「 戦跡観光 」 一覧
◎◎3 戦争、観光、メディア~戦争も観光資源へのパスポート~
2015/11/18 | 戦跡観光
戦争・戦闘はメディアが好んで取り上げる。メディアは刺激を基本とするからである。観光を論じる意義とその定義(Significance and its definition to discuss tou
◎◎4 人流・観光資源としての歴史認識
2015/11/18 | 戦跡観光
モンゴル観光の最大記憶資源であるチンギスハーンは現在世界史の上においてもっとも有名な人物の一人でもある。しかしモンゴルにおいて、庶民がその存在を再認識するのは社会主義時代になってからであった。歴史は
◎◎5 戦争裁判の観光資源化~東京裁判とニュルンベルグ裁判比較~
2015/11/17 | 戦跡観光
ニュルンベルク・フュルト地方裁判所600号陪審法廷は、ニュルンベルグ裁判が開催された法廷として資料も展示物も、観光資源化されている。評価をめぐり先鋭化していないのはドイツ国家の方針が功を奏して国際関係
◎◎2脳への刺激(脳波信号解析)と観光~「ダーク・ツーリズム」批判~
2015/11/17 | 戦跡観光
脳波信号解析研究の結果、人間の脳波の周波数はほぼ0~30ヘルツの領域に収まり、その周波数の組み合わせで、その時の気持ちや心理をより正確に把握でき、より深く人間が理解できるようになってきている。「好き
東アジア観光(文化)を論じる際の共通基盤(漢字、儒教、道教、仏教、律令、科挙等)
2015/11/15 | 戦跡観光
○ 東アジア圏の観光を論じる背景(漢字、儒教、道教、仏教、律令、科挙等) 観光研究のテーマとして、日中韓にモンゴル、ベトナム等を加えた東アジアの人流・観光を論じてみたいと思っている。日本と中国、韓
東アジア人流観光論の骨格(人口と人流)
2015/11/15 | 戦跡観光
○東アジアの人流を考える場合に、まずその地域の定住人口の推移を把握しておく必要がある。私は定住人口の時間的推移を人流の縦軸と呼んでいる。同時代の人口の空間的移動を人流の横軸とよんでいる。研究者は奴隷貿
戦前に観光が展開された時の日本の状況
2015/11/15 | 戦跡観光
日本の学会では1920年代の国際秩序をワシントン体制という概念で論じることが通例。1931年の満州事変で崩壊した。国際観光局はそのような局面で設置された ○戦争賠償金と観光資源 1930年代は日
『満州鉄道 まぼろし旅行』川村湊2002年文芸春秋
資料を活用したよくできたわかりやすい著作物。小学6年生のサツキくんと小学4年生のヤヨイちゃんをつれて道案内をする仮想旅行。大連からハルピン、ノモンハンまでを日本人観光客に説明するにはこれが一番わかりや
戦時下の民生のイメージ:『戦時下の日本映画』古川隆久 吉川弘文堂 2003年
2015/11/06 | 戦跡観光
観光も戦時下において隆盛になった。満州観光や神社巡りが奨励された。戦争の勃発と同時に大人の映画観客が増加した。盧溝橋事件は最初ニュース映画で話題になったが、一段落するとニュース映画も下火になった。国策
グアム・沖縄の戦跡観光論:『グアムと日本人』山口誠 岩波新書2007年を読んで考えること
2015/11/06 | 戦跡観光
沖縄にしろ、グアム・サイパンにしろ、その地理的関係から軍事拠点としての重要性が現代社会においては認められる(サイパン陥落は東條内閣辞職原因になったくらいであり、沖縄基地問題は現在でも日米関係の歴代内閣