定住(観光の逆)と言語のことをわかりやすく説明した対談 (池谷裕二(脳科学者)×出口治明(ライフネット生命会長))
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最終更新日:2017/08/03
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出口:動物行動学者の岡ノ谷一夫氏に、言語はコミュニケーションから始まったのではなく、考えるツールとして始まったと聞いた。10万年くらい前。考古学者の西秋良宏氏は、ドメスティケーション、即ち定住を始めてから「そのときちょっと脳が変わったんだよ」と聞いた。そこからはあまり変わってない。
池谷:たぶん、言語に関わるFOXP2という遺伝子を獲得したのが大きいんです。この遺伝子はネズミにもチンパンジーにもあり人だけは、ある特定の領域のアミノ酸の配列が変わっていて、人でもFOXP2に欠陥があると言語障害になるんです。そのアミノ酸を人がいつ置換し、言語を獲得したか遡ると、10万年くらい。学術的には賛否両論あるのですが、たぶんそれくらいです。その後、人は世界中に拡散していく。
アフリカから出て、世界中に拡散して定住したのはその後ですが、面白いのは予定調和のように、ほぼ同じ時期に定住を始めている。その時期にいっせいに何か別の「定住遺伝子」が変化したとは考えにくい。でも脳の使い方は、定住に合わせて、絶対に変化しているんです。本当は定住したくなかったけど、なぜか世界中でいっせいに定住を始めた。おそらく地球規模の環境の変化じゃないかと思います。ヤンガードリアス期のような小氷期など。そのために栽培せざるを得なかったのか、そこはよくわからない。ただ、面白いのは、また気温が上がって、狩りができるようになっても、人間は狩猟生活に戻らなかった。
池谷:表情などは学習できるんです。でも、脳の使い方ってまったく習っていない。だから、自分が使っているように相手も使っている保証はない。どれくらい人と違うかというと、脳の使い方さえ見れば、その人が誰かわかるくらい違います。たとえば、匿名で100人の脳が置いてあって、コップをつかむときの脳の活動パターンを見ただけで「ああ、これはAさんね」「これはBさんね」と当てられるくらい個性豊かなんです。
脳の中にはダークエネルギーがある。念力と意志の力は何が違うのか
池谷:私は一応脳研究者なので、唯脳論的な立場を科学者としてとらなきゃいけないが、難しい問題がいっぱい出てきます。たとえば念力と意志の力は何が違うのか。今、目の前にあるコップを、念力で持ち上げることはできませんよね。物理の世界で言うと「エネルギー保存の法則」に反するからです。では、私が手で持ち上げるのは、エネルギー保存の法則に反しないんですか? という話になってくる。手で持ち上げるのは、運動神経がピピピと反応してそれが電気信号になって走り、筋肉が収縮して上がる。その運動神経の最初のところをピピピピと動かしたのは誰ですか?
出口:無意識の部分。
池谷:そうなんです。運動神経の上流ですけれど、結局、無意識の渦にその源流をたどっていくと消えていっちゃう。じゃあ、「意志ってなんだろう?」という話です。ミクロな話をすると、電気信号は神経線維の上に、タンパク質を通す穴が開いていて、普段は閉じているんです。それがパッと一瞬開くと、電気が上がる。僕らがこうして動いているのは、すべてタンパク質の形の変化なんです。最初にタンパク質の形を変化させたものがあるから連鎖反応を起こすのですが、最初に変化させたのは誰? それが意志なんですけどね。
出口:その意志のほとんどは、無意識の部分で決めていると言われますよね。
池谷:じゃあその無意識の、たんぱく質を変化させたのは誰ですか?
出口:ってなってくると、わからなくなりますね。
池谷:わからないんですよ。何か強靭な無意識の意志があって、タンパク質を変化させるとき、手で「よいしょ!」とかやっているわけじゃないですからね。でも、形をぐっと変化させたということは、念力で動かしているのと似ているじゃないですか。
出口:ええ、確かに。
池谷:念力がなければ、タンパク質だって最初の変化は起こらないはずなんです。と、考えると、エネルギー保存の法則を成立させるためには、唯脳論というか、一元論ではダメなんです。心は別の世界にある、と考えなければダメなんですよね。私は、二元論は到底科学者として認められないんですが、よくよく考えると二元論じゃないと世の中成立しないことに気づきます。これはとても難しい。
出口:僕もよくわかりませんが、脳の中でそういう作用が働いていることは確かですよね。自由意志じゃないのなら、なんだろう。宇宙論で言えば、ダークエネルギーのようなものでしょうか。
池谷:おっしゃる通りです。私たちも脳のダークエナジーという言葉を使っています。
出口:こういうお話を聞いていると、AIよりも何倍も面白いですねえ。
池谷:子どもたちに同じように聞くと、脳は知能を生む場所だから、「自分が脳になったら天才になれそうな気がする」って言うんですが、たぶんまったく逆です。脳は頭蓋骨の中に幽閉されて、真っ暗闇で光も匂いも味も何も届きません。脳には光が届いているわけじゃない。脳は何を見ているかというと、網膜で光が電気信号にピピピピと置き換わって、そのモールス信号が脳に届くんです。ピピピピという信号を元の画像に復元して、こういう映像だと感じる。映像もピピピだし、音もピピピだし、感触もピピピ。これは実に不思議です。
出口:脳に届くものはすべてピピピ信号なんですね。
池谷:ええ、真っ暗闇にピピピと届いているだけです。たとえば、私の前に画面パネルがあって、各ドットが神経とつながっていて、そこからのピピピ信号を電光で映し出しているとしましょう。たとえば今、コップを手で触ったら、その信号がピピピとパネルに対応して光ります。脳になって見ていると想像してください。どうしてこのピピピが、目からじゃなくて手から来たってわかるんでしょう? パネルのドットは、全部ピピピなんですよ。全部等価なピピピです。それなのに、これは目から来た光だとか、耳から来た音だとか、わかるんですね。なぜわかるんですか?わからないんです。ある意味、本当に宇宙論に似ていますね。ダークマターがあることはわかるけれど、それが何かは分からない。でもそういうものを置かないと説明できない。どうなっているかわからないけれど、あるということを前提にしなければいけない。不可視な領域がいっぱいあるのですね。脳は「この経路を通ってきたから、これは触覚だ」とか、生まれて一度も確かめたことはありません。これは、宇宙から突然、見たこともない記号が届けられ「この楽譜で宇宙人の音楽を復元してください」と言われるのに似ています。永遠に理解できない世界があると理解したほうがいい。パラレルワールドみたいなものです。
池谷:おっしゃる通りです。でも、ここにあるコップだって、目から入って来るピピピですよね。コップのピピピには所有感がないのに、なぜ自分の手だけ所有感があるのでしょう。
2つのピピピに、差はないですよね。面白い実験をした人がいます。手を縛って動けないようにして、目の前にゴムのおもちゃの手を置いた。おもちゃだから、当たり前ですが自分の手じゃありません。ところが、そのゴムの手をポンポンポンって棒で突きながら、同じリズムでピピピと脳を刺激したんです。ゴムの手が、自分の手に感じられるようになるんです。それも、たった6秒で!つまり、脳へのピピピ信号と、視覚としてのピピピ信号が同期しているだけで、自分のもののような錯覚が生まれるんです。その状態でナイフとかで刺すと「痛い~!」って感覚になるらしい。つまり、僕らの体というのは、そんなことで簡単に変更可能になるくらい曖昧なものなんです。これは不思議なことではないんですよ。聴覚障害の人の人工内耳は、マイクで拾った音を、ピピピ信号に変えて、その電気信号で蝸牛を刺激するんですね。実際、人工内耳から聞こえてくる音は、ロボットが発している電子音みたいなものです。自然の音だなんて到底信じがたい。でも、そのまま我慢してつけていると、いつしかその音との一体感が生まれて、自然の音声に化けるんです。1か月後には会話ができるようになるんですよ。脳がだまされるんです。誰の声でもわかるので、1か月後には電話で話せる。ということは、どんなピピピ信号でもいいんですよ。僕が聞いたピピピ信号と、出口さんが聞いたピピピ信号は、同じものを聞いたとしても違うんです。出口さんにはピッピピピーで、僕にはピーピピピーピーと聞こえているかもしれない。でも慣れてくればその音として、どんな音でも聞こえます。なんとなくわかっていただけますか?ってことはね。脳が慣れてくると、「これは目」「これは耳」「これは手」っていうふうに、真っ暗でも信号に慣れて解釈が上手になるわけです。でも、ピピピだったら何でもいいのなら、ピピピ信号から本当に現実の世界をちゃんと復元できているのか、自信がありますか?僕もまったくありません。それどころか、ここにはもっと大きな問題がある。「現実世界を再現している」というときの現実世界とは、いったい何ぞや。「現実世界って本当にあるの?」という話になっちゃうんです。ハリウッド映画の世界になってきますね。だって僕らは生まれてこの方、ピピピ信号しか脳では感じたことがないんですよ。それなのに、外側の現実世界を想定するなんて意味がないわけです。
出口:先生のおっしゃっていることを荒っぽく言えば、真っ暗な牢獄の中にいる鉄仮面が、日常生活を続けているうちにピピピを聞き分けて、これが現実だという仮想世界を作っているだけ。それが本当かどうかは確認のしようがない。という理解でいいですか?
池谷:ずばり、その通りです。それはたぶん、みんなやっていること。みんなが自分の中に現実世界という仮定を勝手に置き、それを復元した気分になって、相互に影響し合っているのがこの世界だと思います。
猫って、宇宙からやってきたとしか思えない生物です。コントラフリーローディングってご存じですか?「なぜ働くか」という話と関係あるので、お話します。コントラは「逆」、フリーは「ただ」、ローディングは「負荷」です。つまり、労せず手に入れたものより、脳は対価を払って入手したものを好むという話です。僕らは研究室でネズミを飼っていて、ケージの中にエサを置いている。自由にいつでも食べていい状態になっているのですが、ネズミは賢いので、レバーを押してエサが出てくる道具を置いたら、お腹がすいたときレバーを押して勝手に食べるんです。ケージの中に、レバーのついた道具と、お皿のエサを両方置いておくと、ネズミはどちらを食べるでしょう?レバーのほうでは?そうなんです。面白いからじゃないですか。そうだと思います。つまり、苦労せずに手に入れたエサには価値がないんです。これ、ネズミだけじゃなくて、ほぼすべての種がそうです。魚も鳥も猿も犬もみんなそう。魚なんて、目の前にあるプランクトンを食べればいいのに、海藻の中にあるプランクトンをわざわざつついて食べるんですよ。苦労があるほうが、ゲットしたときの楽しさがあるんでしょうね。そうでしょうね。人間も小さい子にガチャガチャの中身をそのままあげるより、ガチャガチャの機械があれば絶対に回します。これはもう100%回す。だから人間も同じなんです。年を取って、引退して、年金もらって、働かずに手に入れたお金は、たぶんあまり価値がない。出口さんはいつも「定年なくしましょう」っておっしゃっていますよね。僕は本当にそうだなと思う。給料が安くなるのは仕方ない。でも、働いて手に入れるのは、脳の本質だと思うんです。動く物と書いて「動物」です。動物は、自分で動いて、エサを獲ってきますもんね。タダで貰うなんて、動物の世界ではおかしいやないか、ってことですね。。飼い犬みたいにご主人からもらうことに慣れて2000年経っている犬ですら、レバーを押すんですから。もしかしたら、働く物とかいて「働物」といってもよいかもしれませんね。でも面白い話があって、唯一コントラフリーローディングが観察されない生き物が知られているんです。猫。とくに家猫ですね。猫は絶対に楽なほうに行くんです。労働フリーな生活が大好き。動物の定義は、エサを獲るために動き回ること。この意味では、猫たちは、もはや動物じゃないです。楽できる機会があれば徹底的に採用、みたいな下心丸見えなんですよ。猫は、ある意味、進化した未来型の生物という言い方もできますね。あるいは、宇宙からやってきたか。地球上の生物ではないですね(笑)。
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