福間良明著『「戦跡」の戦後史』岩波現代全書2015年を読んで
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最終更新日:2023/05/28
戦跡観光
観光資源論をまとめるにあたって、改めて戦跡観光を考えていたが、偶然麻布図書館で福間良明氏の『戦跡の戦後史』見つけて一気に読破した。
「人流・観光論としての記録・記憶遺産(歴史認識)論議・序論」 http://www.jinryu.jp/category/study/treatise/page/2
でも記述したように、戦跡観光も後からというより、今作られるものであることが本書でも記述されている。
『「戦跡」の戦後史』は原爆ドームをはじめ、沖縄の摩文仁戦跡、鹿児島の知覧・特攻戦跡について、今日のように多くの人が訪れる聖域になるまでの歴史を丹念に検証した労作である。知覧については私の認識には初めて入ってきたものであり、興味をもって読んだ。陸軍の特攻基地であった知覧の特攻遺品館に、海軍機零戦が展示されていることなど、刺激を求める観光資源としてみれば当然のことなのだが、こだわりのある者には大きな問題である。摩文仁がシンボリックな場となり、「六・二三」が記念日として発見されるに至ったことも当然であろう。
本書では、「それぞれの戦跡において、遺構とモニュメントはどのように創られ、いかにして真正さが見出されたのか。遺構とモニュメントのあいだには、どのような齟齬が見られたのか」、「これらの問いを念頭に置きながら、戦後日本の主要戦跡を見渡し、それが戦跡としていかに発見(もしくは忘却)されたのか、その社会背景はいかなるものであったのかについて、考えて」いる。
「立場や背景が異なれば、また異なる「正しさ」が紡がれるものである。そして、「正しさ」をぶつけ合ったところで、往々にして議論はかみ合わず、批判が相手に届くことは少ない。相手に届く批判を構想するのであれば、相手がなぜ、そのような「正しさ」に依拠しようとするのか、その磁場を問うてこそ、はじめて、議論や批判のあり方を考えることが可能になる」。議論の出発はことなるものの私の発想と同じである。
○世界遺産に登録されている広島の原爆ドームは、被爆の惨禍を今に伝え、核兵器の廃絶と人類の平和を願うシンボルであるが、敗戦後しばらくの間は、むしろ撤去の対象とされ、地元紙は「都市のドまん中に放置したまま足かけ四年-自分のアバタ面を世界に誇示して同情を引こうとする貧乏根性を広島市民はもはや精算しなければいけない」と書いている。広島大学学長の森戸辰男も「とにかく過去を省みないでいい平和の殿堂をつくる方に〕中略。〔残す必要はないと思います〕と語っていた(一九五一年八月六日中国新聞)。同じ現象はユダヤ人強制収容所でも伝えられている。
広島について、福間良明は『焦土の記憶』(2011年)のなかで、被爆一年後に開かれた平和復興祭でブラスバンドや花電車が市内を巡回し、演芸大会まで催された様子を詳しく紹介している。この両書から教えられるのは、現在の常識で過去を見てはいけないということである。原水爆禁止運動などを背景に、原爆ドームの保存運動が活発化するのは一九六〇年代になってからであることは研究者の間では広く認識されていることである。倒壊を目前にしたドームの補修工事は六七年に完了する。
○沖縄の摩文仁丘には多数の慰霊塔があり、都道府県別に戦没者が祀られているが、沖縄で亡くなった人の数はわずかで、南方戦線での戦没者が圧倒的に多い。調べていくと、祖国復帰運動が盛り上がるなかで次々に塔が建てられ、戦跡観光が加速していった歴史が見えてきている。まさに「戦跡とはそこにあるものではなく、創られるもの」なのである。
沖縄県当局は本土各地の慰霊塔が林立する戦跡地を積極的に打ち出す姿勢を打ち出した。面倒な渡航手続きとドル使用により、本土観光客は海外旅行気分になっていたが、この買い物観光への打撃が予想されたからである。1964年の海外渡航自由化がこうした状況を後押している。遺族たちは巡礼だけではなく、廉価な外国産商品を買いあさる観光客でもあったのである(沖縄観光協会編・発行『沖縄観光十年史』1964年「沖縄観光座談会」1963年6月1日実施の記録)
○昭和三十七年八月十六日NHKが遺族「知覧基地の特攻隊員を主題としたテレビドラマを放映したことがきっかけで戦跡観光地化していった。
福間は知覧について「「特攻」はいつから「地域の記憶」として発見されたのか。そして、地域の戦争体験でもないものが、なぜ戦跡観光の核として見出されたのか」、「これらの問題意識のもと、知覧戦後史を見渡し、「特攻」の戦跡が創られるプロセスについて考察し」、つぎのようにまとめている。「知覧の公的言説においては、地域に固有の戦争体験は後景化し、それを上書きするかのように、元飛行兵たち(戦友会)の記憶、ひいてはナショナルな知覧イメージが、再生産されることになった」。「「継承」されているものは、多くの場合、幾多の忘却を経たあとの残滓(ざんし)でしかない。顧みるべきは、その残滓なのか、それとも忘却されてきたものなのか。特攻観音をはじめとした知覧のモニュメントの戦後史は、こうした問いを現代に投げかけている」。
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