書評『ペストの記憶』デフォー著
ロビンソン・クルーソーの作者ダニエル・デフォーは、17世紀のペストの流行に関し、ロンドン市長及び区長によって制定・公布される条例・1665年、患者の出た家屋とペスト患者に関する条例、街路を清掃し快適に保つための条例、節度のない者たちと無駄な集会に関する条例を紹介するとともに、ペスト流行時には、患者が一人でも発生した家では、住民全員がそのまま40日間家屋に閉鎖され、一歩も外に出られないことを紹介している(『ペストの記憶』)。同書の訳者である武田将明は訳者解題で「現代日本に住む人々にとって、本書が三百年前のイギリスで書かれたことは、にわかに信じられないのではないか。行政府が毎週公表する死者の数に一喜一憂し、さらにはその数値を疑う市民たち。突然大量に現れた自称専門家たちの説く、真偽の定かでない対策。さっさと被災地を後にする人と、あえてそこに留まる人。さらには、避難者を忌避する自治体や、後日被災地に戻った避難者を排除する残留者。風評による経済被害。これらは、2011年3月11日に発生した地震と津波、そして原発事故のあと、私たちが見てきた後掲の一部と重なる」「1722年という、まだ世界が近代に入り始めたばかりの時期、アメリカ独立もフランス革命も経験していなかった時代に、すでに市民が市民を管理するという自律的な権力の抱える問題点を理解し、ペストという壊滅的な危機を媒介にして、その光と闇を描き切った点にこそ、本書の普遍的な価値がある」と解説するとともに、ペスト・ツアーとして「頑張れば一日でほぼすべてを見てまわれる」ロングエイカーとドルリー小路の交差点、クリップルゲートのセントジャイルズ教会(デフォーの胸像もある)、バンフィル・フィールズ(ペスト療養所があったところ)等を紹介している。
書評1 2020年に入ってCOVID19が拡がり、世界は一変してしまった。本書やカミュの『ペスト』が広く読まれるようになったという。H.F.という筆者(デフォーにロンドンペストのことを語ってくれた叔父がモデルではないかと言われているらしい)の著述の形をとっており、デフォー自体は1665年に5歳であったとのことなので、直接体験したことではない。あくまで作品だが、当時の様子を色濃く映している。
ロンドンの東部から西部に向かってペストが拡がっていく様子、郊外へ逃げるか留まるかの選択、貧困層が都市を脱出した後に「ペスト」かもしれないからと迫害される様子、ペスト最盛期を超えたときに早々と警戒を解いて感染し死亡したことなど、生々しく描かれている。都市機能が保たれたのは、市が、ペスト最盛期であっても資金を投入してパンを絶やさなかったこと、死体を放置しなかったこと(多くは夜間、デッド・カートに乗せて巨大な穴に埋葬されたという)であったという。ペスト感染者が一人でも出たらその家は封鎖され、監視人が置かれたこと、必死で逃げ出そうとする人が多かったこと、殺された監視人もいたこと・・・といった「住宅封鎖」。無症候者が出歩いたことで結果として感染を広げてしまったことなど、COVID19が拡大している現在と通ずる叙述もある。
訳者である武田将明氏は「生権力の露呈」として、「本書の醍醐味は、ペストという圧倒的な暴力を囲いこみ、封じ込めようと努める市の行政府が、市民を保護する側面と抑圧する側面を合わせ持つという、秩序の両義性にこそ認められる。市民の自由を制御せずに、ペストを管理することはできないのだ」と述べる。都市機能、あるいは文明社会の機能維持の暗部を描写していると思う。
本書はペストに遭遇した都市を題材に、危機に瀕した人間の行動、それを処置する行政の姿を生々しく描写したたぐいまれな傑作と思う。
関連記事
-
-
動画で考える人流観光学 『ビルマ敗戦行記』(岩波新書)2022年8月27日
明日2022年8月28日から9月12日までインド・パキスタン旅行を計画。ムンバイ、アウランガバード
-
-
保阪正康氏の講演録と西浦進氏の著作物等を読んで
日中韓の観光政策研究を進める上で、現在問題になっている「歴史認識」問題を調べざるを得ない。従って、戦
-
-
日本社会党・総評の軌跡と内実 (20人のオーラル・ヒストリー) 単行本 – 2019/4/8 五十嵐 仁 (著), 木下 真志 (著), 法政大学大原社会問題研究所 (著)
港区図書館の蔵書にあり、閲覧。国鉄再建に関し、「公共企業体(国鉄)職員にスト権を与えるか否か」の政府
-
-
歴史は後からの例「殖産興業」
武田晴人『日本経済史』p.68に紹介されている小岩信竹「政策用語としての「殖産興業」について」『社
-
-
書評『我ら見しままに』万延元年遣米使節の旅路 マサオ・ミヨシ著
p.70 何人かの男たちは自分たちの訪れた妓楼に言及している。妓楼がどこよりも問題のおこしやすい場
-
-
運輸省(航空局監理部長)VS東亜国内航空(田中勇)のエピソード等
https://www.youtube.com/watch?v=flZz_Li7om8
-
-
『外国人労働者をどう受け入れるか』NHK取材班を読んで
日本とアジアの賃金格差は年々縮まり上海などの大都市は日本の田舎を凌駕している。そうした時代を読み違え
-
-
生産性向上特別措置法(規制のサンドボックス)を必要としない旅行業法の活用
参加者や期限を限定すること等により、例えば道路運送法の規制を外して、自家用自動車の有償運送の実証実験
-
-
書評『シュリューマン旅行記 清国・日本』石井和子訳
日本人の簡素な和式の生活への洞察力は、ベルツと同じ。宗教観は、シュリューマンとは逆に伊藤博文等が
-
-
『新・韓国現代史』 文京洙著 岩波書店 を読んで、日韓観光を考える。
東アジアの伝統的秩序は、中国中心の華夷理念のもとに、東アジアの近隣諸国が朝貢・冊封の関係において秩序
- PREV
- 歴史認識と書評『海軍と日本』 池田清著 中公新書
- NEXT
- 書評『ロボットと生きる社会』