QUORAの再掲載 南京大虐殺のあった無かった論争はどの様な証拠があれば決着がつきますか?
公開日:
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最終更新日:2023/05/29
歴史認識
南京大虐殺のあった無かった論争はどの様な証拠があれば決着がつきますか?Koike Kazuki, IT系企業の会社員 (2017〜現在)12時間前に回答しました
>御遺体が必要です。
よくこういった要求を目にするのですが、突っ込みどころが結構あります。
【1】このようなことを仰る方々が検証したいのは、本当に南京大虐殺の存在でしょうか。実は南京攻略戦の存在を検証しようとしてしまっていませんか。「南京攻略戦は無かった!」と言うのであれば、まずはハッキリとそう主張するところから始めて頂きたいですね。
【2】揚子江岸で虐殺された遺体を撮影した写真があります。遺体が見たいならこれらでよいでしょう。
当時現場では、「新聞掲載事項許否判定要領」という陸軍の検閲制度が実施されていました。それによると、
四、左に列記するものは掲載を許可せず
(12)我軍に不利なる記事写真
(13)支那兵又は支那人逮捕尋問等の記事写真中虐待の感を与うる虞れあるもの
(14)惨虐なる写真 但し支那兵又は支那人の惨虐性に関する記事は差支なし
――とあり、一般人は虐殺現場の写真など撮影できる状況ではありませんでした。そのような状況下でも、当時識字率の低かった中国国民に事態を知らせようと国民党等が努力した結果、中国側からはいわゆる「ヤラセ写真」が出てくる結果となったのだと考えられます。それに対して上に挙げたものは、日本軍の兵站自動車第17中隊の村瀬守保氏が撮影したものです。彼は報道カメラマンではなく同中隊の非公式な写真班という立場で、検閲を受けずネガを保持できる状況にありました。信憑性の高い写真です。
【3】南京は陥落後8年近くに渡って日本の傀儡政権の下に置かれて情報統制が敷かれていました。そのような状況下で現場に遺体を残してもらえると思いますか。
ーーー
南京大虐殺存在に関しては、歴史学の分野では既に決着がついているんです。実際日中戦争の頃の日本や中国を専門に研究する歴史家の中に、南京大虐殺を否定する人がいるでしょうか?
南京大虐殺に関しては多方面から膨大な量の証拠が集まっており、私もQuoraでその証拠の極一部を紹介させて頂いたことがあります。
南京事件について「証拠がないけど、あったんだ」という人がいます。何を根拠にしていますか?に対するKoike Kazukiさんの回答
ネットでもっと見たいならば、以下のようなサイトをご覧下さい。
非常に文量の多いサイトですが、歴史学で決着のついた話をひっくり返したいのであれば、これくらい朝飯前で全部読んで頂かなくてはなりません。
また、2006年から2009年にかけて政府が行った日中共同歴史研究においても、その決着が示されています:
中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では 10万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。
決着がついていないのは、歴史学としての南京大虐殺ではなく、プロパガンダ合戦としての同事件なのです。
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この翻訳テキストは、細谷千博他『日米関係資料集1945~97』(東京大学出版会,1999)<当館
