしまうことを主張したかったからである。

〇 観光政策論
氏の観光の定義は、極めて精緻であり、一つの主張としては尊重されるべきものであろう。しかしながら氏が観光政策論として論じられる部分には全く同調できない。その理由は、観光の定義を精緻に進められるのであれば。政策の定義も精緻でなければならないが、定義がしめされず、著者個人の価値判断によって断じてしまっているからである。

「総合保養地域整備法」(リゾート法)、グリーンピア「年金福祉事業団」、夕張市の観光政策を批判し、保養とか観光の意味がまったく考慮されていなかったからであると主張される。「観光概念における,「郷土性」や「まなざし」という原理が放置されているところにある」と一応論理的展開もされている。「余暇とそれに含まれる保養とか観光が土建・不動産の対象(モノ化する観光政策)でしかなかったことをよく表わしている。」「観光関係業界がこぞって推進し,全国の自治体を巻き込んで成立させた「国民の祝日に関する法律」(いわゆるハッピーマンデー)政策の問題は,有給休暇の消化率の低さ(46.6%)である」「個人の「精神」や「文化」にかかわる休暇という問題を数量でかたづける発想にこそ問題があるのである。」とする。

「観光地の振興政策を遠望するに,観光資源を独立したモノとして設定すれば観光客が来るだろうという単純な迷妄がまだ多く見受けられる。しかも,それらはわが国では多くが土木建築的発想や単なる思い付き程度の施設なのである。」と土木建築的発想を相当程度否定されるのは、「観光は何かと言えば」「文化現象」であり文化とは「ある枠組みのなかでの意味の生産と消費のプロセス」であるとされるからであろう。

そのうえで、「日常景を徹底的に破壊してきた当事者(運輸省・建設省・国土庁・北 海道開発庁=国土交通省)が,観光立国の提言を主管」「日本橋のみならず,日本橋川全流域を首都高速道路で蔽い 被せた(500メートルのみ開放水面)主体が観光施策の推進を行っている」と記述する。政策論と行政組織論との混乱がみられるのは行政の専門家ではないことの限界と受け止められるが、日本橋の件になると、観光資源として日本橋がみる価値があったかという点で景観の専門家には異論も存在するから、水掛け論になるはずである。

「日本の自治体の多くは観光を担当する「課」をおいているが,そのほとんどは「商工観光課」ま たは「経済観光課」に類似した名を与えられている。いまだに,多くの自治体では,観光は経済振興の中の一分野だと思われている。観光が経済効果をもたらし得ることは事実であるが,観光税でも徴収することがない限り,あくまでそれは波及効果であり結果でしかない。 わが国では観光を担当しているのは,さきほどふれたように,国土交通省であり,観光の本源となる生活にまつわる風物や風景,文化的資産や歴史・伝統そしてなにより国のイメージにかかわる仕事を管掌する官庁として,はたして適合性があるのか,そのことは今いちど慎重に考えたほうがいいように思われる。観光を正確に把握しないまま,振興の方策を講ずれば,いきおい,観光 は「モノ」化し,しかも拡大解釈のもとに拡散する」と畳みかけてきている。本稿が政策論を行うと氏が述べておられるから当然であり、他の研究論文には見られない明確性は感じられる。

「行政が関与するとすれば,それは,財政や法令や利害関係の調整などの重要な後方支援であろう。 その意味でも,かかわるべきは国土交通や商工観光ではないのでないか。たとえば,先に詳述した ように日本橋の上に首都高速道路を敷設し,一方で,日本へ観光客を呼ぼう(ビジット・ジャパ ン・キャンペーン)というのはいかにも矛盾した政策である。セーヌ川のポンヌフの上に高速道路 を蔽い被せて,なおパリが魅惑的な観光地であり得るか,ちょっと想像力を働かせれば分ることである。ここには建設発想でなく,文化的なまなざし理論を規定に据えられる思考方法こそが求められるのである」とされるのも氏としての一貫性である。

「全国一律に金太郎飴のような町並み,駅前開発が観光的風土を消滅させているのだという反省が大切である。観光政策として,可能なのは,郷土の郷土「らしさ」の検討,掘り起こし,醸成,演出につきる。フランスの場合,南仏へ行けば,いかにも南仏らしい村々が,ブルターニュへ行け ば,いかにもブルターニュの村がそこにほぼ100年昔のままの姿で出現する。この差異の体感の快楽を与える空間が観光の本来の資源である。観光施設を指定したり建設することではない。」とされる。主張される意図は理解できるが、ここまでくると、氏のお眼鏡にかなう観光政策が現実には存在できなくなり、また何のために議論するのかということになってしまう恐れがいよいよしてくるはずである。

「「観光立国推進基本法」第8条,第9条。なお,日本へのインバウンド数は,2006年度で世界第35 位で,中国(世界第4位)や香港,マレーシア,タイ,シンガポール,マカオなどと比べてもさらに下位なのだが(United Nations World Tourism Organization( UNWTO),2007年),数が問題でなく,外国の人たちが,なぜ日本に非日常の風景の魅力を感じないかという本質的な議論がなされ ないことが問題なのだ。「らしさ」を保証する環境の整備も演出も行わないで,国は,「観光産業の国際競争力の強化」(「観光立国推進基本法」第15条)というコンセプトで,観光を「産業」と位置づけ,まるで自動車産業やIT産業なみに「振興」しようとしている。入国ビザを容易にしたり, 海外へ宣伝活動をしたり,標識を外国語で併記したり,通訳を養成したり,接遇(ホスピタリテ ィ)を向上させたり,地域商品の開発をしたりすることが集客に結びつくと信じ込んでいる。とくに,「空港,港湾,鉄道,道路,駐車場」などの整備をしなくてはならない(第14条)というに至っては,観光政策に名を借りた土木公共投資振興策だと思わないではいられない。」とする。

近年の観光客が急増についてはその理由が説明できないことになるが、増加したのは氏の言う「観光」客ではないとすれば論理は一貫しているのかもしれないが、何のために議論するのかという問題を再び引き起こしてしまうのであろう。

「定義を構築することは,「現場を矯める関係に入る」という戦略で臨んだ結果,このような注釈になった。ジョン・アーリが述べるように,観光と日常は合わせ鏡状態にある」と閉めておられる。

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