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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1985年 関釜フェリーで韓国(国連加盟国9か国目)釜山へ

公開日: : 最終更新日:2023/06/11 シニアバックパッカーの旅

神戸海運監理部時代、神戸港を起点とする超短期航路が数多く存在し、大鳴門橋架橋による航路調整の必要性から、大阪湾の航路はすべて乗船することとなった。また瀬戸内海航路もその大半を乗船した。

神戸へ引越直後、神戸都市観光の観光地のど真ん中にある宿舎の部屋から見えたイスラム寺院が印象的。幼稚園の長女は、お城が見えるといっていた。

運輸省神戸海運監理部運航部長時代、小村港運課長と釜山への私的な旅行を実施した。新幹線で新神戸から下関まで行き、その日の夜、関釜フェリーに乗船し、翌朝釜山に上陸。一泊して、また同じ関釜フェリー、新幹線で神戸に戻った。

釜山では宿泊したホテルのカラオケで当時流行していた「釜山港へ帰れ」をうたったことが思い出される。当時の釜山は、我々から見れば、貧富の格差が激しく、神戸の造船所では、船舶の韓国人オーナーとして、進水式でシャンペンを割る役割を務める者がいるかと思えば、日本人の観光客は妓生パーティが目的であり、釜山の路上では少女の物乞いがいて、個人的にはショックを覚えた記憶がある。

(下の写真は戦後間もない頃の日本の写真)

 

当時、甲子園フェリーという神原汽船・常石造船の系列会社があり(建造代金が支払えず常石が経営に乗り出したようだ)、そこの社長が常石から兼務で派遣されていた。日本船への乗り組む外国人船員は、当時はまだフィリピン人船員よりも、韓国人船員が主流であり、その船員をアレンジする会社が船舶管理も行い、船舶建造の発注権も握っていた。従って、優秀な造船会社の営業マンは、船舶管理会社に営業をかけていた。韓国とのつながりも大きかったようである。

海運監理部では、大鳴門橋がかかるタイミングで仕事をしており、大阪湾のフェリー、旅客船の航路調整をしていた。今の時代には認められないが、当時は夜の会合も多かった。海運局の宿舎が神戸の観光地であるトーアロドと山本通の交差点近くにあり、役所のあるメリケン埠頭まで徒歩でしか通勤できないところであった。途中に、東門筋があり、飲食店の集積地であった。旅客船協会等関係者との会合も東門筋であり、当時は2次会がつきもので会ったから、カラオケが上手になったように思う。

https://youtu.be/nXm6PWLo19U

通常世間で言われているフェリーとは、制度的には定期旅客船であり、規制も厳しいが、定期運行であるから岸壁使用の専用化ができる。しかし、経営的には物流路線で、トラックが主体。この点は国際航路である関釜フェリーも同様である。下関を夜間出発し、釜山には早朝到着するが、税関業務開始する時間まで船の中で乗客は休憩する。逆も同じである。純客船の加藤汽船の神戸・高松間のグレース・ハッピネスも同様の運用をしてた。高松時代に、家族がいた神戸までよく利用した。

当時、トラック以外の常連利用者に韓国人の荷物の被ぎ屋さんがいた。個人の免税枠を活用した合法的ビジネス。贅沢品に高い関税をかけていた時代のなごり。貿易自由化が進展すると次第になくなっていく。インバウンドブームの今日、消費税の取扱いの国の違いを悪用した脱税行為が、渡航者によって行われているが、もちろん非合法であり、被ぎ屋さんとは違う。すでに当時はソウル五輪の直前であり、韓国も経済成長しており、多くの韓国人観光客が別府の杉乃井ホテルにきていいた。当時でもハングルが、神戸港や別府港では見かけるようになっていた。

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