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Quoraに見る歴史認識 日本は日清戦争、日露戦争では勝利することができたのに、先の大戦 (第二次世界大戦) ではなぜ敗北に至ったのでしょうか。 日清日露と第二次世界大戦を比較対照して答えていただけたら幸いです。?

公開日: : 最終更新日:2020/12/01 歴史認識

日本は日清戦争、日露戦争では勝利することができたのに、先の大戦 (第二次世界大戦) ではなぜ敗北に至ったのでしょうか。 日清日露と第二次世界大戦を比較対照して答えていただけたら幸いです。?

4年も戦争にかけたからです。2年で終わらせることができていたら、それなりに勝ったと言える戦果を得られたのではないでしょうか。その意味では、開戦から半年後のミッドウェー海戦で敗れたのが短期終戦工作を難しくした最大要因かもしれません。山本五十六提督は空母決戦に勝利して太平洋から連合軍の海軍戦力をほぼ一掃して、それを梃子に講和交渉に進めるといったシナリオを思い描いていたといいます。思惑通りにいけば戦争は2年で終わるという計算だったはずです。

大本営としては米国の狙いは太平洋より欧州にあると読んでいましたので、米国は講和に乗ってくると計算していたはずです。しかしながら、ミッドウェーではご存じのように大敗して、ナチス・ドイツも大本営の思惑とは裏腹に、皮肉なことに日本の参戦とほぼ同時に、ソ連相手に敗走し始めます。これによって英国にかかっていたドイツの圧力は急減しましたので、米国としては、とりあえずソ連を経済支援しながら、欧州大陸上陸のタイミングを待つという落ち着いた戦略が採用できるようになりました。この結果、米国はその恐るべき生産力の大半を太平洋戦線に投入するという、日本にとっては最悪の結果となったのです。その後3年近く、見方によっては日本はよく耐えたというべきかもしれません。

実は、日清戦争も日露戦争も日本大勝利と言いながら、このような結果になる可能性は大いにありました。どちらの戦争も開戦から2年ほどで日本側は国力をほぼ使い切り、先方はまだまだ戦える余力が残っているという状態でした。それを講和に持ち込めたのは、先方のお家の事情でそうなっただけのことです。

まず日清戦争ですが、日本が戦ったのは清国の全軍ではなく李鴻章の北洋軍閥です。当時の清国は正規軍の力が衰えて、代わりに各地の軍閥が割拠して、北京の宮廷は軍閥の寄り合い所帯のようなありさまでした。その中でも李鴻章の力は群を抜いていたのですが、政敵も多く、「日本が李鴻章に大恥をかかした」と密かに喜ぶような輩も多かったのです。もし、彼ら軍閥が団結して、つまり清国が総力を挙げて日本に立ち向かっていたら、間違いなく日本は負けていたでしょう。結局、李鴻章は、これ以上日本と戦い続けると他の軍閥に対抗できる戦力を失うことになると恐れ、つまり宮廷内部の事情を優先して、日本との講和に応じました。

次に日露戦争ですが、これについては明石元二郎大佐によるボルシェビキ工作が勝敗の行方を左右しました。詳しくは別のところに記事を書きましたのでご参照ください。

日露戦争を勝利に導いた最大の功労者は誰でしょうか?に対する北原 俊史 (Toshifumi Kitahara)さんの回答

太平洋戦争についても先例に倣って、途中で講和に持ち込む目論見であったはずです。しかし、結局、日本海海戦や黄海海戦に匹敵する講和のきっかけが手に入らずに、止めるに止められず4年も戦争してしまったということかと思います。戦争を政治の一形態と考える冷静な見解に従えば、ミッドウェーで負け、虎の子の航空戦力を失った段階で講和するべきでした。失地回復の戦力はもはやないので、勝てる見込みのない戦をするくらいなら、というか、賭けに負けたようなものですから、いわゆる「損切」で始末をつけるべきであったでしょう。伊藤博文や陸奥宗光なら間違いなくそうしたはずです。負けての講和ですから中身は屈辱的なものとなるのは仕方のないことですが、ハルノートの全面受諾と占領地の全面返還及び賠償金、といったところでなら折り合えたでしょう。そうすれば、少なくとも一般市民の犠牲はなしですんだはずです。開戦は欧州戦局の読み違いですので、ある程度はやむを得ないとして、勝てる見込みのなくなった戦争を継続した責任は重大です。東条首相以下、当時の戦争指導者の意思決定の在り方は、もっと厳しく問われなくてはなりません。

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