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海外旅行の情報入手手段(米国と中国)

ネット社会であり、旅行業も変わってきているというが、米国商務省資料によれば、米国居住者はネット以上にエアライン情報を活用(52%)している。日本でいえばJRの情報を活用しているようなものである。それだけ航空が身近なのである。むしろネット活用は中国人の方が進んでいる。訪日中国人の半数がシートリップのサービスを利用しているとされ、中国語版は、中国本土における旅行商品予約を中心に、伸張する中国人の海外旅行需要に対応し、世界各地域への航空券やホテルの予約など、機能拡大がなされている。日本のホテルに関して、「中国人に優しい」レベルを表す「華」マークを付けるなど、中国人に対する情報提供が行われている。2015年8月、日本のレストラン予約に関して一休と提携、シートリップ中国語版から一休提供のプランを予約可能とするサービスを開始している。

https://www.travelvoice.jp/20150929-50199
中国人旅行客の国内旅行、海外旅行を中心に事業を展開するシートリップ(Ctrip)は1999年設立の中国最大手のオンライン旅行会社(OTA)だ。2014年5月には「Ctrip Japan」を設立し、日本にオフィスを構えた。日本を訪れる中国人旅行客が爆発的に増えるなか、同社サイト上での日本のホテル予約も急速に拡大している。
Ctripを利用する中国人旅行者に人気のエリアは新宿と池袋。「両エリアは中国での露出が多く、宿泊だけでなく、ショッピングやお食事などを楽しむ目的で訪れる方も多い」とCtrip Japanホテル事業部マーケットマネージャーの張ウェンウェン氏はその理由を話す。

「中国は見栄の世界。人気の場所や良い商品を、せっかくの旅行の機会に誰もが楽しみたいという心理から特定の場所に集中しがち」というのはホテル事業部統括の林一周氏の見解だ。必然的にCtripと契約しているホテルも、両エリアに多くなることになる。

しかし、最近では訪日市場が急拡大し、国内旅行との競合もあるなか、ホテルの仕入れは以前よりも厳しくなってきている。「お付き合いの長いホテルは大丈夫だが、今後は客室の買取りも対策の1つとして考えていかなければならないだろう」と張氏は話す。

需要の高まりを受け、宿泊エリアの分散化も課題だが、「優先順位からすると、まず人気エリアのホテルを契約し、中国人のお客様のニーズに答えていくことが大切」(林氏)だという。「訪日中国人観光客の滞在日数には限りがある。東京で平均2、3泊だが、定番エリア以外での宿泊はなかなか増えない」のが現状のようだ。

日本の観光施策は、外国人観光客を地方に分散させることが叫ばれているが、こうした中国人観光客のニーズも知る必要がある。

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