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観光とツーリズム③

公開日: : 最終更新日:2016/11/25 用語「人流」「観光」「ツーリズム」「ツーリスト」

○国内観光事業への国際観光局の思考方向

 

1930年に国際観光局が設置された。今日でも同じ傾向があるが、行政用語が確立するとマスコミを通じて学会等の用語も確立する傾向があるから、1930年前後において「観光」概念がかなり収斂していったと考えることは不自然ではないであろう。朝日新聞記事データベース「聞蔵」によれば、字句「遊覧」と比較しても字句「観光」の使用頻度がこの時期には際立って増加している。

 

砂本文彦氏は『近代日本の国際リゾート』の中で、鉄道省内の国際観光局設立関与者の同局設立の役割を大きく取り上げている。しかし鉄道省も巨大組織であり、直接の国際観光局関与者をもって鉄道省の意向とする傾向がこの著作物には強い点に疑問を感じる。国際収支問題から考えると、国際観光局設置と言った鉄道省の問題としてよりも内閣全体の問題として、国宝保存法、国立公園法、貿易局設置等総合政策的に外客誘致政策が考えられている。この著作物では江木鉄道大臣の役割への言及が少ないが、当時は政党政治の盛んな時代であり、鉄道官僚主流はむしろ鉄道会計からの海外観光宣伝費支出に抵抗していたのではないかと思われる。それを抑えて国際観光局を設置させた力は政治にあったと私は考えている。なお、1916年大隈内閣時の経済調査会では「外客誘致ニ関スル具体案」を検討しており、この中での用語「観光」の登場は、「観光外客誘致」「漫遊外客ノ誘致」「遊覧地其ノ他観光施設」と言った事例で確認できるが、少なくとも行政用語としてはきちんとした概念整理がされないで使用されていると考えられる(このことは遊覧、観光が併用されている観光基本法にも影響している)。

 

同様に国際観光局の役割を重視する考え方の研究者である中島敬介氏は、「もう一つの観光資源論」(2014年日本観光研究学会全国大会学術論文集pp353-356)の中で、1939年に国際観光局が発行した『国際観光事業概説』をもとに、第一において、国際観光局の「野望」、観光行政の一元的掌握を論じている。「国際観光事業の基礎をなしている所の国内観光事業…をも指導統制するところの…観光行政の一元化、法的基礎にたつて強力な観光政策を遂行する所の中央機関としての観光局の誕生[が必要であり、そのために]これ等の問題に完全な解決を与へ得る観光事業法の制定が要望される」という文章を引用されている。

確かに国際観光局は1939年に「外国観光事業法規集」を編集しており、その内容には、(米国)合衆国ニ於ケル観光事業助成法案(1938)合衆国ニ於ケル宣伝其他ニ従事スル者ノ登録ニ関スル法律(1936) ドイツ  独逸観光委員会ニ関スル法律(1933) 独逸観光連盟ニ関スル法律 イタリア 情報宣伝省ノ設置(1935)観光監督局ノ設立(1931)フランス 鉱泉地気候地観光地法(1919)ホテル貸付銀行法(1923)等が含まれており、国際観光局事務局の発想がうかがえるものとなっている。海外観光宣伝事業ばかりではなく、国内の観光事業整備をも所管したいという願望が出てくるのは当然である。しかしながら、そのことを持って鉄道大臣や鉄道省の考え、ましてや内閣の考えとするのは短絡的であろう。

上記論文の中で、中島敬介氏は「阿寒、十和田両国立公園内での鉱区認可問題で「風致地区か資源か」をめぐり厚生省と商務省が鋭く対立したが、国際観光局は「蚊帳の外」だった」とするが、同じ鉄道省の中でも、電線が風景を阻害する問題でも同様のことが発生しており、私は帝京平成大学紀要2014年版(発表予定)の中において「景観論は1930年代から存在した。「鉄道用電線が御殿場国府津間鉄道車窓からみる富士山の景観を損ねるから地下化」と静岡県知事の発言が報道されている(東京朝日新聞朝刊1930年5月15日)。現代でいえば電柱地中化問題である。これに対して新井暁爾国際観光局長が賛成するが、鉄道省電化課長は「経費がかるので反対側に移動させられないか」と発言している。鉄道省内でも国際観光局と施設整備部門での意見調整 がなされていなかったことがうかがわれる。」と記述させてもらっている。

 

中島敬介氏は上記論文(第3)において、国際観光局の危機感として「国際的なものから国内的なものへと変化し・・・観光事業を健やかに育てる」厚生省と、その外局として「保険院」が設置されたことにより、危機意識が表れる」と記述し、「皇紀二千六百年のため強力な新組織を設置すべしとの意向が関係省庁間にたかまり宣伝省等が検討されたが、そこには鉄道省や国際観光局の名前がない」とされる。戦後も厚生省が主導する「観光」政策は「ソーシャル・ツーリズム」の名のもとに推進され、微妙に字句「観光」を回避しているのはやはり所管問題が影響しているのであろう。厚生省所管の実質観光行政が運輸省観光部局の行政に取り込まれなかった影響は、観光基本法の規範性の欠如を指摘した私の学位申請論文において提起した問題意識とも共有されるものである。行政組織の立て方はともかく、戦前に国際観光局が作成した外国観光事業法規集の成果が実定法として制定されていれば、観光基本法制定時おいては、規範性のあるわが国観光法制度の発達が実現していたのではないかと思われる(勿論私は、その後の展開においては規範性のある観光法制度の維持は困難であり、人流制度に収斂していくと考えている。)。

1940年発行の国際観光局『観光事業十年の回顧』の中に「国際観光局命名の由来」の中に、「・・・建議や答申に従へば国内的の仕事もこれから段々殖えるから観光局だけでよかろう、と云ふ意見が相当有力であったが、・・・」「日本観光連盟」の中に、「対外観光宣伝と呼応して国内観光事業関係機関相互の連絡協調を図るため・・・日本観光地連合会を組織したが、その後昭和十一年十一月国際観光局、・・・、・・・、が主体となり日本観光連盟を組織した」という記述がある。また1938年発行の『観光事業の概要』(日本観光通信社)(国際観光局長の田誠氏及び日本旅行協会専務理事高久甚之助が序文を寄せている)では「第一章 観光事業の意義 一 国内観光事業 二 国際観光事業 三・四・」という構成をとっているが、日本国内事業は、外国人誘致のための観光資源の整備(国立公園、国宝等)、宿泊施設の整備を図るということであり、国際観光事業は「対外観光宣伝」が中心という意味であろう。建前の外客誘致の国際観光と本音の日本人の国内観光の間で揺れている時期である。

○国際観光局設立時における自治体及び観光協会の動向

1930年の鉄道省「国際観光局」設置を機会として、その後自治体観光行政組織が整備されていった。いずれも外客誘致を政策目的としている(『観光人流政策風土記』参照)。これとともに各地には観光協会も設置されていった。この観光協会が400を超える状況になり、鉄道省も国際観光局も連合会を作ることとなった。国際観光局から補助金が支給され、地区代表者には2等無賃乗車証支給されることとなった(1935年)。建前としては外国人への対応が統一されていないと諜報活動等の区分がしづらいとされていた。なお、保勝会等から観光協会への名称の変化については本間悠子「東京都における観光協会の動向に関する研究」中島直人「 用語『風致協会』の生成とその伝播に関する研究」都市計画論文集41-3「昭和初期における日本保勝協会 の活動に関する研究」都市計画論文集38-3がある。

東京府においても、(建設局自然公園課において観光行政を所管するとともに、)観光事業の振興を図ることを目的として1936年に東京府観光協会が設置された。設立趣意書には「観光事業はこれを外にしては国際修交に資し、これを内にしては国民の保健と強化に裨益する所大」となっている。また会則によれば、観光地、観光道路、観光資源、観光団体という用語も使用されているから、かなり一般的な用語になっていたのではないかと思われる。同協会が発行した「観光の東京府」1号(1937年11月)に掲載されている東京府知事の発刊の辞には「観光事業は国際親善の増進、国情文化の宣揚、国際貸借の改善、貿易の進展及び国家意識の確立等国際的重大使命を有するとともに、これを内にしては知見情操の涵養、体力の増進等に貢献する処大なるものあり」(体力増進は1938年厚生省設置の時代背景をあらわしている。)とかかれており、建前としての国際をもっぱらとする観光政策の実施機関としてのありかたを打ち出している。桜井安右衛門内務省衛生局保健課長が「保健と観光」という文章を寄稿しており観光事業は大衆的であるべきとしているところから、外客誘致に限定した観光概念ではなくなっている。この点「観光の東京府1号」の中で、岸衛東京府観光協会参与は、東京府観光地の施設希望として「施設はその施設はいったい内地客に重点を置くか、または外国人客に対すてその施設を完備線とするか、これが欧米ならばそのごとき区別は必要ないのであるが、外人と著しくその生活状態をことにしている我が国においては、その点実に複雑を極る」として、内主外従の本音を記述している。「観光の東京府」2号においては大島観光に関する記事のなかで「厚生(レクリエーション)時代の波に乗る」と題して「遊覧」から「厚生」へ「行楽」から「保健休養」へと用語はおきかえられたと表現している。中島敬介氏は国際観光局が観光資源をてこに国内観光事業にまで職種をのばしていく意向が強かったと見ているが、鉄道省全体の意向としてまで昇華しているとはとても思えず、国際観光局の力の買い被りではないかと思われる。

京都市においてはいち早く1930年に観光課を設置した。訪日外国人3万のうち京都宿泊者が7千人を超えている状況であった。その分掌事務は「一、内外観光客誘致宣伝に関する事項 一、観光客の案内・接遇に関する事項 一、市設観光案内所に関する事項 一、観光施設の充実改善に関する事項 一、観光に関係ある●●の助長改善に関する事項 一、観光事務の調査に関する事項」と規定されていたようである(溝口氏ブログ参照、原文はカタカナと思われる)。同ブログによれば、京都駅前に観光案内所が設置され昭和6年2月から事務を開始した(案内所自体は昭和3年からありました)。見つけた当時の写真を見ると、「観光案内所」と大きく掲げられている。ここには、ジャパン・ツーリスト・ビューローの出張所もあって、国内は勿論外国旅行者の相談相手となっていた」と記載されている。第1項「内外」で観光宣伝を行うことの目的は、海外はもとより、日本国内、特に東京で外国人及び外国人ガイドに宣伝することを想定しているとの説明になっていると思われる。

なお、1929年の『御大典記念京都観光案内』では観光を国内移動に使用していた可能性がある。また 西村捨三農商務次官が1895年行った記念祭協賛会幹事としての挨拶(『京都遷都記念祭紀事巻下』京都市参事会1896年発行p.49)のなかで「此ノ時代祭ヲ観レバ・・・我国ノ光輝ヲ益々発揚スルトヲ得ルナラン・・・外国人ハ非常ノ威ヲナスノミナラス各地ヨリ見物ニ出掛クルモノ続々踝ヲ接スルナラン・・・」と時代祭の構想を語っていることが(伊藤節子「時代祭と観光」『観光研究』p.63 2014年9月30日)に紹介されている。国の光を外国人に示す意識が表れている。京都観光は国とは違った歩みがあったのかもしれない。

○戦時下における観光(未定稿)

1940年以降も観光ブームは継続し、その最盛期は1942年であったと伝えられている。満州、朝鮮への観光とともに伊勢に代表される聖地への国内観光が盛んであった。

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鈴木勇一郎氏の『お土産と鉄道』(講談社)によれば「鉄道省国際観光局が昭和8年2月にまとめた「観光土産品販売店調」・・・「山形屋」「二光堂」「岩戸屋」は、いずれも明治大正期には、生姜糖の製造販売を営んでいた。・・・実は、この調査は国際観光局が実施したということもあり、「土産品販売点」といっても取り上げられているのは、漆器、貝細工、鎌倉彫、七宝焼といった、外国人向けのの手工業品を販売する店ばかりである。従って、名物菓子を扱う店など、「土産品」と聞いて現代の日本人が想像するような店はほとんど取り上げられていない。しかし宇治山田だけは「伊勢土産物」の総合土産物品店が採録されている。つまり、この時期にこうした大規模な「総合土産物品店」が本格的に展開していたのは、伊勢神宮の門前町くらいであったと見ることもできよう。京都も、多くの観光客や修学旅行生を集めていた。だが、『観光土産品販売店調』では、伊勢のような土産物店は、京都では取り上げられていない。」(p.85-86)「国際貿易港である横浜を抱える神奈川県では、昭和4年に知事に就任した山県治郎のもとで、湘南地域の国際観光地化目指す湘南開発計画が推進されていた。こうした中で、神奈川県や神奈川県観光連合会は、県下土産品の外国人観光客売上高をを調査し、その改善策などを研究している。・・・さらに、県観光連合会では観光土産品品評会を開催するなど、国内向けの新たなお土産品の開発も推進した。」(p.119 )

〇国内旅行

1934年ころから、鉄道省は慰安や保養を主として意図した旅客誘致は微温的であると、国民保健運動を強調してゆく。とりわけハイキング、聖地を巡る徒歩旅行は「信仰ハイキング」と称された。1938年からは質実剛健旅行を提唱

1936年11月日本観光連盟結成。既に国際観光局創立の日を観光国策樹立の記念日として始まっていた観光祭の標語として「挙国一致で邦土美化」

〇風致協会

研究の目的は、用語「風致協会」の生成とその伝播の構図を確認することである。1920年代後半、「保存」と「利用(開発)」を両立させた新しい保勝理念が造園家たちを中心に提唱されるようになった。そして、1930年代を迎えるまでに、この保勝理念に基づいて、風致地区に保勝会を設立する構想が成立した。1932年には東京府において、この構想に基づく新しい保勝会が設立されたが、その際に生み出されたのが、新しい用語「風致協会」であった。この「風致協会」は、風致地区制度と強く結びついているという他の保勝会にはない特徴を有していた。そして、1930年代半ば以降、「風致協会」という用語は全国に広まり、東京府以外の府県においても、幾つか「風致協会」という名称を持つ組織が設立されていったのである。

 

 

 

 

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