*

書評 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』日本の近代化にとって天皇制とは何であったか

公開日: : 最終更新日:2020/12/01 歴史認識

日本の近代とは明確な意図と計画をもって行われた前例のない歴史形成の結果

前近代の日本にはこれに対比しうる顕著な歴史形成の目的意識性を見出すことは難しい

しかしそのことが歴史的独創性を意味するものではない 欧州の経過資本主義を受け入れることを前提として形成

目標は自明 方法が不明 日本自身が機能の体系として再組織化 機能主義的思考様式の重要性を強調 福沢諭吉、田口卯吉、長谷川如是閑、田中王道、笠信太郎

しかし欧州が機能の体系としてとらえられえるものではない。そのことが分かっていた永井荷風

キリスト教の機能的等価物としての天皇制 聖と俗の二元の欧州

詔勅批判は自由か? 大日本帝国憲法下で副署のない例外的な詔勅があった。

それが教育勅語 詔勅批判の自由を主張する美濃部を検事は追及

井上毅 勅語の宗教性と道徳性の徹底した希薄化 政治的状況判断の混入の排除

道徳の根源が皇祖皇宗の遺訓  日常化した儒教的徳目

国務大臣の副署のない、立憲君主制の原則によって拘束されない絶対的規範として定着 宮中にいて文部大臣に下付する方法をとる

日本の近代においては、教育勅語は多数者の論理、憲法は少数者の論理 不安定化を促進

関連記事

no image

『シベリア出兵』広岩近広

知られざるシベリア出兵の謎1918年、ロシア革命への干渉戦争として行われたシベリア出兵。実際に起

記事を読む

no image

ソ連の北方四島占領作戦は、米国の援助のもとで実施されたという「発見」 『さらば!検索サイト』太田昌国著 現代書館 

また私の頭の中で「歴史は新しく作られる」という例が増加した。表記のpp.77~79に記述されている

記事を読む

🌍🎒2023年8月29~30日 シニアバックパッカーの旅 エルビル(国連加盟国167か国目イラク・クルド自治地域)

facebook投稿文 2023.8.29 アシガバートからイラクはエルビルへ。

記事を読む

no image

Quoraにみる歴史認識 高2です。東京書籍の教科書には、朝鮮総督府が言論などの自由を奪い、武断政治をした。所有者の明確でない土地を没収し多くの農民が困窮したとあります。これを戦前の日本に肯定的な人はどう捉えるのでしょうか。?

私は別に「戦前の日本に肯定的な人」ではないのですが、東京書籍の教科書がそれしか書いていないのだと

記事を読む

no image

歴史は後からの例「殖産興業」

武田晴人『日本経済史』p.68に紹介されている小岩信竹「政策用語としての「殖産興業」について」『社

記事を読む

no image

保阪正康氏の講演録と西浦進氏の著作物等を読んで

日中韓の観光政策研究を進める上で、現在問題になっている「歴史認識」問題を調べざるを得ない。従って、戦

記事を読む

no image

横山宏章の『反日と反中』(集英社新書2005年)及び『中華民国』(中央公論1997年)を読んで「歴史認識と観光」を考える

 歴史認識を巡り日本と中国の大衆が反目しがちになってきたが、私は歴史認識の違いを比較すればするほど、

記事を読む

no image

書評 渡辺信一郎『中華の成立』岩波新書

ヒトゲノム分析によれば、山東省臨̪淄の遺跡 2500年前の人類集団は現代欧州と現代トルコ集団の中間

記事を読む

no image

安重根の話 

韓国でも安重根は韓国の独立のために伊藤博文を暗殺したとされているが、それは大きな間違い。彼は熱烈な

記事を読む

no image

Quoraに見る歴史認識 偉い人ほど責任をとらなくてよくなる、日本特有の謎システム、インパール作戦から続く日本伝統ですか?

元々は江戸時代に確立された風習ですね。 すなわち。 江戸幕府というのは、不思議

記事を読む

no image
🕌🎒2025シニアバックパッカー国連加盟国192か国達成の旅 計画作成

国連加盟国192か国を訪問するという計画も残り4か国となっている。その

no image
🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 福建省(24番目)厦門

中国渡航にビザが必要な段階で計画したので、金門島から廈門に渡る

🌍🎒シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 台湾省🏳‍🌈 金門島

  昨夜桃園空港から台北駅に鉄道で移

no image
🌍🎒シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 台湾省🏳‍🌈 台北

国連加盟国第一か国目は中国。1970年に香港、台湾と旅行した。当時は、

🌍🎒2024シニアバックパッカー南極太平洋諸国の旅 パラオ共和国(国連加盟国188か国目)

    2024年12月4日早朝マニラから

→もっと見る

PAGE TOP ↑