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「厚生」省の誕生と国内「観光」政策

公開日: : 最終更新日:2023/05/28 用語「人流」「観光」「ツーリズム」「ツーリスト」

字句「厚生」の誕生を調査することにより、国際に限定されて使用されていた字句「観光」の使用例が、国際観光局の設立により日本人の国内観光をとりこんだ概念に発展する兆しが見えかかっていたにもかかわらず、その後広がりを見せず、国内観光をとりこんだ字句「観光」の概念の確立が戦後の復興期をまたなければならなった理由が解明されるのではないかという仮説を立てている。全15巻からなる『余暇・娯楽研究基礎文献集』を若い学者が丁寧に分析することにより解明されることを期待するものである。

 

1 厚生省の設立

厚生省の設立は、一般には国家総動員体制の一環であったと見なされている。「壮丁体位」の向上を求める陸軍の「衛生省」設立論を受ける形で行われたことは事実であるが、近年の福祉国家研究は厚生省の設立を「日本の福祉国家体制の歴史的起点であったといっても過言ではないと高く評価している(「内務省の社会史」)。陸軍は「国民体位」低下問題を提起したが、実際には一貫して国民の体位は向上していた。陸軍は、徴兵事務の移管の意向があり、出先機関をつくる発想であった。これに対して内務省は、体育及び保健衛生に、労働及び社会問題に関する行政を綜合し、陸軍の不満をおさめるべく体力局を筆頭にして1937年に厚生省が設置された。従って内務省が陸軍をうまく利用したということであるとする意見が強い。

注)元ニ二六事件時の社会局長官であった広瀬久忠氏は「社会不安を除く社会政策を」(厚生省20年史3-5頁)のなかで「我が国経済は非常に発展し資本家の力は伸びたが、その半面貧富の差がひどくなり、社会情勢は逆に悪化の傾向をたどっているということであった。当時、政党は徒に政争を事としてひどく堕落していた。二・ニ六事件はこのような情勢を背景に陸軍部の起こした政党不信の一種の革命であった。換言すれば社会政策が行われていない状況のもとで、この事件は起きたのである」と述べている。鉄道省官僚が職員の俸給削減問題で全員の辞表を取りまとめた騒動にも政治不信があったといわれており、共通するものがある。

注)厚生省五十年史93頁には昭和4年頃は「都市からの失業者特に紡績工女等の帰農により結核は、結核処女地であった農村に非常な勢いで伝播する状況」であった。

2 オリンピックとレクリエーション

1936年成功裏に開催されたベルリンオリンピックの次期大会として1940年東京オリンピックが決定された。オリンピックとともに「国際レクリエーション大会」も東京で開催されることになった。この件に関し、報道では当初「レクリエーション大会」を「余暇善用大会」と訳していた(1937年12月)。しかし、直に、同時期に設立された厚生省の名称の影響を受けたのか、「レクリエーション会議」の日本名を漸く「厚生会議」とすることが報道されている(1938年2月)。字句「レクリエーション」の戦前の用例は、朝日新聞では13件(ツーリズムは零)であり、戦後を含めてレジャーや観光と比較しても用語としての普及は見られなかった。字句「観光」に遊覧の意味を持って使用されるようになった時期的な研究はまだ進んでいないが、レクリエーションが遊覧ではなく字句「厚生」を持って訳語に充てられたことは興味ふかいことである。

東京オリンピック開催決定に伴い、体育行政一元化の観点から文部省体育局に統合する案も繰り返し提起されていた。今日2020年東京オリンピック開催を控え文部科学省にスポーツ庁の設置が検討されていることはこのことの一種のデジャブである。この国民体位向上運動が地方観光協会等各地においてハイキングを強調するようになっていったことも、国内観光概念にも微妙な影響を与えることとなったのではなかろうか。

終戦後、字句「レクリエーション」が国家公務員法において使用されたが、「元気回復」という意味で使用されていた。その後、高度経済成長期に全国総合開発計画及び運輸省において字句「観光・レクリエーション」が再び使用されるようになった。この時点においてはレクリエーションに厚生の字句をあてる発想はなくなっていた)。

3 字句「厚生」の語源

厚生省の名称は、「書経」の「正徳利用厚生惟和」から名付けられた(厚生省五十年史)。「書経左伝」宋の朱熹の門人蔡沈の著した「書集伝」に、厚生は民の生活を豊かにするという意味があるとされている。「厚生者依帛食肉不飢不寒之類所以厚民之生也」

厚生省は当初、「保健社会省」と命名する予定であったが、枢密院審査委員会において「保健社会省とは名前が長すぎる。以前、農商務省というのはあったが、三字止まりであった。もっと簡明な名前にした方がよい」という意見が南弘顧問官から出され、南顧問官から漢籍に出所を持つ「利用厚生」云々はまさに新省の所掌事務を示していた。そこで、この厚生をとって厚生省としようという提案があった(厚生省公衆衛生局編「検疫制度百年史」ぎょうせい、1980年3月、p.64 原出典は「内務省史」)。なお、字句「厚生」がレクリエーションの訳語として用いられるようになった点についてはさらなる分析が必要であろう。

 

4 厚生省が作成した国民厚生方策に関する緊急対策案等に見る戦前の「観光」行政

○1938年11月第1回日本厚生大会要項 大会趣意書には「厚生運動ノ目標ハ国民ノ日常生活ヲ刷新シ特ニ余暇ノ善用ニ意ヲ注ギ健全ナル慰楽ヲ勧奨シ・・・」とある

○1941年12月20日国民厚生方策ニ関スル緊急対策案には「休息ハ安逸ニ非ズシテ、勤労後ノ体力ヲ恢復シ明日ノ活動ニ備フルタメノモノトスルノ生活慣習ノ確立ヲ図ル」とあり、国民の厚生施設の概目案として「国立公園ノ大活用(山ノ家ノ施設)、国史深省ノ機縁タル地ノ利用(統制アル聖地巡回ノ施設)、歓喜力行ノ趣意ヲ以テスル行事、見学旅行等ノ誘導(青年宿泊所ノ設置、農民旅行団ノ組織、市民農園ノ経営)」「国民皆泳ノ奨励(海ノ家ノ施設)」「大都市付近ノ景勝地(例ヘバ大島)利用ノ綜合的厚生施設ノ経営、健全慰楽ノ施設及助成」等が記述されている。またその方法として「日本観光協会、国立公園協会、温泉協会ヲ統合スルコト」「プレイガイドヲ統合経営スルコト」「十二月ヨリニ月ニ至ル三月間冬期救済運動(損金募集)ヲ強力ニ、全国的ニ統一シテ実施スルコト」   これを読む限り今日の全国総合開発計画に観光に関する記述と変わりがなく、戦前戦中戦後と今日にいう「国内観光」が見事に「厚生」の名のもとに記述されていると言える

○なお、上記資料は『資料集総力戦と文化』(大月書店)に掲載されており、同書の高岡裕之氏の解説には「厚生運動とは、本来レクリエーション運動(=娯楽や休養による疲労回復・労働力回復の運動)の訳語として日中戦争化に登場したものである。この運動は主として大都市と工場方面に広がりを見せたが、その位置づけは担い手によって異なっており、そこには余暇の「善用」と健全娯楽の普及という意味に加え、体力の強化、国民精神の昂揚、集団的訓練、能率の向上など様々な目的と領域がはらまれるようになった。・・・ところで戦時下における「厚生運動」という言葉には、1940年頃からの右の意味とは明らかに区別されるもう一つの用法が登場する。それは地方農村や大政翼賛会関係の資料に見られるもので、、そこでの厚生運動とは、もっぱら保健・医療運動をさすものであった」「「日本の社会は厚生の氾濫の感がある」といわれるまでの状況が出現」「もっとも厚生ブームの一面には、戦時下における自粛機運に圧迫された民衆が、そこに娯楽の大義名分を見出した結果という側面もあった。そのため厚生運動の流行については、「『従来の慰安、娯楽、遠足等をそのままの名目では、時局がらはばかられるから当世流行の厚生という衣を纏えば、天下晴れてやってのけられる』といった時局便乗主義者に利用されている」という批判がつきまっとていたのである」と記述されている。

5 厚生省50年史に見る国内観光行政

戦前に日本人を対象とした観光行政は建前として存在しなかった。しかしながら国際観光局の設立に伴い、各地に観光協会が設立されると、自治体ベースでの国内観光行政が実施されるように立って行くのは必然であった。問題点は、外客(西洋)用の観光事業と日本人用の観光事業が当時の生活様式の違いを反映して全く異なるところから、建前と本音を使い分けることが難しかったことである。従って東京府観光協会の資料にも見られるように「厚生(レクリエーション」)とともに観光の「内主外従」が語られてゆくこととなる。

厚生省の行政は、内務行政の一環であり、その字句「厚生」がレクリエーションの訳語として用いられることは、国内観光事業が厚生省行政の中でも進めらることをも意味していた。国立公園行政や旅館条例等がその典型であった。しかし観光として正式に認知できるまでには至らないうちに戦時体制が強化され、ハイキング、厚生、保健、休養等の字句を超えてまでには観光は使用されることはなかったのではないかと思われる。また、東京都に代表されるように、自治体の観光行政主管課が旧内務省系等の組織に属していたことも、外客誘致を所管する国際観光局とはずれを生じさせていたと思われる。

この影響は、戦後も継続し、厚生省に関連する行政(すなわち国内観光)において、字句「観光」が法令等厚生行政文書に登場することはなく、「ソーシャルツーリズム」等に代表される用例が登場したのではないかと思われる。厚生省50年史1169頁には「我が国の国民生活が安定を取り戻した昭和20年代後半から所和30年代初めにかけて、勤労者・青少年層の観光旅行(当時ソーシャルツーリズムと呼ばれた)型の野外レクリエーションに対する志向が高まった。 これを受けて、自然公園行政の上では、野外レクリエーション施策として・・・・が開催された。一方、宿泊休養施設としては、昭和31年に「国民宿舎」が、また、昭和35年には「国民休暇村」がそれぞれ誕生した。」p1170「昭和40年代に入ると、国民のレクリエーション志向は、宿泊利用はもとより日帰り型も多くなったので、昭和42年には日帰り休養施設として地域住民の利用をも考慮した「国民休養センター」の建設が始まった」p1171「最初の「国民保養温泉地」として青森県酸ケ湯温泉、栃木県日光温泉、群馬県島温泉の三箇所が指定された」

今日においても宿泊行政は旧内務省の流れを引く厚生労働省所管業務であり、国土交通省は外客誘致が所管行政であるが、世間への理解が浸透しておらず、旅館施設の耐震構造強化等の課題について観光庁に要望がなされるといったことが発生している。

5 1930年代の人口動向

1920年代半ばから内地人口の自然増加が百万人規模に達した。出生率の低下を上回る規模で死亡率の低下が進んだ結果(「人口転換」多産多死⇒多産少死⇒少産少死)。第一次世界大戦後多くの国が少産少死段階への移行を遂げた結果、人口増加の停止ないし人口減少の危機が問題となりつつあった。日本は1920年代から多産少死段階への本格的な移行期に突入していた。

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