2-⑦ 2018年9月19日 ウズベキスタン・サマルカンド見学
鉄道駅を間違え相乗りタクシにてサマルカンドに向かう。
朝食をとり、モタモタしているうちにギリギリに駅に着いた。切符を見せると南駅だといわれる。ユージュニーバクザル、すっかりロシア語を忘れた罰である。ユジノサハリンスクは南のサハリンということを思い出した。中央駅に近くないのだから、マラカンダパレスホテルを選んだ理由がなくなる。エージェントの切符もよく見るとサウスステーションとかいてあるが、ガイドブックをよく読んで駅のことも調べて置くべきだった。昨日の中央駅に来ているのだから、係員に見せて聞いておくべきだったが、さぼってしまっていたのが間違いであった。空港の場合は、ドバイで間違いをした経験があるが、事前に調べて時間的余裕があったので全く問題がなかったが、鉄道駅もロンドンなどと同じように、キチンと認識すべきなのだろう。まだまだ修行がたりないのだ。しかし、宿の選択にも影響するので、慎重にしなければならない。
駅員に南駅までタクシーで五分と言われた。これから拾っていてはまにあわないが、取り敢えず近寄ってきたタクシーにのる。南駅まで行く途中、このままタクシーで行くつもりになり、交渉。15000でまとまったつもりになる。18ドル程度で、列車のビジネスより安い。おかしなものだ。到着時刻はまだわからないが五時間くらいか。と思っていると、溜まり場につき人がのりこんで来そうになり、驚いてダメという。運転手は相乗り客をつかまえにきていたのか。そうすると、運転手仲間から周りで十ドルの声、最初のタクシーが法外だとわかり、タクシーをおり、声をかけて来た相乗りタクシーにする。助手席の相乗りは断る。最初のタクシー運転手がしつこく迫るので仕方なく10000ルーブルを支払った上にあと5000を支払ってやる。法外ではあるが。
そうすると、切符を手配してくれた会社が言う空港からホテルタクシー五ドルはたかいと思われる。
サマルカンドまでの途中スイカなどの野天市場に立ち寄る。ハミウリ?なのか、うまそう。兎に角平原は広い。相乗り客の一人がサマルカンド近郊の自宅でおりる。ハミウリを運ばなければならず、自宅前までになった。次にバスターミナルみたいなところでまた一人降車。私はスマホを見せ、シャーヒービジャル廟群のところでおろしてもらう。
さあ、交渉だ。料金はドル建て。十ドル札があれば文句なしだが、二十ドル札しかない。釣りなど持っていないだろう。ウズベキスタンホテルの両替レートは1ドル8000であるから、計算しておまけをつけ、85000あげたらまだたりず、あと15000だせという。スマホ電卓で1ドル5000というので、ウズベキスタンホテルの両替のバウチャーを見せ8000だという。以前は実質レートと公式レートがわかれていたが、今は一本化されている。まあ、トラブル回避のため、5000おまけし90000あげた。
サマルカンド観光
廟にはいったのは午後一時前後。鉄道より一時間遅れ。相乗りタクシーの旅はなかなかできないから、良い経験。廟の青は見事。廟なので、周りにお墓がある。お墓は故人の写真が墓石に彫り込まれている。偶像禁止はここまでには及んでいないようだ。モスクの天井モザイク画を撮影するため、スマホをタイルに置き撮影する人がいた。タイマーをかければできる。
砂の広場という意味のレギスタン広場でウェディングドレスを着て写真撮影している者がいた。こんなところからもイスラム教の風習は崩れるのかもしれない。もっとも神前結婚は大正天皇以降であるから、崩れる以前に確立もしていなかった。広場には神学校が三つ立っているという。
駅までの帰り道。歩いて一時間。覚悟してあるいていたら、路面電車がくる。Googlemapにはでていなかった。慌ててとびのると、車掌がいる。ジェームズン張りの髪型の若いティーシャツを着た男性である。人なつこい。指に札束をはさみ集金。1200の均一料金である。予定より早く駅に着きすぎたが、ギリギリで駅が違うようなことは避けなければならない。最初は閑散としていた駅も、だんだんひとがあつまる。
エージェントが買いそびれたという一本前の優等列車に乗る観光客が集まりだした。有力エージェントが先に買い占めていたのかもしれない。サマルカンドはまだまだ団体旅行の観光地。観光客に子供や若者は挨拶してくる、ハローが中心でニイハオはなかった。
二十ドルの両替サマルカンドルーブルも、少なくなってきた。南駅からホテルと、明日の空港用のタクシー代をどのくらいのこすのか。朝のドライバーは南駅までの言い値は10000、6000であったから、その倍準備しておけば良いだろうと思った。
エージェントに鉄道代金として、5ドルのタクシー代と手数料15ドル込みで70ドル、ホテルに116$。両替した現金が20ドル。タシケントからサマルカンドまでのタクシー代も内数である。これがウズベキスタンで私が落としたお金である。少ないと思うが、解体物や食べたいものがなかった。モスクワで有名Uzbekistan料理を食べてきたからだ。
帰路の鉄道
列車は本数が少ないのか、ファーストでも満席。値段だけのアコモデーションである。しかし、モロッコの一等と違い、窓ガラスは綺麗であった。テレビも前後についていたが、一台は故障。となりのコンパートメントは2台とも映っていたようだ。4人掛けコンパートメントでは、中学生くらいの女の子をつれたロシア人親子3人と一緒になった。奥さんらしき女性は愛想がよく、リンゴとブドウをすすめてくれた。悪いのでブドウを一粒いただいた。
夜10時に到着、南駅からは徒歩でホテルに帰る。夜道なのでスマホ地図の感じとかなり異なり、1時間半以上かかってしまった。流石にくたびれた。
https://photos.google.com/share/AF1QipMv2bNClRU7H6sHX5gdHV5lo-GRgFQEGZv8-HnEU8oCia1EpvuekWK4Pt320jI1Aw?key=V21tdjVRSGJtTjNGTkl2eEZGLWtnbVNPeTE0TGlB
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