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『銀座と資生堂』戸矢理衣奈

公開日: : 伝統・伝承(嘘も含めて)

  戸谷という珍しい苗字にひかれて本書を港図書館で借りた。現役時代、役所の先輩の息子さんが亡くなられ、新宿のお寺での葬儀に参列させてもらったことがあり、その時の息子さんの配偶者が本書の著者であった。本書で表現されているうように「遠すぎるパリ、身近になった銀座」が生まれたのは、1930年国際観光局の誕生時に近い時代であるから、私には世相が理解しやすく読みやすかった。そもそも、銀座は日本橋と新橋駅に挟まれた土地であり、商業地としては二流であったようだ。まだ東京駅もない時代である。正式町名の銀座は1~4丁目であったが、それを大銀座に発展させたのが、開業50年来「東京新橋資生堂」として親しまれた調剤薬局である。それを「東京銀座資生堂」に発展させた福原信三に焦点を当てて書き上げた博士学位論文をもとに、本書は読みやすく書き上げている。私の学位論文は論文そのものをそのまま出版(イープシロン企画出版『観光政策学』)したので、観光学研究者ですら目を通すことがなく、観光学の発展にはあまり寄与していないのが残念である。機会があれば読みやすくリライトしたいものだ。そうすれば販売目的が先行して不正確な記述の多い旅行業関係出版物の改善に寄与できるのであろう。

  さて、銀座資生堂であるが、今でこそ全国に○○銀座が数多くあるが、その第一号は戸越銀座。私のとっても東京に出てきて最初に住まいしたのが戸越銀座駅に近い学生寮であったから、昨年50年ぶりに訪れてみた。関東大震災の後、銀座の赤レンガを譲り受けて復興したので、銀座に敬意を表して命名した時されていたから、納得できる。当時は銀座はまだ日本橋を完全に上回るものではなかったからだ。なお、今の資生堂ビルは、郷里山代温泉出身の建築家・谷口江里也氏の設計によるものである。子供の頃の谷口のしんちゃんのイメージが残っているが、今では都内大型書店で出版物が平積みされている、本物のアーティストである。

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