🌍🎒2024シニアバックパッカー 世界一周の旅 ギニアビサウ(国連加盟国176か国目) OXB
公開日:
        
        :
         最終更新日:2024/03/10        
        シニアバックパッカーの旅                
      
https://photos.google.com/album/AF1QipMSF-vP9uihb5m_fQPRaKNYOWcg2sGnXHzQYi9A
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事前資料
◎ギニアビサウはdocomoパケ放題が使えないが、e-SIMのairaloは利用可能
ギニアビサウの在日大使館は設置されておらず、ビザは中国等での取得。www.rgb-visa.comというサイトはアクセスが不能であることから、正式情報はないものの、$69での到着ビザがあるという情報もあり、とりあえずは空港での対応とし、ビザが取得できなければ、そのままDSSに戻ることとした。ダミーの宿はBookingcomで準備した。
入国カードはポルトガル語フランス語。ネットにつながったスマホがあると心強い。
空港からビサウ中心部までは約10km。幹線道路のロータリーに面しているのでミニバスも拾えますが、荷物を持って乗れるような混み具合ではなく、既に日も沈んでいるのでタクシー。西アフリカとあって料金交渉の際は翻訳アプリのフランス語。相場観から2,000フラン(約3ユーロ)に値切ってチャーター。乗合い(既にお客さんが乗ってる車や途中で別のお客さんを拾う)なら安く、帰りは市内から空港まで1,000フラン。ビサウでの滞在先は旧市街にある Hotel Ancar。
英雄広場(中央に記念碑・大統領府(外観-独立前にエスタドノヴォ建築様式で建てられた植民地時代の宮殿で内戦やクーデターで砲弾を受けたが修復)・PAIGC本部(2018年1月末PAIGCの活動家6人が拘束(警察にヨリ鎮圧))・アミルカル・カブラル通り)。カトリック大聖堂参拝、アムラ要塞(4つの堡塁あったが星型要塞(ヴォーバン様式の城塞)、アミカル・カブラルの墓
ビサウ・ヴェーリョ(植民地時代にポルトガルが造った街)
チェ・ゲバラ広場(フランコ・ビサウギニア・文化センター、中央にonorio Barreto記念碑)
ここの民族の名前が「ビサウ」15C、ポルトガル人が「ギニア」とした。1446年、航海士が見つけたときは「マリ帝国」の領土の一部であった。ポルトガル人は海より川を通じて内陸に入り、「マリ帝国」にたばこ・塩の交易を許可された。15C以来、「マリ帝国」より別れた。内陸部のガーナ帝国やソンガイやマリ帝国の奴隷交易より逃げた人が住み着いてギニアビサウになった。その為、40-50の民族、今は20位になっている。今は6つのグループがあり、「ペペル族」「ビジャゴ族」等である。ポルトガルが植民地化した。1871年より、ボラマ島が首都であった。(後日、訪れます。)ボラマ島が首都となった理由はマラリアや伝染病がなかった為です。1941年、ビサウが首都になる。1963-1978年に独立戦争をした。アンゴラやモザンビークもポルトガルの影響が強くなったが、ギニアビサウが奴隷を運ぶ拠点となった。アミルカル・カブラルが独立戦争を起こし、1963年にはチェ・ゲバラが来た。1974年独立。独立後は共産主義になった。コンゴやガーナのエンクマ王子とも交流があった。ゲバラは尊敬されている。
事前資料
15世紀半ばにポルトガル人が上陸し、以後カーボベルデ諸島等と共にポルトガルの植民地となる。18世紀には現在の首都ビサウに奴隷貿易の拠点が設置され、19世紀後半には単独の植民地となり、20世紀中ごろには海外領有地と形態を変える。1956年アミルカル・カブラルが指導するクレオールのギニア・カボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)による独立・民族解放運動が始まる。以後、ソビエト連邦やキューバの支援を受けたPAIGCと、アメリカ合衆国の支援を受けたポルトガル軍事政権の間で植民地戦争が続き、1973年1月、指導者のアミルカル・カブラルが隣国ギニア・コナクリで暗殺されますが、同年に9月に弟ルイス・カブラルが初代大統領に就任し独立を宣言。1974年9月10日にポルトガル政府より正式に独立が承認。独立後も度重なるクーデターが続き、1990年代も頻繁に発生するクーデターから内戦が起こり、30万人以上の避難民が国外に流出しています。2008年から2009年にかけてさらに軍部のクーデターが発生し、3月2日には反乱軍によって前ヴィエイラ大統領が暗殺。2009年の大統領選では、マラム・バカイ・サーニャ元国民議会議長が大統領に選出されたが、その後も2010年には兵士によるゴメス首相の拘束事件が、2012年にはサーニャ大統領の病死に伴う選挙中にクーデターが発生、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の調停により、ヌハマジョ暫定大統領及びバロス内閣が誕生し現在に至ります。
https://www.abysse.co.jp/nations/africa/guinea_bissau.html
◎政局・治安
●大統領側と与党側との対立,政情が不安定な状態。2019年には大統領選挙が予定されており,今後,政情不安定に起因する衝突など突発的な事案が発生し,急激に治安が悪化する可能性
●カシュウ地方は,セネガルの反政府勢力であるカザマンス民主勢力運動(MFDC)の一派の後方拠点があると言われているほか,近年も散発的な襲撃や地雷による被害も発生しているので,渡航は止めてください。
オスヴァルド・ヴィエイラ国際空港はギニアビサウ共和国の首都ビサウにある国際空港。ギニアビサウにおいて現在定期運航便を持つ唯一の国際空港である。ビサウ市の北西約10キロに位置している。独立運動の指導者オスヴァルド・ヴィエイラを記念して命名された。
ビサウ 人口355,000人

Known as Africa’s first narco-state, Guinea-Bissau has been a key hub in the international drugs trade for nearly a decade. Hooked is a 5-part report in graphic novel style of the human impact of that trade. It explores difficult themes of drug taking. Hooked is produced by the BBC Focus on Africa TV, the BBC News Magazine and BBC NewsLabs.
Jonathan Miller reports from Guinea-Bissau in 2007, a drugs gateway to Europe, and speaks to Jose Americo Bubo Na Tchuto, believed to have been arrested by US authorities on Friday, suspected of being an international trafficking kingpin.
The war in Guinea-Bissau was short, violent and often waged on the civilian population. Frontline footage bears witness to the destruction. Subscribe to Journeyman here: http://www.youtube.com/subscription_c… It all started on the 9 June 1998, with what seemed like a confinable military uprising. The army were demanding better salaries and better pensions for the war veterans that gave the nation its independence. They were also siding with the army’s chief, who was sacked for allegedly smuggling arms to Senegal – an offence it now seems was committed by President Nino Vieria himself. The breakaways were a vicious fighting force, fuelled by vengeance for their treatment at the hands of Vieria.
◎ エアーセネガル搭乗記(2020.2.25)
https://kitagawa.ws/guineabissau-airsenegal/
https://flyairsenegal.com/en/home/
 大統領宮殿
大統領宮殿
 マーケット
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Igreja Catolica da Bissau
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