中国文明受入以前は、藤貞幹は日本に韓風文化があったとする。賀茂真淵は自然状態、本居宣長は日本文化があったとする。
中国文明受入以前は自然状態であったとする賀茂真淵、日本文化があったとする本居宣長に対して、藤貞幹は、韓風文化があったとする。平田篤胤は日本風が中国風に影響したとする
神武天皇の在位を600年繰り下げて神代文字の存在を否定した『衝口発』を著すが、これが国学者達の反感を買い、特に神武天皇や素戔嗚尊(その正体を新羅の国王であるとした)の問題については本居宣長が『鉗狂人』を著して貞幹の考証が杜撰であると主張し、逆に上田秋成が貞幹を擁護して宣長の姿勢を非難するなど激しい「日の神論争」等の論争を招いた。
国学は『古事記』や『日本書紀』が成立した当時の言葉で読むことを通じ、古代の日本人の心である古道をあきらかにしようとする学問である。本居宣長、上田秋成ともに国学者の学統に連なる。宣長は漢意(からごころ)を否定し、日本人の心を明らかとし、人間解放への道を拓き、国民的倫理の確立を真面目に希求した。同時に粗雑な皇国思想を主張したため都市のブルジョワ文化サロンの一人であった秋成が「臭み」として批判、ここから論争に至った。
日の神論争は両者の応酬を宣長が論点ごとにアレンジして成った『珂刈葭(かがいか)』に収録されている。『珂刈葭』前編は古代日本語に「ん」の撥音があったか、なかったかをめぐる論争が、後編は『鉗狂人』に対する秋成の評と宣長の弁がある
古書も人の書いた書であり筆者の取捨選択、知識の有無、好悪の感情が入り込む。『記紀』に異同があればおかしいというべき。その点を問うた秋成に対し、宣長は古書に疑いがあるからといってすべてを否定すべきではない。異同があるのは自然なことという返事をした。小林秀雄は『本居宣長』のなかで宣長の逃げ口上ととられても仕方なかったとした。
日本は海内無比の上国であり、唐、天竺、西欧などの諸国は下国である。『古事記』に登場する日本の神は世界万国共通のものであるという本居宣長の神話論を展開した『馭戎慨言』(1778)に対し、上田秋成が『往々笑解(おうおうしょうかい、と読む説あり。現存せず)』という本を書いて批判した出来事があった。
関連記事
-
-
2019年11月9日日本学術会議シンポジウム「スポーツと脳科学」聴講
2019年11月9日日本学術会議シンポジウム「スポーツと脳科学」を聴講してきた。観光学も脳科学の
-
-
日経新聞2019年5月18日見出し「池袋暴走の87歳、ミス否定 「ブレーキ踏んだ」説明」へのTanaka Yukoh氏のNewspicksのコメントが秀逸ですが、イイネは少ないです。紹介します。
大変痛ましく残念な事件ですが。ただ、こういうのは御遺族もおられる事ですから、どうぞ冷静に。
-
-
1932年12月16日『白木屋の大火始末記』
関東大震災の始末が終了したころ 地下三階地上七階建てデパートの4階から出火 クリスマスツリーの豆電
-
-
『シュリューマン旅行記』 清国・日本 日本人の宗教観
『シュリューマン旅行記 清国・日本』石井和子訳 シュリューマンは1865年世界漫遊の旅に出か
-
-
『財務省の近現代史』倉山満著 馬場鍈一が作成した恒久的増税案は、所得税の大衆課税化を軸とする昭和15年の税制改正で正式に恒久化されます・・・・・通行税、遊興飲食税、入場税等が制定されたのもこの時であり、戦費調達が理由となっていた 「日本人が汗水流して生み出した富は、中国大陸に消えてゆきました」と表現
p.98 「中国大陸での戦争に最も強く反対したのは、陸軍参謀本部 p.104 馬場
-
-
旅資料 安田純平『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』集英社新書
p.254「戦火のイラクに滞在し、現地の人々の置かれた状況を考えれば自分の拘束などどういうことでも
-
-
若者の課外旅行離れは本当か?観光学術学会論文の評価に疑問を呈す
「若者の海外旅行離れ」を読み解く:観光行動論からのアプローチ』という法律文化社から出版された書籍が
-
-
ヘンリーSストークス『英国人記者からみた連合国先勝史観の虚妄』2013年祥伝社
2016年10月19,20日に、父親の遺骨を浄土真宗高田派の総本山専修寺(せんじゅじ)に納骨をするた
-
-
「東日本大震災復興に高台造成はやはり必要なかった」原田 泰
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/22460?utm_sou