🌍🎒2024シニアバックパッカー世界一周の旅 ガンビア(国連加盟国177か国目) BLJ
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最終更新日:2024/03/10
シニアバックパッカーの旅
アレックス・ヘイリー著のアメリカの黒人奴隷を描いた小説、及びそれをもとにしたテレビドラマ『ルーツ』に登場するクンタ・キンテ(英語版)は、このガンビア出身のマンディンカ人をモデルとしている。
2011年2月6日にジェームズ島をクンタ・キンテ島と改名 登録当初は「ジェームズ島と関連遺跡群」だったが、島の改名に伴って2011年に現在の名称に変更された。
ガンビア政府によると、クンタ・キンテ島には1998年に団体客・個人客合わせて18620人、1999年には13911人が訪れたという。また、バレン要塞には1999年に2500人、2000年には3019人の来訪があったという。この数字について、ガンビア政府は遺跡の保存の上で脅威になる数ではないとし、ICOMOSもその点について特に注意はしなかった。むしろICOMOSが脅威として強調したのは、川の氾濫や熱帯特有の豪雨による侵食作用、植物の成長による遺跡の損壊などであった。実際、2016年8月23日にジュフレ、アルブレダ両村を襲った大暴風雨は、両村に残る構成資産にも甚大な被害をもたらした。
中心的な遺跡であるクンタ・キンテ島には、首都バンジュールからアルブレダまで、まずバスで約1時間半かけて行き、そこからさらにボートで約1時間かかる https://www.gambiatours.gm/excursion/roots#tab-2
当初のポルトガルと西アフリカの交易は友好的なものであり、現地の有力者の許可を得て拠点を築き、そこで金、象牙、香辛料などとヨーロッパの加工品の交換が行なわれた 。その後、ポルトガル人の入植は減退していく。カダモストらがガンビア川に積極的に繰り出したのは、そこに多くの黄金が存在していると聞いていたためだが、苛酷な環境の割には大した量の黄金が手に入らなかったからである。その後、西インド諸島や南北アメリカ大陸でのプランテーション経営の拡大などを受けて、黒人奴隷を商品とする大西洋奴隷貿易が行われるようになり、16世紀後半になるとイギリス人の貿易商会もこの地に進出するようになった。 イギリスは1807年に奴隷貿易の廃止を決め、ガンビア川流域でも違法な貿易を厳しく監視するようになった。この決定に対しては、貿易商人のみでなく、奴隷を商品としていた現地の首長にも反発する者がおり、彼らによって取締りが妨害されることもあった。今は首都になっているバサースト(現バンジュール)の建設は1816年のことだが、当初は違法な奴隷貿易を監視するための拠点づくりが目的とされていた。 そのほかには、首都バンジュールにある「六連砲台」、その対岸にある「バレン要塞」、およびクンタ・キンテ島の北の対岸にある「サン・ドミンゴの遺跡群」「ポルトガル人の礼拝堂の遺構群」「CFAOの社屋」「モーレル兄弟の商館」の6つの構成資産が含まれている。
六連砲台や対岸のバレン要塞




http://www.accessgambia.com/msite/m-fort-james-island.html
https://ecotoursgambia.com/en/ecocamps-sun-vacation-gambia/

クンタ・キンテ島と関連遺跡群 -(2003年、文化遺産)

https://photos.google.com/album/AF1QipMXlEuNalPQs0G-7BMJ7qUmIWlwNKAc–lND563
Facebook投稿文
2024.2.21 エアセネガルのバンジュール行きが深夜11時便に変更され、国連加盟国177カ国目ガンビアには2024.2.22バンジュール空港に早朝1時に到着。次のフリータウン行きへの乗り継ぎは6時だから、滞在時間5時間
ガンビアのビザは、日本のセネガル大使館で取得。簡単だったが、日本人係員から現地でトラブルかも知れないとアドバイスあり。前例があったのだろう。特に何もなく20€の入国税を支払って終了。空港は小綺麗で、写真を撮りおわり。チェックインは4時からと、待たされる。
以前にもコモロへゆく時、ピザを在日セネガル大使館で取得したが、現地の入国管理官、と言って出口に机一つ出して審査している平服のおばちゃんだったが、私のビザは無効だとクレームをつけてきたことがあり、それを思い出した。ガンビアも同じように貧しいのだろう。
ガンビアには世界遺産のクンタキンテ島がある。ルーツというテレビドラマの主人公にあやかって名前まで変えてしまった観光資源。奴隷関係遺産は、いずれも刺激が強く、史実とは乖離していても、人を呼び込む価値がある。セネガル、ゴレ島の「帰らざる門」もその代表である。私も前回みているので、高いタクシー代を払ってまで、もう一度見にゆく気にはならなかった。
今のガンビアは、YouTubeで見る限り、欧米人には風俗が有名らしい。
事前資料
DSS |
16:40 |
HC213 |
17:20 |
BJL |
$74 |
入出港税 |
|
2000ダラシ |
|
4323円 |
30ドル |
BJLトランジット 宿60分 Yarambamba layout, Yundum |
|||||
BJL |
7:15 |
KP43 26A |
8:30 |
FNA |
$129 |
ゆっくり解説】国境線がグニャグニャすぎる国、ガンビア共和国

ガンビアはアフリカ大陸最小の国土面積を持つ国である。ガンビア川の両側に国土を持ち、その最大幅は48キロメートルに過ぎない。国土の大部分がサバンナ地帯であり、国土のうち1300平方キロメートルをガンビア川が占める。 面積:約11300㎢、人口:約210万人(両者とも岐阜県なみ)
ガンビアはかつてイギリス領であり、イギリスとフランスが1889年にガンビア川の両岸約200マイルをイギリス領とすることで合意した。独立後の国土もイギリス領時代の国境線を継承している。ガンビアは長年にわたって中華民国(台湾)を承認する数少ない国の一つだったが、中華人民共和国との貿易額が増大するにつれてその外交関係はぎくしゃくしたものとなり、ついに2013年11月15日には台湾との国交を「国家の戦略的利益のため」断絶したと発表した
ガンビアのハマット・バー観光文化相が自国のテレビ番組で、セックスツアーが目的の欧米の旅行者はガンビアではなくタイに行くべきと発言し、物議を醸している。
アレックス・ヘイリー著のアメリカの黒人奴隷を描いた小説、及びそれをもとにしたテレビドラマ『ルーツ』に登場するクンタ・キンテ(英語版)は、このガンビア出身のマンディンカ人をモデルとしている。
2011年2月6日にジェームズ島をクンタ・キンテ島と改名 登録当初は「ジェームズ島と関連遺跡群」だったが、島の改名に伴って2011年に現在の名称に変更された。
ガンビア政府によると、クンタ・キンテ島には1998年に団体客・個人客合わせて18620人、1999年には13911人が訪れたという。また、バレン要塞には1999年に2500人、2000年には3019人の来訪があったという。この数字について、ガンビア政府は遺跡の保存の上で脅威になる数ではないとし、ICOMOSもその点について特に注意はしなかった。むしろICOMOSが脅威として強調したのは、川の氾濫や熱帯特有の豪雨による侵食作用、植物の成長による遺跡の損壊などであった。実際、2016年8月23日にジュフレ、アルブレダ両村を襲った大暴風雨は、両村に残る構成資産にも甚大な被害をもたらした。
中心的な遺跡であるクンタ・キンテ島には、首都バンジュールからアルブレダまで、まずバスで約1時間半かけて行き、そこからさらにボートで約1時間かかる https://www.gambiatours.gm/excursion/roots#tab-2
当初のポルトガルと西アフリカの交易は友好的なものであり、現地の有力者の許可を得て拠点を築き、そこで金、象牙、香辛料などとヨーロッパの加工品の交換が行なわれた 。その後、ポルトガル人の入植は減退していく。カダモストらがガンビア川に積極的に繰り出したのは、そこに多くの黄金が存在していると聞いていたためだが、苛酷な環境の割には大した量の黄金が手に入らなかったからである。その後、西インド諸島や南北アメリカ大陸でのプランテーション経営の拡大などを受けて、黒人奴隷を商品とする大西洋奴隷貿易が行われるようになり、16世紀後半になるとイギリス人の貿易商会もこの地に進出するようになった。 イギリスは1807年に奴隷貿易の廃止を決め、ガンビア川流域でも違法な貿易を厳しく監視するようになった。この決定に対しては、貿易商人のみでなく、奴隷を商品としていた現地の首長にも反発する者がおり、彼らによって取締りが妨害されることもあった。今は首都になっているバサースト(現バンジュール)の建設は1816年のことだが、当初は違法な奴隷貿易を監視するための拠点づくりが目的とされていた。 そのほかには、首都バンジュールにある「六連砲台」、その対岸にある「バレン要塞」、およびクンタ・キンテ島の北の対岸にある「サン・ドミンゴの遺跡群」「ポルトガル人の礼拝堂の遺構群」「CFAOの社屋」「モーレル兄弟の商館」の6つの構成資産が含まれている。
六連砲台や対岸のバレン要塞




http://www.accessgambia.com/msite/m-fort-james-island.html
https://ecotoursgambia.com/en/ecocamps-sun-vacation-gambia/

クンタ・キンテ島と関連遺跡群 -(2003年、文化遺産)

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