国際観光局ができたころ 満州某重大事件(張作霖爆死)と満州事変
公開日:
:
最終更新日:2023/05/29
歴史認識
排日運動が激しくなってきていた。当時は関東軍は知らず、河本大佐数人で実行。満州の出先機関はバラバラ、軍、外務省、満鉄等が対立。
列車爆破後、日本人居留区への爆弾事件。派兵の口実を探る。領事館にお伺いを立てるも、立川という警察署長がはねつける。
満鉄は金建ての運賃、志那側の運賃は銀建てで、半分。収入が激減し、満鉄はつぶれるのではないかといわれていた
竹下義晴中佐 陸軍は移動が激しく、人が変わるから、理想を部下に徹底させることは難しい。石原莞爾の理想も受け継ぐことはできない
武内朝日新聞奉天支局長 当時としては仕方がなかった
他民族を力で抑えようとしても、結局は歴史が許さない。
鉄道省詰めの社会部記者 9時発のつばめ乗車する高官の確認 各社駅長室で情報交換 首相には政治部首相掛がいる
関連記事
-
-
河口慧海著『チベット旅行記』の記述 「ダージリン賛美が紹介されている」
旅行先としてのチベットは、やはり学校で習った河口慧海の話が頭にあって行ってみたいとおもったのであるか
-
-
平野聡著『大清帝国と中華の混迷』を読んで
ヴァーチャル旅行韓国中国東北編を記述する際の参考に読んでみた。大変参考になったが、筆が走りすぎてい
-
-
戦後70年の価値観が揺らいでいる」歴史家の加藤陽子氏、太平洋戦争からTPPとトランプ現象を紐解く 真珠湾攻撃から75年、歴史家・加藤陽子氏は語る「太平洋戦争を回避する選択肢はたくさんあった」 三国同盟の見方 歴史は後から作られる例
/https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/0
-
-
歴史認識と書評『1945 予定された敗戦: ソ連進攻と冷戦の到来』小代有希子
「ユーラシア太平洋戦争」の末期、日本では敗戦を見込んで、帝国崩壊後の世界情勢をめぐる様々な分析が行
-
-
国際連盟における中華民国代表顧維欽の演説(人流論) 渡辺銕蔵が戦争調査会で繰り広げる際に引用
満州には日本人はわずかしか入っていない。 朝鮮から日本に入った方が多いくらいだ。 なぜ
-
-
書評 三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』日本何故いかにして植民地帝国となったのか ビルマの竪琴のラストはスコットランド民謡 共通の歌曲がない 欧州文化と同じ意味でのアジア文化の存在に疑念
植民地帝国へと踏み出す日本 三国干渉が契機 非公式帝国主義 コストをかけなくてすむ方式 不平
-
-
書評 渡辺信一郎『中華の成立』岩波新書
ヒトゲノム分析によれば、山東省臨̪淄の遺跡 2500年前の人類集団は現代欧州と現代トルコ集団の中間
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 黒竜江省ハルピン(承前)文化大革命 安重根記念館
NHK 文化大革命.40年后的证言 全片 https://youtu.be/N00RTaA72g4
-
-
You-Tube「Cruise to Japan in 1932」に流れる「シナの夜」
1932年は鉄道省に国際観光局が設置されて2年目、インバウンドが叫ばれる現代と同じような時代である
