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「 シニアバックパッカーの旅 」 一覧

🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1988年~1989年 サービス貿易の自由化 フランス(12か国目)スイス(13か国目)カナダ(国旗15か国目) ⑺カリフォルニア州サンフランシスコ

在職中に、サービス貿易の自由化会議に2度参加。ジュネーブとモントリオール。英語を聞き取る力もなく、また内容も複雑で日本語でもわからないことが多く困った。幸い、国際会議は発言者のペーパーが配られるので、

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1989年 インドネシア(国連加盟国11か国目 )ODAと人流

https://youtu.be/kGzLv8ME2V0 国際協力行政   JICAという存在は聞いていても、その役割はあまり認識していなかった。たまたま広尾の公務員宿舎に住んでい

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1987年 テンミリオン計画作成 タイ、ネパール(国連加盟国10か国目)、香港、中国・⑷北京

◎日本人海外旅行者倍増計画 テンミリオン計画 秘話 1987年4月に東京に戻り、国際運輸・観光局に配属になった。国際渉外官という肩書、寺島審議官からリダンダントな名前だといわれる。渉外には国債の意味

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1986年 マカオ(中国⑶)(特別自治区🏳‍🌈❸) ジェットフォイル用暗視装置の視察

1986年1月神戸海運監理部運航部長から四国運輸局企画部長に移動 1987年3月まで 四国のすべての鉄道及び旅客船を体験 86年1月から3月までは神戸に家族が残り、高松へ単身赴任。毎週加藤汽船のグレー

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1985年 関釜フェリーで韓国(国連加盟国9か国目)釜山へ

神戸海運監理部時代、神戸港を起点とする超短期航路が数多く存在し、大鳴門橋架橋による航路調整の必要性から、大阪湾の航路はすべて乗船することとなった。また瀬戸内海航路もその大半を乗船した。 神戸へ引越直

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1983年 シンガポール(国連加盟国7か国目)マレーシア(国連加盟国8か国目)タイ

官房副政策計画官(物流)時代に、のちに運輸事務次官を務められた梅崎海洋課長とともに、ESCAPの会議への参加が命じられた。当時のアセアン諸国等の国際力の水準から、さほど重要視されていない会議だったから

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🌍🎒シニアバックパッカーのへ道 1981年 米国⑵ニューヨーク、⑶ワシントン ⑷バージニア州ウィリアムスバーグ、⑸イリノイ州シカゴ、⑹ハワイ州ホノルル

1980年情報管理部内で、調査企画課から情報処理課に移動。日本電電公社からの出向者、松原(技術)、名和(事務)両氏に助けられ、下記文書を作成。その時の知識が、副政策計画官時代に、電気通信の自由化を巡る

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1978年12月 新婚旅行 英国(国連加盟国4か国目)、アイスランド(国連加盟国5か国目) 米国(国連加盟国6か国目)(⑴アラスカ州アンカレッジ)

1978年12月9日に神田の学士会館で結婚式を挙げ、東京プリンスホテルに宿泊し、新婚旅行に叔母夫妻がいるロンドンに出かけた。その機会に、めったに行けないと思っていたアイスランドにも足を延ばした。現在は

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1977年(大阪陸運局時代)、2005年(パナウェイ棚田)、2017年(ライドシェア、スラム観光)フィリピン(国連加盟国3か国目)

1977年4月鉄道監督局から大阪陸運局総務部企画課長に赴任した。鉄道監督局時代は、国鉄全線乗車券、当時青パスと呼ばれるものがあり、鉄道監督局職員も出張等で使用できた。グリーン車に乗れるから、安サラリー

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1973年 タイ(国連加盟国2か国目)

運輸省勤務時代 役所からの出張は、公用旅券又は外交旅券が必要であり、公務員の私的な旅行は、所属役所の許可が必要とされていた。しかし、その許可に関する法的根拠がないことは、テンミリオン計画作成時に認識す

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