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Quoraに見る観光資源  漢字が日本に来た頃、日本に中国語を話す人はいたのでしょうか?漢字は書き言葉ですが、漢字すなわち古代中国語を話す必要性は日本にあったのでしょうか?蔡 鸟 (Cai Niao),

公開日: : 最終更新日:2020/12/01 伝統・伝承(嘘も含めて), 観光資源の均一化

漢字が日本に来た頃、日本に中国語を話す人はいたのでしょうか?漢字は書き言葉ですが、漢字すなわち古代中国語を話す必要性は日本にあったのでしょうか?蔡 鸟 (Cai Niao),

それはもう。

百済から漢字が日本に本格的に伝来した538年、応神天皇15年。朝廷に献上された未知の道徳体系「論語」を読めたのは渡来人だけだったでしょう。

しかし西暦600年、隋の記録に、次のような記載が現れます。

開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之

開皇二十年、倭王の阿毎 多利思北孤 阿輩雞彌(アメ・タラシヒコ・オオキミ)が使者を遣わせ謁見した。高祖文帝が役人を通じて国の風俗を尋ねると、使者は「天を兄、日を弟と信仰しているため、オオキミは夜明け前に政治報告を受けると、日が昇る前に仕事をやめ、後を弟に任せる」という。帝はこれに納得できず「それ政治家としてどうなの? 改めなよって言ってやって」とコメントした。

というちょっと気まずい記録です。これが初回遣隋使なのですが、恥ずかしかったのか、日本書紀には載りませんでした。でも隋でしっかり名前が記録されちゃっています。

めげずにセカンドチャレンジです。607年、第2回遣隋使。今度は下手なことを言わないよう、小野妹子に国書を持たせての挑戦です。しかし日本チームここで痛恨のミス。国書に「天子」という文字を出したはいいのですが「天子は世界に一人で十分」という暗黙のルールを知らなかったのです。皇帝は役人に対し「ああいう常識のないのを俺の前につれてくるな」とキレたと伝えられており、役人は小野妹子に「だめだよあんな変なこと書いちゃあ……」と説教をしたに違いありません。それでも皇帝は、遠い島だから文化っていうものがよくわかってなかったんだなと機嫌を直して、小野妹子といっしょに勅使の裴世清を倭まで同伴させます。

裴世清が持たされた手紙がこちらです。日本書紀に載っていました。

皇帝問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇 思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境內安樂 風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄 比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別

要するに「そっちでもよろしくやっているようでくるしゅうない。使節送ってくれてうれしかったよ」と書いてあります。やったね。

小野妹子も手紙を持たされていたそうですが、なくしてしまいました。本人は百済のスパイに盗まれたと言っていますが、一説には小言か何かが書かれていて見せたくないので隠したという妹子小学生レベル疑惑もあります。

さっそくその翌年、608年に妹子はリベンジに挑戦します。今度は高向玄理、南淵請安、僧旻らを隋に留学させることに成功します。やったね妹子!

しかし612年ころから隋の安定はあやしくなり、3人の留学生は618年の隋の滅亡と唐の建国を経験することになりました。このときの経験は7世紀になって倭国の改革に生かされることになります。

さて時代は遣唐使に移ります。唐の皇帝は倭国に親切で、「俺の属国の中でおまえらの国が一番遠いんだよね。決まりでは毎年朝貢してもらうことになってるけど、距離的にパないと思うし、無理だったら毎年とかじゃなくてもいいから」と言ってくれます。神か。倭国の中にも中国語の自信がある人材もできてきたし、これからは政治や技術、仏教をばりばり学び取ろうとはりきっていた矢先、朝鮮半島で百済が孤立。百済は唐を敵に回してしまい、新羅と唐の連合軍に攻められているというではありませんか。

白雉2年(651年)、左大臣巨勢徳陀子は、中大兄皇子に対し「友好国百済を放っておくわけにもいきません。援軍を送り新羅を攻撃しましょう」と進言。しかし国内では大化の改新が一段落ついたばかりで余裕もなく、このときは却下されました。

戦う余裕がないとはいえ、貴重な友好国の危機を静観している訳にもいきません。白雉4年(653年)・5年(654年)に遣唐使を連続して派遣。唐に停戦の説得を試みたようです。しかし659年、第4次遣唐使たちは、作戦漏洩を恐れた唐によって逮捕されてしまいます。倭唐間の亀裂はこのとき決定的なものとなりました。

天智天皇2年(663年)、百済復興戦線と倭の連合軍は、唐・新羅軍と朝鮮半島の白村江で最終決戦を行います。日本側が送り込んだ指揮官は、新羅の城を2つ落とした実績のある上毛野君稚子、北海道で蝦夷を服属させた阿倍比羅夫。百済の頭には百済最後の王である義慈王の王子、扶余豊璋が立ちます。兵力は倭軍42,000人、百済軍5000人の合わせて47,000人。しかし対する唐軍は130,000人、新羅軍50,000人の大群です。倭は総力戦だったのですが結局敗退。3人とも朝鮮半島を追い出され、倭にもどってくるしかありませんでしたが、絶対不利の状況で善戦したとして厚遇を受けています。

その後第5次から第7次遣唐使は、唐に平謝りをするために送っていたようなものだったでしょう。天智天皇10年(671年)、唐の使者が武装した2000人を引き連れて突然筑紫国を訪問。なだめたりすかしたりしても一向に帰らず、いろいろ贈り物をして半年後にやっと帰るという事件も起きました。ここからは気まずくなり、しばらく遣唐使はお休みです。

702年、第8次遣唐使が、31年ぶりの倭唐国交正常化に成功します。倭は「日本」というかっこいい国号をもらいました。「倭」はチビという意味だったのでかなりの前進です。ここはできる人材をびしっと送り込んで唐を驚かせてやらなければなりません。

そこで白羽の矢が立ったのは、優秀さで注目されている19歳の阿部仲麻呂くんです。第9次遣唐使に同行する留学生として唐に送り込まれた阿部くんはその後、唐で官吏登用試験に合格。皇帝も「おまえマジあたまいいな」とお気に入りです。

ハノイで行政長官を任されたこともあります。

漢語はもちろん、作詞の才能があり、李白とも交友がありました。仲麻呂が遭難死したという誤報を聞いて、李白は仲麻呂を悼む「哭晁卿衡」という歌を作り、後で笑い話になりました。

才能、地位、名誉、皇帝の寵愛まで受け、中年になった阿部仲麻呂には、ひとつだけ叶わないことがありました。祖国日本への帰国です。

老年期を日本で過ごしたいと乗り込んだ船が難破して帰れず、漂着先がベトナムであると聞きつけた日本から迎えの船が来たのですが、皇帝は「むちゃしたらだめだよ!また遭難して死んだらどうするの?」と日本船での帰国を許しませんでした。唐に戻って再び皇帝に仕え、その人生を終えました。

彼が故郷を懐かしんで詠んだ漢詩が残されています。

翹首望東天

首を翹(あ)げて東天を望めば

神馳奈良邊

神(こころ)は馳す 奈良の辺

三笠山頂上

三笠山頂の上

思又皎月圓

思ふ 又た皎月(きょうげつ)の円(まどか)なるを

『全唐詩』巻732

日本では和歌として知られているようです。

天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも

「大きく広がる空を仰ぎ、遠く見渡してみると、そこには故郷奈良の春日にある三笠山に昇っていたのと同じ月が見える」

唐の玄宗・粛宗 ・代宗の3代に渡って仕え、770年、阿部仲麻呂は没します。文献には「各地からの留学生で唐の朝廷に名を挙げた者は阿部仲麻呂と吉備真備の二人だけである」と記されました。倭の朝廷に百済より論語が献上されてから、232年後のことでした。

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