『骨が語る日本人の歴史』を読んだAMAZON感想文のメモ
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戦跡観光
「歴史は後からつくられるから、観光資源なぞいつでも作ることができる」と常日頃主張させていただいている。中東諸国の人々も「歴史とは脈絡のないばらばらの出来事の連鎖」(『非連続的存在感』)だと思っておられるようであるから、ますますそのかんを強くしている。
本書は、先史時代からの『日本人』の起源・歴史論である。先史時代(概ね旧石器時代から弥生時代後期・古墳時代末期まで)を対象とした、発掘に基づく「古人骨」から読み取れる科学的調査結果の歴史論、別言すると「骨考古学」からの日本人起源への歴史的アプローチと言って良い。
本書の特質は、まず徹底した「古人骨」の科学的(実証的)分析(DNA解析含む)及びマクロ的な古地形、地球環境史的な研究結果に従い、これまでの「港川人」(旧石器時代)を日本人起源論から切り離して別系統であることを示唆し、日本列島の旧石器時代人が「広く東アジアの大陸部から」集まったもので、これらが「混和融合」して「縄文人」を形成すると推論し、これを前提に論を進めていく。
「南方起源説」についてDNA解析や縄文人と「港川人」の相貌の検証から、説得力のある筆致でこれを明確に否定している。発掘に依る「古人骨」が豊富になる「縄文人」の特徴と「弥生人」との関係について、実証的・科学的に論を進めていくが、ここでもこれまでの大陸からの「渡来」に依る「弥生人」の形成と「縄文人」の駆逐という仮説、端的には渡来人形成説と縄文人との混合説という「二元論」に疑義を呈する。前述の理由として1)弥生人(渡来人)の「古人骨」が出土するのは、「人骨」の保存に非常に適合した土質の九州北部から山陰(日本海)側に偏っており、畿内から東日本では保存状態が適せずそもそも出土数に乏しい。このため渡来人が九州北部に少なからず居住していたことは言えても、このことから直ちに畿内・関東を含めた日本全体の情況(渡来人説)として敷衍することは無理があること、かつ渡来人の多いことを意味しないこと。(2)神戸市の遺跡から纏まって発掘された「弥生人」の「古人骨」の解析所見からは、旧来の「縄文人」の特徴・特質が顕著であり、「弥生中期」でも畿内には渡来系が窺えないことなど、以上のように非常に客観性・説得力のある2点を挙げている。著者は「弥生人」のルーツについて名言を避けつつも、上記のような渡来人(交代置換)説、単純な渡来人・縄文人混合説の何れも排除して、「倭人」(日本人)は、渡来人の系譜につながるもの、縄文人の流れを強く受けるもの、様々な形で混合するものであると帰納する
本書は「骨考古学」の成果を基に、先史時代(旧石器時代)から近現代までの日本人の頭骨や骨格の時代ごとの特徴や変遷について解説する。
●弥生時代は大陸から渡来人や文化が到来し、開かれた日本列島となる。人種や文化の地域差が大きくなり、混合状態と言える。渡来人に席巻されたと言うよりも、縄文人の弥生化が進んだと考えている。
●古墳時代には身体の階層化が進み、原日本人と言えるようなものとなる。●中世・近世と平均身長は低く成っていく。通婚範囲が狭まった影響としている。
●古墳時代から戦前に至るまでは、日本人の身体に大きな変化は無い。劇的な変化は戦後に生じる。離乳の早期化や栄養状況、生活環境の変化に拠る。
終盤には歴史教育批判、司馬史観批判が展開される。前者では西洋史、東洋史しかない歴史学では正しい世界認識を持てないと力説。
司馬史観批判は、その英雄史観への批判と考えられる。
縄文人は、世界でも有数の「海の民」であり、身体特徴は『現生人類の大海に浮かぶ人種の孤島的存在である』という研究者もいるほど特異的。アボリジニやボリネシアンなどと同様、長く孤立して独特な身体特徴が表現されたケース、というのには驚く。
『DNAでたどる日本人10万年の旅』崎谷満でも、成人T細胞白血病の分析からきていたアイヌ・沖縄同根説は違うし、琉球語には西九州の影響が強く残っている、というあたりに驚かされるが、骨というさらに唯物論的な対象の研究でも現代沖縄人は、mtDNAも血清Gm型も日本人の範疇に収まるとのこと。
南島論は柳田國男からの系譜もあるが、琉球のシャーマンたちの儀式と天皇即位の際の大嘗祭の類似が指摘されていたけど、骨を分析すれば南九州の弥生人が沖縄にわたって、グスクをつくるなどをしての内乱の後、15世紀に琉球王朝が成立したけど、17世紀にあっさり薩摩に侵攻されてしまった、という身も蓋もない歴史になるという。さらに、著者は「アイヌは擦文文化人、続縄文人、縄文人に遡れるが、オホーツク人とも混交するなど、北方系民族の影響を強く受けている。「このアイヌと、日本人、日本語との類似が高い沖縄人とは、事情が異なる」とまで書いている。
北から西から列島に流れ着いた小数の人々は、完新期の温暖化による海進により孤立した、と。列島には大陸部には少ない臨海部が増え、多彩な海産物が、縄文人の身体的特徴を生んだ、と。彼らは外から来たというより日本という「縄文列島」に産まれ育った、と(p.183-)。それは列島にバラ蒔かれたゴマ粒のような存在だったけど、それをベースに各地域でさまざまに変容した縄文系「弥生人」が育ち、そこに、北部九州から日本海沿岸部にかけて住み着いた渡来系『弥生人』が重なった、と。続いて、そのあたりを中心に両者が混合して生まれた混血『弥生人』が加わった。これら総体が倭人である、
骨考古学とは、イギリス圏でOsteo-archaeology、アメリカ圏でBio-archaeologyと称される領域で、遺跡から発掘される古人骨や遺存体などから当時の人物像や生活像を実証的に推測する理系の研究分野。わざわざ「実証的に」「理系の」としたのは、日本で考古学というと文系のイメージがありますが、海外で考古学は理系に分類される科学的な実証が不可欠な研究だからです。まず共感したのは、≪倭国の時代であっても、どこからどこまで倭人がいたのか。律令国家が始まっても、中世となっても、どこからどこまで、日本人の広がりがあったのか。だから、日本列島の歴史だとか、日本列島人の歴史だとか、そうするのがなによりもよいのだろうが≫と前置きされたうえで、≪本書の性格を勘案して、日本列島人と「日本人」とがまぎらわしく濫用されていても、ご容赦願いたい≫とエクスキューズされていることです。「倭=日本」ではありませんし、倭と日本との概念の重なりも時代によって異なりますが、最近はテーマ上で区別が必要な歴史本でさえも何の断りもなしに濫用、混同されていたりします。
「縄文人と弥生人」という「日本人二重構造論」「交代説」「置換説」などを否定「日本人二重構造論」などの仮説はすでに他の理系研究者によって科学的に否定されているが、文系の歴史学者や考古学者、あるいは教科書などでいまだに記述が見られる。今回、骨考古学の立場からも「日本人二重構造論」などの仮説が否定された事実を日本の文系アカデミズムには真摯に受け入れていただきたいところ。
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