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東アジア観光(文化)を論じる際の共通基盤(漢字、儒教、道教、仏教、律令、科挙等)

公開日: : 最終更新日:2016/11/25 戦跡観光

○ 東アジア圏の観光を論じる背景(漢字、儒教、道教、仏教、律令、科挙等)
 観光研究のテーマとして、日中韓にモンゴル、ベトナム等を加えた東アジアの人流・観光を論じてみたいと思っている。日本と中国、韓国の間で歴史認識をめぐって論議が発生しているが、人流・観光の観点では人の移動は拡大趨勢にあるからである。
 この場合に日韓歴史共同研究報告書・教科書小グループ編でも指摘されているように、戦後の世界史教科書執筆者や国家主義のアジア主義者、西洋知識人のアジア主義者が論じるところの東アジア共通文化論は、日本の常識の延長でしかなく、パセティックなものである。人流観光を論じる枠組みとして地理的な概念としての東アジア圏を念頭に置かなければならないであろう。
 観光学の中心概念は人を移動させる動機づけとなる「観光資源」である。その観光資源は世界遺産に代表されるように通常自然観光資源と文化観光資源に分類される。しかし、私は自然観光資源であっても文化概念であると思っている。自然概念のひとつである山岳だとか岬、海洋といったものは文化概念である。文字を使用して表現する以上は文化概念にならざるを得ないのであろう。さらに音、におい、色彩等に代表される非言語情報も頭の中の反応であり、究極文化概念に収れんされるのであろう。その意味で、地域概念としての東アジアの人流観光をテーマとして論じる場合にも、文化を離れて論じられないのであるが、歴史認識では対立しても、人の移動現象としては対立どころか拡大、調和する関係を論じてみたいと思うからである。Final Vocaburaryとして考えられている「日帝」「独島」「親日」「原爆」「天皇」であっても資源となりえるところが観光の面白いところであり、共通認識を形成できるところである。
 観光資源の評価に関し、公的評価と捉える場合には、その「公」が問題となる。例えば国の場合は国の政策目的が明確でなければ評価は可能ではなく、観光資源としての評価は外国人観光客を対象とする「外貨獲得」という政策目標への寄与度が評価とならざるを得ない。観光資源としてではなく文化資源としての場合、客観的基準の設定は困難であるが、公的機関の認定等の手段により行われるのが通例である。従って公的機関が「国」と「自治体」で異なるものであるから、その評価も異なることとなる。上下関係はわが国の場合でもないこととなっている。逆に桂離宮に代表される皇室財産のように文化庁の判断にゆだねる必要のないものは、文化財保護法の重要文化財の指定を受けていない。日中韓で文化資源評価を政策的に行うことは、共通の公的認定機関を設置する以外にその方法手段は現在のところ考えられない。従ってユネスコの世界遺産制度が活用されるわけである。南京事件の資料が世界記憶遺産に登録されたことをめぐり、日本政府高官はユネスコの負担金を見直す発言をした。しかしながらユネスコの評価と日本国の評価と東京都の評価が一致しなければならないという基準は存在しない。東京都は日本国から離脱できないが、ユネスコは離脱可能であり、その意味では民間の評価に近いものがある。
 文化遺産=観光資源ではない。観光資源の評価を公的に行う場合の評価基準を、観光立国基本法のように「国、地域の誇り」に求めたところで、客観的基準を示すことは困難であり、評価機関も設置することは困難である。ましてや日中カ韓においては更に困難であろう。最終的に客観的基準を示す場合には、経済効果獲得、集客力といった価値評価から切り離された基準を基に考えざるを得ないであろう。経済効果に重きを置く考え方の代表の一つが外貨獲得であるが、現在の外貨ポジションでは、日本も中国も政策目標とはなりにくい。従って集客基準に求めざるを得ず、集客目的を「誇り」に求めると、共通の「誇り」形成が困難となる。従って、集客基準を「誇り」に求めるのではなく人の「興味」を引く力といったものに求めざるを得ないであろう。
 公的出ない評価に関しては観光政策を論じるのではなく、一般的な観光資源論で論じることになる。従来はその評価はアンケート調査等により試みられてきた。筆者は、この点に関して其の非科学性を指摘してきた。主な論点は、対象となる観光資源をすべて同列に取り扱うことであり、いわば体重と身長を足し算するようなものであると批判してきた。神社と古民家を同じ基準でアンケートに答えさせるわけである。またアンケートに答える者の観光資源に対する刺激度を単純に三段階(好き、普通、嫌い)等に区分していることである。近年急速に進歩している脳内、体内反応を簡便に測定する機器を活用した調査が進められてもよいと思っている。

○ 西方文化と東アジア
 ヨーロッパは、ギリシャ古典哲学、ローマ法とユダヤ教・キリスト教の一神教の三つの伝統が文化システムとして世俗化した世界が共通基盤にあると教科書的には説明され、とりあえず観光資源としても共有できる基盤があると認識されている。この西洋文明が東アジアに西方文化としてもたらされ、、それぞれの地域で時代に応じて受容していった。観光資源の中心的な部分を構成すると考えられている「美術」概念は西方文化によりもたらされたものである。漢字文化圏では美術概念は存在しなかったのである。
 十字軍時代の「西洋」はローマ帝国末期の「西方」の承継者であると同時に、ルネサンス期以降のいわゆる「ヨーロッパ」を生む母胎でもある。非西欧的な境界外の異民族に対する極端に排他的な異教徒観が形成された。「東洋」中国王朝はこれとは異なっていた。
 では、西方文化を受容した日本、中国、韓国等の東アジア諸国には、西洋文明に匹敵する世俗化した共有基盤があるのであろうか。これもまた教科書的には東洋文明として説明され、その骨格は中国文明が構成し、近代になり西方文化を受容する部分の影響をそれぞれの地域の違いとする認識が出来上がっている。具体的には、漢字、仏教、儒教、律令等を通して共通の観光資源として認識がどの程度共有できるのか考えなければならない。

○漢字:日本、朝鮮、ベトナムもながらく漢文が公用語であり、その語彙には深く漢字文化がしみ込んでいるが、長期間の廃止が復活を困難にしている。
(『漢文と東アジア』金文京著 岩波新書2010年による)
 国家という概念がまだはっきりせず、言語構造についての知識の未熟であった時代、日本語と中国語が系統の異なる外国語であるという明確な認識はなかった。しかも広い中国では、各地の方言ごとに漢字の発音はまちまちである。古代の日本人や朝鮮半島の人々が、自国語を中国語の方言と同じレベルで考えていたとしても無理はない。
 日本人の訓読は近代化以前、すでに中国にある程度知られていたらしい。戊戌政変が失敗に終わった後、梁啓超は逆訓読法 中国人が西洋の学術を学ぶには、西洋の本を読むよりも日本の本を読むほうが手っ取り早い。
 訓読は漢文を読み、翻訳するための一つの方法にすぎないが、その歴史には、仏教伝来、国風文化、仏教と神道の相克、朱子学の導入とその展開、そして西洋文明の受容に至るまでの思想史、文化史の変遷が反映されている。そのことは、以上に述べた訓読の四つの時期が、古代律令国家期、摂関政治・院政期、武家執権期、近代という歴史の流れとほぼ一致していることからもうかがえる。
 古代の中国は日本語など周辺地域の言語と語順が逆の言葉であるが、近世以降の中国語、特に現在、標準語となっている北京語など北方の言語は必ずしもそうではない。北方遊牧民族のアルタイ語系言語の干渉であったと思える
朝鮮はなし崩し的に訓読が自然消滅したこと、それに対して日本では再三の訓読廃止論にもかかわらず、訓読自体はついになくならなかった
○儒教:儒教は前漢末期(前一世紀)までに国教化がほぼ達成された。国教化(他の諸子百家より優位に立つ)を進めた儒教は華夷思想を整え、直接支配できない周辺諸国、諸民族を中華王朝のもとに取り込む東アジア世界の一体化が形成されていった。この東アジア冊封体制(諸国の君主に華王朝の王号・爵位を授けて其の外臣とする体制)。宋代からは仏教、道教より優位にたち科挙試験科目になる
○仏教:漢訳経典 チベット、モンゴルはサンスクリット ベトナムは小乗仏教
○道教:儒教が易の経典化のなかで道教の二世界論を取り入れた。もともと儒教とは何の関係のないものであったが、観光の語源としてまで紹介されるように深く日本社会にも入り込んでいった。『中国思想史』東大出版会p.10
○律令:唐と同様の体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは冊封を受けていなかった日本だけである。律令を制定できるのは中国皇帝だけであるからであるが、新羅、ベトナムにも、中国との距離感から学説は様々存在する。
○科挙:近代以前の政治体制の共通認識形成を考える場合に科挙制度を考えなければならない。日中の歴史共同研究において中国人側研究者は「科挙が存在しなかったことの日本社会の発展に対する意義」は、唯物史観的印象のもたれる見方である。科挙は本来は非常に合理的であり、人材の尊重を体現している。フランスのENA制度も学力評価を基準とすることが最も合理的であるとの認識の上に構築されている点で、現代版科挙である。しかし、現代中国の研究者は、その合理性は評価するものの、中国社会の各階層(士農工商)間の流動性を高め、その結果それぞれの業種が持続的に発展することが困難な状況を作り出したと認識している。科挙制度が継続されなかった日本は、その結果流動性が少なく、農工商は政治の領域に足を踏み入れることができなかった(中国の概念である士農工商は、日本では職域区分であるとする研究者も出てきており、流動性もあったとする反論も成り立つ。)。その結果それぞれの領域から人材が輩出され多元的な発展がみられた。勉強して官僚になろうというみちは完全にふさがれていたから、中国の士大夫からは「末木」とみなされていた科学研究に関心を注ぐこととなった。西方文化が日本に流入したとき、知識人は積極的に研究。読書人も社会教育全体も、文学・詩文と経学とに偏重、人文的教養を栄誉とし、尚武を恥とした。このような普遍的な価値志向は中国が長期の弱体化の趨勢にあった原因の一つと認識する。科挙制度は、日本では盛行されず継続もされなかったが、ベトナムでは1075年~1919年に実施され、朝鮮では958年~1894年に実施されていた。朝鮮は司馬遼太郎が小中華と評したように、中国以上に中国の制度を墨守していた。中国人研究者は東アジアにおいて日本が植民地を回避できた理由に科挙を取り入れなかったことをあげている。
 キリスト教圏においても、カトリックとプロティスタントの対立はつい先ころまで北部アイルランドで展開されていた。今日の日韓関係の比ではない。しかし対立があるということは対立する論点が存在するという共通認識は少なくとも存在する。大乗仏教だけが仏教で小乗仏教そのものの存在を認識してなかった日本ではいまだに小乗仏教国の観光資源への理解が進まないこともその反証である。そのうえで価値から離れた、人の興味だとか刺激という概念だけで、観光資源を論じられるか考えてみたいと持っている。
 明治維新が日本で成功した、というより西洋型の仕組みを受け入れに成功した日本と、西洋型の仕組の受け入れが困難であった(必要がないと思っていた)清朝政府の差が表れたという理解が適当であろう。日中戦争の発もその結果生まれたものである。そのうえで泥沼化したことは、アメリカのベトナム戦争、アフガン、イラク戦争と思えば現代人には理解がしやすい。韓国の情勢は大統領の政治的情勢以外に理解が難しい。北朝鮮との分裂国家であり、壮絶なる地上戦を経験している意味で沖縄と共通するから、そのあたりに手がかりがあるのかもしれない。政治情勢もアメリカが相手なら日本も譲歩しているのであろうが、韓国相手となると国内イデオロギー情勢が容易ではない。
  中国は共産党による人治国家であり、日本は法治国家であると認識されている。日本が法治国家を目指したのは、西洋社会の理解を得るため条約改正を国策としたからである。しかし、勝海舟は徳川時代について「徳川氏のやり方は・・・その重んずるところは、その人にあるので、法律規則などには、あまり重きを置かなかった。八代将軍に至って、はじめて諸法度の類もでき上ったくらいだが、これとてもすべて法上時代の式目が土台になっている。」と記述しているように、DNAに法治国家思想が組み込まれているものなのかは疑わしい。今回の集団安全保障論議からもその考えがより強く感じられるのである。
 宋代に封建制が廃された中国は、グローバル化では日本よりずっと先進国だったという認識がある。いまから千年前の宋の時代に、近代的政治経済システムが確立されたという認識である。欧米起源の『法の支配』『基本的人権』『議会制民主主義』等の仕組みはすべて中世貴族の既得権益が起源であるから、宋代に貴族階級が消滅した中国社会にはなじみにくいとする考えも成り立つのである。
 中国長期在住者のコメントによれば、中国という社会は、外から見ていると、人権がない不平等な社会に見えるが、中で住んでみると極めて平等な社会ということを感じるらしい。男女差別も日本や西洋諸国よりかなり少ないと思われている。経済の自由、機会均等の自由は、改革開放で生まれたとはとても思えず、あたかも太古の昔から保障されているかのように見えるらしい。
 一方で日本はというと、江戸の社会は封建制で、その土地に代々続く統治者(藩主)とそこに土地を持って住む農民と役割をイエごとに割り振る運命共同体を作った。だからイエを離れる次男、三男は丁稚奉公に出て行くしかなく、それが使い捨ての社会を作っていると。それが戦後会社をイエとする社会を作り、そこから脱落した人には冷たい社会が出来上がっている。
 (この普遍性・汎用性ある「中国化」の起源は前述のように「宋」に求められ、政治面では機会平等の科挙試験による官僚制を基盤とした効率的朱子学による高い倫理性に裏打ちされた皇帝専制統治、経済面では銅銭の貨幣経済が発展した身分制が取り払われた移動自由な平等社会の実現が生まれたとされる)

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