「正座」の始まりは百年前 千利休は、あぐらをかいて茶を点てていたのである
公開日:
:
最終更新日:2023/05/28
旅館、ホテル、宿泊、民泊、不動産賃貸、ルームシェア、引受義務
ホテルと旅館を法律上区分する日本の宿泊法制度は珍しい。
その違いを考えると、和式と洋式の違いは「靴を脱ぐか否か」程度になり、それのの本特有ではないことに行き着く。
その思索の過程で、「畳」(旅館の特徴)の普及までは想像できたのであるが、なぜ日本人は正座をするようになったのか疑問を抱いていたが、一つのヒントが週刊現代に掲載されていた。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50264
普及のナゾにふたつの理由
和室での法事や会食、茶事など様々な場面で必要な「正座」。椅子とテーブルに慣れた現代人にとっては、畳の間での「正しい姿勢」と言われても、苦手な人が大半だろう。だが、ご安心あれ。日本人が古来より正座していたかというと、それは大間違い。礼儀作法の上で正座が定着したのは、ほんの100年ほど前のことだったという。
そもそも両膝を折って腰を下ろす座り方は、かつて「かしこまる」と呼ばれ、庶民が貴人の前で平伏する際など限られた場面での姿勢であった。時代劇などで見られる、奉行所のお白洲に呼ばれた町人の姿を想像してもらうといいだろう。逆に、今では行儀が悪いイメージの強い「あぐら」は、かつて「安座」と呼ばれ、江戸時代以前には大名の正しい座り方として認められていた。正座のイメージがありがちな茶道においても、千利休は、あぐらをかいて茶を点てていたのである。
では何故、「かしこまる」が正しい座り方として採用されたのか。実は、明治新政府が、国民に等しく修身教育を施すにあたり、外国文化との対比を強調しようと、日本人としてあるべき正しい座り方として正座を選んだという。
さらにこの同時期に起こった二つの事柄が、正座の普及と関係している。一つは、「畳」が誰でも使用できるようになったこと。それまで畳は贅沢品とされ、時として厚みや材質、縁の色や柄で身分を表現するのに使われていた。そのため農民や町人は畳を持つことができず、板張りの床での暮らしでは正座が定着するわけもなかった。
もう一つは、「脚気」の解明である。「江戸患い」と呼ばれるほど当時の人々に大流行したこの病気は、足の末梢神経障害を引き起こす。そのため、江戸時代の人々にとって正座は、まさに拷問に等しい姿勢であったのだ。明治に入ってようやく、脚気が白米を中心とした食生活によるビタミンB1の欠乏であると解明され、治療・予防法が確立される。こうして人々は安心して正座できるようになったのだそうだ。(栗)
関連記事
-
-
書評『ベルツの日記』
ベルツが来日早々に経験した江戸の華、火事に関する記事。シュリューマンと同じ目であ
-
-
観光とタクシー論議 (執筆時 高崎経済大学地域政策学部教授)
最も濃密なCRM(Customer Relationship Management)が可能なはずのタ
-
-
『ビルマ商人の日本訪問記』1936年ウ・ラフ著土橋康子訳 大阪は「東洋のベニス」
1936年の日本を見たビルマ人の記述である 1936年当時の大阪市は人口三百万、町全体に大小
-
-
歴史は繰り返す遊興飲食・宿泊税とDMO論議
デスティネーションを含んだDMOなる言葉が独り歩きしている。私がカタカナ用語のデスティネーションを
-
-
民泊仲介業標準約款への疑問
民泊と旅館の制度矛盾が感じられます。 旅館業法の唯一の法律事項は宿泊引受義務です。しかし、旅行業法
-
-
保護中: 🌍🎒シニアバックパッカーの旅 トリエステ(イタリア特別自治州🏳🌈㊳) 旅行準備資料 アルベルコ・ディフィーゾ
◎Stop Flixbus Trieste
-
-
運送機能の分化に対応した旅行商品の創成
レンタカー会社から高級車を借り上げ、多国語を操るカリスマ運転手を派遣してもらい、その他のサービスを組
-
-
動画で考える人流観光学 バブルと観光
白樺湖 https://youtu.be/SWRsednAXYM 清里 https