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言語が違えば、世界も違って見えるわけ (ハヤカワ文庫)amazon書評

 

19世紀に成立した近代言語学は、成立当初から時代思潮と密に連動した言語哲学の影響を受けてきたそうです。即ち19世紀中盤には言語有機体説(言語は成長発展衰退死滅する植物のメタファーに影響を受けた思想)という一種ロマン主義的な言語哲学が支配的で、その後社会科学の勃興によりその方法論に影響を受け、言語の一般法則を追求する青年文法学派と、個別の言語の歴史的変化を重視する歴史主義の対立を経てきたそうです(このあたりは風間喜代三著『言語学の誕生』が入門書として有用)。19世紀言語学はドイツが中心で展開しましたが、20世紀に入るとフランスと米国に重心が移動したそうです(加賀野井秀一著『20世紀言語学入門』)。そのアメリカでは20世紀中盤、言語相対論(サビア=ウォーフ仮説)と言語生得説の激しい対立がありました。極論すると前者は言語は成長するにつれ学習して獲得され、言語が思考に影響するとし、後者は、言語は遺伝子的に決められているホモ・サピエンスにとって普遍的なものとする(生成文法のチョムスキーなど)、言語哲学です。1969年バーリン&ケイの研究で20世紀中盤支配的だった言語相対論に疑問がもたれ、1994年、チョムスキー言語哲学に拠ったポピュラーサイセンスの書であるスティーブン・ピンカー『言語を生みだす本能』が出るに及んで言語生得説が支配的となったものの、21世紀の認知科学研究も紹介しつつ、ピンカーがいう程言語は思考に影響を及ぼさないわけではない、との内容を一般向けに紹介したのが本書、という位置づけになるようです(著者はp262-3で、「2007年の著書『思考する言語』のなかでピンカーは(略)言語が思考に及ぼす影響のうち残ったものはどれも平凡で、セクシーさがなく、退屈で、くだらなくさえある、と書いている(略)が、退屈で平凡でくだらないものでもないことを(略)お見せしたい」と書いています)。

言語論の位置づけ的には、本書は、今井むつみ『ことばと思考』(2010年)に一部研究史をつけて読物的要素を前面に出した感じの書籍となっています。以下目次です。

プロローグ 言語と文化、思考(17)

第I部 言語は鏡
第1章 虹の名前 ~ホメロスの描く空が青くないわけ(56)
第2章 真っ赤なニシンを追いかけて ~自然と文化の戦い(82)
第3章 異境に住む未開の人々 ~未開社会の色の認知からわかること(109)
第4章 われらの事どもをわれらよりまえに語った者  ~なぜ「黒・白、赤…」の順に色名が生まれるのか(140)
第5章 プラトンとマケドニアの豚飼い ~単純な社会ほど複雑な語構造を持つ(171)

第II部 言語はレンズ

第6章 ウォーフからヤーコブソンへ ~言語の限界は世界の限界か(218)
第7章 日が東から昇らないところ ~前後左右ではなく東西南北で伝えるひとびとの心(264)
第8章 女性名詞の「スプーン」は女らしい? ~言語の性別は思考にどう影響するか(319)
第9章 ロシア語の青 ~言語が変われば、見る空の色も変わるわけ(357)

エピローグ われらが無知を許したまえ(381)
謝辞(391)解説/今井むつみ(393)図版クレジット(405)補遺(406)参考文献(414)原注(436)
※解説は文庫版の追加
※補遺の題名「色:私たちの眼の仕組み」(4色型色覚などの話)

本書は最新のサイエンスをわかり易く解説するポピュラーサイエンスの読物なので、馴染のない読者にも楽しく読めるように、冗長な内容となっています。他のレビューに「たった一文で済む」「冗長な著述スタイル 」「正味20ページほどの内容」との指摘が出てくるのは、最新の学術成果だけを簡潔に知りたい方の場合です。このような、認知言語学&認知心理学&脳科学にまたがる分野の最新学術情報だけを端的に知りたい方については、本書が出版された同じ年(原著2010年)の出版である今井むつみ『ことばと思考』の方が向いているのではないかと思います。

本書は単に一般読者への読みやすさ・読物としての面白さをあえて前面に出した書籍というだけではなく、一部の内容については本書の半分くらいをかけて研究史を語っているところが大きな特徴です。研究史を扱っている1~4章と6章を第I部とし、最新研究紹介である5章及び7章以下を第II部とした方が内容的にはスッキリします。研究史の章は、特に読物として面白く、実質歴史の本を読むようなものなのなので、本書に理系的な内容だけを期待した方は面食らうであろうし、文系的読物に関心のない方は「冗長」とバッサリ切り落とすのも理解できます。しかしその文系的読物が好きな読者にとっては本書はお奨めできる内容となっています。

本書で扱われている「言語が思考に影響を与える」分野は、社会と言語の複雑さの関係(5章)/色彩認識/空間認識(7章)/文法性(8章)の四分野ですが、1-4章が、色彩認識の研究史※だけに当てられているのも本書の大きな特徴の一つです。ここだけで約155頁あり、色彩認識研究の最新内容を紹介する9章及び補遺と併せると約190頁、本文全体の約半分を占めています。この部分は文化人類学における世界認識の相対論や言語相対論の事例解説でよく登場する、異なった言語集団では異なった色の識別をする事例を含む研究史です。6章が、「言語が思考に影響を与える」言語相対論の学説史となっていて、19世紀のフンボルト、20世紀のサピアとウォーフ、ヤコブソンを扱っています。

※色彩認識の研究は、グラッドストンのホメロス研究/1858年(1章)、言語学者ラツァルス・ガイガーの古代文献研究/1869年(2章)、医学者フーゴ・マグナスの色覚進化論/1878年(2章)、実験心理学者ウィリアム・H. リバースの文化人類学調査/1903年(3章)、20世紀の諸研究(文化人類学者ブレント・バーリンと言語学者ポール・ケイの共同研究など)(4章)、というように、歴史文学研究→言語学研究→心理学研究→文化人類学研究→認知科学研究、という具体に、時代が下るにつれてより緻密に、科学的要素が深まる研究へと発展している過程がよくわかります。

このように、研究史の部分と研究紹介の部分が大きく分かれているため、前者に興味のない方は今井むつみ『ことばと思考』にいってしまってもいいかも知れません。私は『ことばと思考』を読んでいたので、本書では読物的な研究史の章含めすべての章が面白く読めました。英国首相のグラッドストンが分厚いホメロス研究の大著(全3巻1700頁越えだそうです)を出していて、その中でホメロスの色彩感覚の探求をしているなどの研究を行い、ホメロスの時代の色彩認識を復元しようとするなど実にエキサイティングな内容で、その後色彩認識の研究は文化人類学研究などへと展開してゆく歴史は結構詳しく書いてあるため、かなりハイテンションとなって読みました。これも『ことばと思考』を先に読んでいたからこそであって、もし読んでなかったら、早く結論を教えてよ!と前半は途中で挫折して第二部に飛んでしまったかも知れません。

非常に多岐にわたる内容が印象に残る書籍でしたが、中でも個人的にもっとも印象に残ったのは色の中心点(フォーカス)という概念です(p152-6)。色の中心点(フォーカス)は言語によって若干異なる、という生得説と相対論の中間に位置する(と本書の段階では考えられる)概念/性質は、歴史像の形成における異なったナラティブによる同一史料・同じ事実の扱いの強弱にも適用できる、認知の性質にも連なる内容であるとの印象を受けました。異なったナラティブの論者は自分達は客観的だと思っているため議論がかみ合わなくなるわけですが、そもそも認知に根差した問題として解明する必要もあるのではないかと思います。人間の認知の性質は、ナラティブの形成に直結する問題である可能性があるため、こうした研究は今後も深まってゆくだろうし、いずれナラティブと認知の関係が認知科学で扱う重要な主題となるような気もします(既にそうなっているかも知れませんが)。今後の展開が非常に楽しみです(なお、ナラティブにおける認知の問題が仮に判明したとして、それでどちらのナラティブがより確実な事実であるかどうかを決定できなくなるわけではないので、この点の留意は必要である)。

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