🗾🎒シニアバックパッカーの旅 大相撲観戦 両国国技館
公開日:
:
最終更新日:2023/06/15
シニアバックパッカーの旅, 国内観光
2017年5月24日、国技館の普通維持員を務めているO氏の配慮で、久しぶりに砂被りで相撲を見た。家内にということであったが、用事があり観に行けず、もったいないので私が行くことにした。大江戸線で両国まで乗り換えなしで行けるから便利である。今まで写真など撮ったことがないが、今度はおさめてきた。桟敷は写真を遠慮するよう注意書きがなされていたが、様子を見るとあまり守られていないようで、私も大勢に従うことにした。
席は向こう正面の二列目の真ん中。隣の上京客らしき人が携帯電話で、テレビに映るから見ろと知り合いに話している。携帯電話も禁止。ラインなり電子メールを使うことを考えていないようだ。さすがに携帯電話を使うのはこの人ひとりであった。最前列斜め前の和服姿で背筋のピンとしたご婦人がときおり、携帯電話の上京客をミラ見つけるような雰囲気があった。常連客のようで、相撲関係者が目であいさつをしているのがわかる。テレビで映る話は、昔義理の母が桟敷で相撲観戦したときに、千秋楽だったか忘れたがテレビで何度も出たことがあった。
この雰囲気だけで外人客は喜ぶのではないか。
日本相撲協会はいろんなフアンサービスを行っている。やはり伝統のなせるところである。
三時前でありまだ席はガラガラに近かった。
幕下の取組の最中で、ジョージア出身の力士が土俵に上がっていた。隣の席に外人がいたので、ジョージアかと聞くとロンドンだといっていた。ジョージア旅行から戻ったばかりなので、つい白人とみるとジョージアだと思ってしまう。
IMG_9286[1]
幕内の土俵入り
IMG_9316[1]
横綱の土俵入り
IMG_9313[1]
最後に自分の写真。隣の人に撮ってもらった。
土俵入りが終わったので帰ることにした。
歳のせいか、相撲取りがみな同じ顔に見えて仕方がない。贔屓の力士がいないからかもしれない。
国技館前のビル。この中に昔知り合いであったトラック会社の事務所があった。ここの社長さんも普通維持会員であった。懐かしい。
相撲は長い時間をかけて変化し、これからも変化してゆく。イベントばやりの現代であるが、一年でできるものは一年で真似をされる。やはり古いものを大事にしないと、観光資源としても長続きしないといつも学生に教えてきた。
IMG_9320[1]
関連記事
-
-
🌍👜シニアバックパッカーの旅 ⑩ 2月25日~27日 サンディエゴ、ティアファナ そして帰国
2018年2月25日ラスベガスのホテルの駐車場で空港シャトルに声をかけ、乗車を伝える。割と簡単で現金
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーの旅 2016年2月 中東・東アフリカ旅行記4 キプロス(国連加盟国70か国目)🏳🌈❾北キプロス
2月11日~12日 南北キプロス・ニコシア及びラルナカ キプロスがみえてきた。空港で地図とバス
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1999年国土庁 ベルリン ポツダム(旧東ドイツ)ロンドン環状道路
国土庁計画調整局担当審議官時代に、国土計画論につきいろいろ学んだ。ボンには訪問したことがあるが、旧東
-
-
🌍🎒 🚖シニアバックパッカーの旅 2019年9月12日朝 盧溝橋へ
2019年9月12日アルバム https://photos.google.com/albu
-
-
保護中: 🌍🎒シニアバックパッカーの旅 イタリア特別自治州㉟南チロル旅行準備資料
◎ドロミテ街道 https://youtu.be/zyjH5Q2I
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1985年 関釜フェリーで韓国(国連加盟国9か国目)釜山へ
神戸海運監理部時代、神戸港を起点とする超短期航路が数多く存在し、大鳴門橋架橋による航路調整の必要性か
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 フランス・ポルトガル(国連加盟国23か国目)(1999年8月22日~29日 国土庁長官随行 )
国土庁長官官房審議官時代に、関谷長官の海外視察の同行をする。関谷勝嗣建設大臣兼国土庁長官は、政治的に
-
-
🌍👜シニアバックパッカーの旅 2018年5月19日 ヤムドク湖、チベット民家訪問
19日 https://photos.google.com/photo/AF1QipNpG1SIO
-
-
🌍👜シニアバックパッカーの旅 2018.8.14 モロッコ(国連加盟国109か国目)タリファ、タンジール、ティトゥアン、シャウエン
https://photos.google.com/share/AF1QipN_sIjEGG_GQx
-
-
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1993年 JR東時代 ロシア(国連加盟国17か国目) 松田昌士JR東・副社長随行 モスクワ
橋本内閣時、北方領土の対応振りから、ロシアとの経済協力に政府は極めて消極的であった。その穴を埋めるた