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Quora カンボジャ虐殺の原因は米軍という解釈

公開日: : 最終更新日:2023/05/28 歴史認識

Osamu Takimoto·10年ほど海外で生活していました最も誤解されている歴史上の人物は誰ですか?

誤解というより、通常伝えられている人物像がどこまでが事実なのか怪しいという意味で、カンボジアの独裁者として有名なポルポトを挙げます。

ポルポト政権が崩壊して間もない頃は日本国内でも彼に対して様々な評価が飛び交っていたようですが、現在では概ね次のような言説に収斂しているように思います。

・原始共産制を標榜して都市民を農村に強制移住させた

・農村部でいわゆる強制労働が行われた

・近代の物質主義的な生活を否定し原始的な生活への回帰を標榜した

・知識人階級の根絶を図った(象徴としての子供の医者の登場など)

しかし実際には上記のポルポトの政策は、ポルポト自身の思想信条というよりは、ベトナム戦争中から絶えずアメリカによって繰り返されていたカンボジア東部への集中爆撃によってもたらされたものではないかとも言われており、真相は思っていたより複雑なようです。

カンボジア東部はメコン川の流れる国内随一の穀倉地帯であると同時に、ベトナム戦争中は南ベトナムの兵士の逃げ込む隠れ家のような役割も果たしていたので、ゲリラ対策としてアメリカの爆撃の標的にされていました。

カンボジアでは乾季と雨季がはっきり分かれているため、乾季のうちに破壊された農地やダムを修復しなければ、その次の年の農作業に深刻な影響が出ることは避けられず、ポルポト政権は発足の直後から農村への集中的な人員投入と急ピッチでの補修作業を余儀なくされたそうです。

そういった異常事態下において生じた様々な問題をアメリカが悪意を持って揚げ足取りをしていった結果が、最終的に今現在流れているようなポルポトに対する定説を生み出したのではないか、という見方も存在するようなのです。

私にも大虐殺の真相は分かりませんが、アメリカの農地破壊によって生じた餓死者もそこに含まれている可能性も否定できないのかもしれません。知的階級の失踪は彼ら自身の餓死によって説明されるのかもしれません。少年の医者は専門的な知識を持つ人間の不足の結果生じたものかもしれません。

少なくともかつて言われてきたほどの比重でカンボジア荒廃の責任がポルポトあったのかどうかに関しては、とても慎重にならざるを得ない気持ちになっています。

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