🌍🎒シニアバックパッカーの旅 モンゴル国フブスグル地区紀行~トナカイとシャマンとドロ━ン(2)
公開日:
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最終更新日:2024/04/15
シニアバックパッカーの旅
2015年8月17日、18日(ウランバートルからムルン経由ウランウールまで)
20158月17日
ミヤットモンゴル航空に搭乗し、成田空港からウランバートルのチンギスハーン空港に日本人調査団5人は到着した。義経伝説に代表されるように日本人のロマンをかきたてる、民族の英雄チンギスハーンの名前がモンゴルの庶民に知られるようになったのが社会主義時代であったことは、前のブログ(2015年8月4日 モンゴル観光調査の準備~社会主義が生み出した民族の英雄~ )に書いたとおりであるが、モンゴル国最大の観光資源はやはりチンギスハーンである。世界中の人が知っている名前である。日本人にもいないであろう。坂本竜馬空港やゲゲゲの鬼太郎空港がかわいそうに思われた。


ウランバートルの不動産事情はバブルである。冬のスモッグが風向きにより緩和される地域に立地する百ヘーベのマンションは、地下資源やカシミヤで財をなした者が五千万円だして購入するというのは異常を通り越して滑稽である。投資はケインズのいうところの「美人投票」であるから、誰が投票するかを予測するということであろう。西田代表の居住するマンションに到着し、明日からの調査の準備をした。
2015年8月18日
日本人調査団に加え、モンゴル教育大学観光学科准教授のハダ博士と通訳のメグ嬢の合計七人は、国内線でフブスグル県庁所在都市のムルンに向かった。ハダ博士はモスクワ大学留学組で、現在でもエリートだそうだ。

調査を手伝ってくれるモンゴル教育大学の学生達は、ツアー運転手協会会長さんのツォグトゲレル氏が手配したロシア製のジープで移動。舗装道路がウランバートルからムルン及びフブスグルまで開通しているとはいえ休憩等を含め十七時間の長旅であるから大変であったろう。
昼食後、 ムルンのツォグトゲレル氏の家で学生達と合流。国境近くに立ち入る許可を役所から得るため待機。国境地帯入域許可書はモンゴル軍国境警備隊が発行するとのことであった。ロシアと中国に挟まれた緊張感のある歴史を感じさせられた。一行はアンケート用紙や協力者に対する謝礼用のグッズを整理して車に積み込む作業をした。


結局、次の目的地オランウールへの出発時間は午後五時過ぎ。悪路は覚悟していたから、さほど驚かなかった。三台目にオランウールに帰るシャーマンのお爺さんが同乗しており、学生を引率するハダ博士が、早速インタビュー。道中ラクダの姿も垣間見え、モンゴルに来たと感じた。


登り道を走行中、途中に大きな陥没が突然あらわれたが、ツォグトゲレル氏の運転技術で回避。一つ間違えると大惨事。とてもtouristには手配できないものである。後続の車にこのことを知らせに戻るところなどはさすがであった。日が落ちてからの車による直接の河川横断は楽しいものだった。夜中の12時に山中にある部落の食堂で食事。驚いたことに西洋人を含め次から次へと来客があった。ツアー運転手協会が組織されるわけである。結局目的地のウランウールに到着して就寝できたのは午前三時。寝袋での雑魚寝。寝袋のチャックが壊れていて、サンドイッチのようにして使用したが、屋内だったので、寒さ対策はなんとか大丈夫であった。
ウランウールの位置は、フブスグル湖(下記図)の東側の湿地帯にあり、地図では下段の赤しるしのところであり、最上段の位置は後で出てくるツァガンノールであり、右側の印のところはリンリンフンべである。また、ツァータン族の居住地はツァガンノールの東側の山岳地帯である。


2015年8月19日
いよいよツァータン族居住地に向け出発。朝の準備で最も重要なのはトイレ。どこの家でも広い敷地に掘建小屋のトイレがある。昔の日本の農家も同じようなものだったが、日本の場合は人肥は肥料だった。こちらは事情がことなるのか、深くほりこんであり、汲取口がない。大草原のゲルも同じようなものであろう。夏であれば事情が許せば野糞の方が気持ちが良い。事前にウェットティッシュを準備するようにいわれた理由が良く理解できた。travelerであれば、なれれば、日本人女子学生でも大丈夫と聞いたが、touristには無理であろう。キチンとしたトイレネットワークを準備して旅行商品を提供しないと受け入れられないであろう。

再び草原や悪路を走行、途中ラクダとの記念写真を撮り、ようやくツァータン族居住地への出発地点(海抜1600メートル)に到着。ツォグトゲレル氏の奥さんが炊事した昼食をとり、いよいよトナカイに乗ることとなった。一頭七十キロくらいは大丈夫とのことで、私もかろうじてセーフ。しかし足場の悪い山道を登ってゆくものだから、トナカイの息遣いが蒸気機関車の蒸気を排出する音のように聞こえてきて、罪悪感に苛まれそうになった。途中でトナカイが草を食べたり水を飲んだりして、前に進もうとしないことが何度も発生。チュウかチョウか聞き取れないツァータン語で進めと指示し、お尻をたたくのだが、効果なし。初心者グループは数珠繋ぎになってツァータン族のガイドに先導されることになってしまった。そうすると進行ペースがつかめず、急カーブの時に名誉の初落馬?をしてしまった。
三時間位経過してようやく休憩。一軒家のゲルでスーティチャを振舞われる。これからどれだけかかるのか予想がつかず、あと五時間だと聞いても、覚悟ができていたのか、驚かなかった。

いよいよトナカイに乗ったまま川渡り。足の上げ方が悪かったのか、靴の中まで濡れてしまった。最終目的地は予想に反して一時間程度で到着。からかわれていたのであろうが、早く到着できた喜びで腹も立たない。湖のそばののどかな場所であった。早速横になる。


ここに四泊の予定だが、更に山の上にいるシャーマンのところに行くとなると明後日の予定だが、連絡がまだとれていないようだ。後で電話連絡することとなっているようだった。

居住地には、ウランウールの食堂で見かけたイタリア在住の女性動物学者、アムステルダムからきている中年夫婦等我々を含め四パーティにツァータン族ホスト家族二組が六つのゲル集落に落ち着くことになった。
暗くなる時間は夜十時過ぎ、満点星が満喫出来る星空は久しぶり。その夜、シャーマン居住地の訪問が確定した。


牧草地
「畜群は国民の富であり、国家の保護を受ける」と社会主義を放棄した1992年のモンゴル国憲法に記載されているようだ。移動の自由がうたわれてもいるわけでもある。牧地は憲法上保有権や所有権の対処とならないそうである。道路整備のための用地買収と言った手間は不要になるが、家畜の為のとおり道は確保しなければならない。
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