*

八鍬友広著『闘いを記憶する百姓たち』

公開日: : 最終更新日:2018/01/17 観光資源

自力救済の時代は悲惨であった。権力が確立すると訴訟によることとなり、平和が確立される。
江戸時代は平和であったのだ。白戸三平の劇画は間違っているのかもしれない。

百姓一揆の訴状が読み書き教材として広く普及していた。この前提として、日本の農村の多くの人が読み書きは出来るということが不可欠。
このような力量を身につけた民衆は、もはや「もの言わぬ民」などではなく、武士に対してさえ強情に「もの言う」百姓たちであった。
時代劇で描かれる「悲惨な民」とは異なり、近世の百姓は、自らの利益のために積極的に訴訟を起こし、武士に対しても堂々と自己主張する存在だった。

17世紀前半に起きた百姓一揆や地域間紛争のなかで作成された訴状が読み書きのための教科書になっていた。
これを目安往来物(めやすおうらいもの)という。
「目安」とは、箇条書きされた訴状のこと。
「往来物」とは、読み書き学習用のテキストブックのこと。「往来物」の最盛期は、じつは明治初期だった。学校制度が始まったけれど、まだ新しい教科書はなかったからだ。

寛永白岩一揆で作成された訴状を白岩目安といった。寛永10年(1633年)、出羽国村山郡白岩郷(山形県西村山郡西川町から寒河江市にかけて・・・)の百姓たちが領主の悲法を幕府へ訴えた。直訴である。租税の負担増、年貢率の上昇に不満をもった百姓たちは、保科家に騙され、36名ものリーダーが磔刑(たっけい)に処された。ただし、領主であった酒井長門守忠重も白岩郷から排除されている。
この寛永・白岩一揆は違法性が強いものであったはずなのに、その訴状は広く東北一円に流布している。

関連記事

no image

『おクジラさま』佐々木芽生著 備忘録 伝統は古くはない

https://spice.eplus.jp/articles/137344 https:

記事を読む

マルティニーク生まれのクレオール。 ついでに字句「伝統」が使われる始めたのは昭和初期からということ

北澤憲昭の『<列島>の絵画』を読み、日本画がクレオールのようだというたとえ話は、私の意見に近く、理解

記事を読む

伝統は後から創られる 『江戸しぐさの正体』 原田実著

本書の紹介は次のとおりである。 「「江戸しぐさ」とは、現実逃避から生まれた架空の伝統である。本書は

記事を読む

no image

2015年「特攻」 HNKスペシャル

http://www.dailymotion.com/video/x30z4ho フィリピ

記事を読む

no image

プロテスタンティズムと現代政治 学士會会報NO.927 2017年Ⅵ 深井智朗 pp24-27

マルティン・ルターによる神聖ローマ帝国の宗教の改革は、彼の意図に反して、すぐに政治化し、彼の死後まも

記事を読む

no image

大衆軍隊出現の意味 三谷太一郎講演メモ 学士会報2018-Ⅳ

226事件は、天皇の統帥権の名目化  軍隊の大衆化 軍隊内の実権は将官、佐官、尉官へと下降した

記事を読む

no image

観光資源評価の論理に使える面白い回答 「なぜ中国料理は油濃いのか」に対して、「日本人は油濃いのが好きなのですね」という答え

中華料理や台湾料理には、油を大量に使用した料理が非常に多いですが、そうなった理由はあるのでしょうか

記事を読む

no image

伝統は後から作られる例 関西は阪神フアンという伝統

これも学士會会報の記事、何時も面白い話をしてくれる井上章一氏の「ゆがめられた関西像」 戦後しば

記事を読む

no image

伝統は古くない 『大清帝国への道』石橋嵩雄著を読んで

北京語 旗人官僚が用いていた言語 山東方言に基づく独自の旗人漢語を北京官話に発展させた チャイナド

記事を読む

『「鎖国」という外交』ロナルド・トビ 2008年 小学館 メモ 歴史は後から作られる

ロナルド・トビさんは、江戸時代から日本には「手放し日本文化礼賛論」があったことを説明し、富岳遠望奇譚

記事を読む

PAGE TOP ↑