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福田村事件 霧社事件

福田村事件(ふくだむらじけん)は、1923年9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安[2]の中で、香川県からの薬の行商団15名が千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)三ツ堀で地元の自警団に暴行され、9名が殺害された事件である[3][4]

判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが[9]、あとの7名には大審院懲役3年から10年の実刑判決が出された。しかし、受刑者全員が、確定判決から2年5か月後、昭和天皇即位による恩赦で釈放された[12]。「中心人物の一人は、出所後、(田中村)村長になり、(柏市に)合併後は市議も務めた」と四国新聞は報じている[13]

事件の詳細は今なお明らかではないが、「行商団一行の話す方言讃岐弁)が千葉県の人には聞き慣れずほとんど理解できなかった」「千葉県の人との意思疎通の際に話す標準語も発音に訛りがあり流暢でなかった」などを理由に朝鮮人と見なされ、一連の事件が起こった[14]と言われている。当時22歳で生き残った行商団員が残した手記や、当時14歳の行商団員の証言でも、地元の船頭との言い争いの中で「どうもお前の言葉は変だ、朝鮮人と違うのか」と言われて自警団が集まってきたことは間違いないようだ[9]

その背景には、事件の4年前、1919年三・一運動など朝鮮の独立を求める運動が盛り上がったことがあり、朝鮮人は日本の言うことを聞かない「不逞の輩」として日本全土で官民による差別や弾圧が強まっていた[15]。また、戦後、法務省が刊行した『関東大震災と治安回顧』[16]では「数百名の村民は忽ち武器を手にして」「殺到し、売薬行商団を包囲し、『朝鮮人を打ち殺せ』と喧囂(けんごう)し、行商団員が百方言葉を尽くして『日本人である』と弁解したにも拘らず」「平静を失った群衆は」「荒縄で縛り上げ」「鳶口(とびくち)、棍棒を振って殴打暴行し、遂には『利根川に投げ込んで仕舞え』と怒号し」などと描写されている[9]

さらに関東大震災の当日・翌日には、関東各地の警察が「朝鮮人に気をつけよ」「夜襲がある」などと官の側から流言蜚語をまき散らしたとされる[15]結果、福田村周辺の自警団も「異常な事態に興奮状態にあった[7]」という。

当時の防犯ポスターには「あやしい行商人を見たら警察へ連絡せよ・千葉県警」と書かれているものもあり、貧しそうな行商人に対する蔑視や差別の構造もあったと考えられる。虐殺に走った自警団員の中に「どうせ、どこから来たのかも知れぬ行商人ではないか」という意識が働いた者もいたであろう[9]

事件後[編集]

戦後もずっと事件は闇に葬られていたが、1979年に事件の遺族らから「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼実行委員会」などに連絡があり、事件の現地調査が始められた。1983年には、平形千恵子(千葉県歴史教育者協議会)から香川県歴史教育者協議会の石井雍大に情報が伝えられ、共同調査や香川県での聞き取り調査[17]が進んでいき、1980年代後半からやっと新聞などでも取り上げられるようになった[18]

2000年3月には香川県で「千葉福田村事件真相調査会」が設立され、同年7月には千葉県「福田村事件を心に刻む会」が設立された[13]。「福田村事件を心に刻む会」の設立総会では、事件当時5歳で戦後に福田村村長になった(後に野田市長にもなった)新村勝雄が「個人としてですが、被害に遭われた香川の方々に心からおわび申し上げます。事件の真相究明は今を生きる私たちの役目。地元の一人として最大限の努力をしたい[13]」と声を震わせながら語った。同年9月には「福田村事件犠牲者追悼式」が現地で行われた。

2001年には「福田村事件追悼碑建立基金の募集」が始まり、2003年には犠牲者の追悼慰霊碑が野田市三ツ堀の円福寺大利根霊園に建立された[19][12]。ただ、追悼慰霊碑の背面には「本碑ヲ以テ慰霊ノ場トシ幽魂ノ墓ヲ兼ネルモノ也」として犠牲者の名前は刻まれているが、犠牲者らがなぜ殺されたかがわかる説明は書かれていない[9]。このように、個人の墓を兼ねるものであることから、一般の個人の墓碑と同様、建立者と関係者の同意のない写真等の公開による人権上の問題が発生する懸念があり、大利根霊園は2022年8月に撮影を禁じる看板を設置している。

2022年9月6日、犠牲者を追悼する式典が野田市で開かれた[20]

2023年6月20日、野田市の鈴木有市長は市議会一般質問の答弁で、事件が100周年となることについて触れ「被害に遭った人たちに謹んで哀悼の誠をささげたい」と弔意を示した。同市が公式の場で事件の被害者に対して哀悼の意を表したのは初めてであった[21]

霧社事件

1930年、日本植民地支配下の台湾で、開発の手が内陸高地に及んで生活を圧迫された原住民が反発して蜂起し、日本人を殺害した事件。 蜂起は山岳地帯に広がったが、台湾総督府が日本軍を出動させて鎮圧した。 日本の植民地統治に大きな衝撃を与えた。
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