QUORAに見る観光資源 マヤ語とは何ですか?
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最終更新日:2023/05/29
出版・講義資料
マヤ語の研究を高校生にして大きく押し進め、現在もマヤ文化と考古学の第一人者の David Stuart(デイビッド・スチュアート)の話です。
マヤ族は古代メキシコ南部や現グアテマラに3世紀から17世紀末まで存在した多くの王政国家達の文化的総称であり、マヤ語はその国家等の長らく「解読不可能」と言われていた言語でした。
17世紀にスペインに征服されたマヤ族の書記言語はカトリック教会の多神教弾圧の一環として多くの書記が破壊された事で、近代には伝わらず、解読は困難とされていた。
20世紀の前半は特にマヤ族の権威とされていた英国人考古学者のJ. Eric Thompson (エリック・トンプソン教授)の学説が主流とされ、彼の提唱した説は「マヤ族は平和的で戦知らずであり、言語は解読不可能な標語文字を使い、俗世的な事実の表現には興味を持たずに神話や天文についてのみ書いた」と言う物で1930年代よりの定説だった。
しかし、1970年代より異説が唱えられ、1980年代に一人の高校生が古代マヤ語の解読を大きく進めた事で定説が覆されるきっかけを作った。
現在もマヤ文化と考古学の第一人者のDavid Stuart(デイビッド・スチュアート)の話です。
(以下高校時代のデイビッド・スチュアート氏(右)と恩師シェル教授)
現メキシコのパレンケ市やティカル市などに残るマヤ族の遺跡は壮大なスケールに圧倒される建造物や美しい文字が書かれる石碑などが印象的である。ジャングルの自然の中に聳え立つピラミッドや寺院らしき大型の建物はそれらを建造した人たちの力と技術を物語っている。
(パレンケのマヤ族遺跡)
(ティカル最大のピラミッド)
外に多く置かれている石碑や中の壁には絵文字が記されていて、その意味は長く謎めいていた。
(以下ティカルに刻まれた絵文字)
16世紀から17世紀にかけ、マヤ族はスペインの侵攻を受け。17世紀末には完全に植民地とされてしまっていた。スペイン統制下のマヤ族の文化と宗教は厳しく弾圧を受け、カトリック教会への改宗が強く義務付けられた。
マヤ族の言語は現存するユカタン・ユカテク・ペテン語などの形で受け継がれているが、スペインの行った大規模な宗教弾圧の一環の「書物焼却」により、何千冊と言うマヤ語で書かれた書物が焼き払われた。
(マヤ族の書物を焼き払うランダ司教)
その弾圧は徹底しており、現存するマヤ語の標語文字が残る書物はわずか4冊である。マヤ族の子孫達はその言語を読解する知識を失ってしまった。
しかし、4冊のうちの一つはマヤ語の「アルファベット」として記し、マヤ族の書物焼却の張本人だったディエゴ・デ・ランダ司教の書き記したマヤ族の文字は現代に通じる大きなヒントとなったていた。
ランダ司教が書き記したのは僅か数十個の文字であり、八百以上にも及ぶマヤ族の文字を到底記すものでは無かったので、それのみよりマヤ族の文字の解読は不可能であった。
時は流れ、1930年代から1970年代までのマヤ族のイメージは英国の考古学者のJ. Eric Thompson (エリック・トンプソン教授)の学説が元となっていた。
トンプソン教授はまずマヤ族の文化は極めて平和的な物であったと残された芸術や考古学的証拠を元に論じていた。高度の天文学を元にしたマヤ暦などは信仰的・科学的探究心から来る社会であり、戦争や闘争とは無縁の白人がアメリカに来る前はさもやエデンの園のような社会を想像していた。
トンプソン教授によればティカルに残された31の石碑に描かれた人物は歴史的人物や出来事の描写ではなく、様々な神話や想像上の出来事を描いた宗教上・芸術上の文であると論じた。
なお、マヤ族の言語はおよそ800パターンの文字から構成されている事が分かっていたので、トンプソン教授はそれらは標語文字であると論じた。標語文字とは「漢字」のように原則的に一文字が言葉か意味に通じ、例え発音の仕方と通じる部首などが存在しても、それら全ての総合的な「辞書」のような物が無い限りは解読不可能であると論じていた。
これは大きく受け入れられていた定論であった。標語文字とは対照的にひらがなのような「発音」をあらわす表音文字があるが、通常表音文字の文化は50-80、多くて100前後の文字が存在し、たいして多くの「漢字」のような標語文字は1500-2500程度の字がある事が多かった。例えば、ひらがなとカタカナで日本語は重複を数えても表音文字はおよそ百字前後になる。
トンプソン教授はマヤ語の800種類の字は表音文字としては多すぎるとして、標語文字であると論じ、それが長らくの定説であった。
しかし、1970年代より異論を唱える学者が出始めた。Linda Schele(リンダ・シェル)教授などの考古学者などはトンプソン教授の「理想郷」の学説にに反対し、ティカルの石碑のに描写される闘いは「神話上」の闘争ではなく、現実のマヤ族の王の戦争の「歴史的事実」を描写するもの、と言う説を発表し、支持を集めつつあった。
(以下シェル教授)
だが、依然としてトンプソン教授の権威は有力であり、学説も主流であった。
マヤ語の解読の断片的一部などがランダ司教の「アルファベット」と呼んだ字の研究により、一部の文字は「表音文字」ではないかと言う説があり、一部の石碑などを解読しようとする事が試みられていたが、如何せん読める部位が少なすぎて「読める」と言えるほど解読されていなかった。
実際の石碑などの内容が読めない以上、トンプソン教授の学説とシェル教授の学説の優劣を比べるのは多難だった。
シェル教授はマヤ族の研究のために中央アメリカの発掘現場で多くの時間を過ごしたが、1980年代の同時期に同僚の考古学者のGeorge Stuart (ジョージ・スチュアート)が頻繁に発掘現場で共に働いた。ジョージ・スチュアート氏は米科学雑誌のNational Geographicにスポンサーされたマヤ族の遺跡の発掘を進めており、シェル教授のマヤ族の歴史解釈に好意的だった。
ジョージ・スチュアートは妻子を連れて長期間発掘を行っていたので、息子のデイビッドは発掘現場では良く見かける子供だった。
(マヤ語の文字のスケッチを描く小学生時代のデイビッド)
デイビッドは利発だけでなく、マヤ族の文化と歴史に急速に深い興味を示した。10歳の小学生ながらにマヤ族に関して発表された論文を片っ端から読みまくり、知識と深い理解を蓄え、さらに天性の閃き、努力、と探究心で自身もマヤ族の研究を行い始めた。
彼の才能に興味を持ったシェル教授は彼の恩師となり、彼自身の学説や独自の解釈の発達を助けていった。
デイビッドの学者としての成長は目覚ましく、なんと彼が僅か12歳の時に書いた論文が 1978 Mesa Redonda de Palenque と言うパレンケで行われた国際学会で発表される論文に選出された。
しかし、マヤ族研究者に衝撃を与えたのは彼が18歳、1983年に「マヤ族の言語の一部解読」を発表する論文だった。
デイビッドはトンプソン教授のマヤ語標語文字説に懐疑的だった。標語文字のほとんどは1500以上のパターンがあり、800字は異例に少ないように思える。かと言って、800字は表音文字として異常に多い事からどちらをとっても難しい疑問が残るチャレンジであった。
デイビッドは文字のパターン、頻度、様々な遺跡の文章の比較の研究を行っていたデイビッドの大発見は「マヤ族の文字は表音・標語文字の混合である」と言う内容だった。
現在に伝わるマヤ語の「バーラム」(ジャガー)の読み方は、5通りの書き方があると発見した。
左から一字、バーラムと言う字が存在し、次に「バ」と言う文字と合わせる事も、次にバーラムと「ム」に値する語尾を下に足す事も、「バ」と「ム」を双方足した形、またバーラムの文字を使わずに「バ」「ラ」「ム」の3文字を合わせた言葉も表記できて、全てが「バ=ラム」と読み、同じジャガーと言う意味である事を多くの例で証明した。
なお、文字によっては「単文字」、「頭文字」、「姿文字」と3種ある文字もあると発見した。
この根本的マヤ語の性質の理解は劇的にマヤ語の解読を進め、それ以前はほとんど読めていなかった時期から僅か20年以内にマヤ族の遺跡に書かれている文の8割が解読される結果となった。
デイビッドはマヤ族研究者の若手のスターになり、史上最若のマッカーサー・フェローに18歳で選ばれた。
マッカーサー賞は別名「天才賞」と呼ばれ、各研究会の独創的な発想を持つ研究会の一人者に与えられ、当時のお金で50万ドル(現在価格およそ1億7千万円)で研究費・生活費などを気にせずに研究に打ち込めるように与えられる米科学会のノーベル賞とならぶほどの最高の栄誉のひとつである。
当然、通常有名な全盛期の学者に与えられる物であり、高校生が受賞したのは異例中の異例であった。
マヤ語の解読が進んだ事で、巡りまわってデイビッドの恩師であるシェル教授の石碑が「マヤ族の歴史説」が事実であった事が立証される結果となった。
デイビッドは研究を続けながらも大学、大学院も通学し、ヴァンダービルト大学で考古学博士号を獲得し、ハーバード教授を務めた後に現在はオースティン市テキサス州立大学の高名な中央アメリカ考古学部学部長を務め、現在もマヤ族の考古学の第一人者としてあり続けている。
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