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「 シニアバックパッカーの旅 」 一覧

🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1996年9月13日~18日 ジューロ宮本敬、義弟・駒谷康文と  ハバロフスク、ユジノサハリンスク

シベリアランドブリッジSLBの創業者であるユーロコンテナサービス株式会社宮本社長の計らいで、義弟の駒谷康文氏と、新潟空港からハバロフスク、ユジノサハリンスクへの旅に同行させてもらった。 ハバロフ

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🗾🎒シニアバックパッカーの旅 1995年 小笠原諸島 父島、母島

父親を誘い、小笠原に行く。片道27時間かかるので、往復1週間みなければならない。先輩に小笠原海運にお願いしてもらって、運賃を半額にしてもらった。目的はバードウッチング、母島でメグロをみる。メジロと違い

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年 国際船舶制度調査➂ ドイツ(国連加盟国21か国目)

国旗は西ドイツ国旗が、ドイツ国旗となる。 キールに上陸し、ハンブルグへ。ハンブルグでは商船三井の支店へ。 ハンブルグは爆撃で消滅、広島といわれている。 ボンでは、運輸省からの出向者の

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年国際船舶制度調査⓶ ノルウェイ(国連加盟国20か国目)

ノルウェイは海運大国。運輸省に調査に行く。戸田さん(参議院議員)が船舶技官時代、アタッシェで出向していた。大使にサーモンをご馳走になり、気軽にノルウェイに来てほしいといわれる。ムンク美術館にゆく。

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年 国際船舶制度調査⓵ スウェーデン(国連加盟国19か国目)

日本でも国際競争力充実のため、国際船舶制度を作成することとなり、海外調査を実施。日本船主協会からは、商船三井が参加。 スウェーデンには、科学技術庁からのアタッシェが対応してくれた。どうもノーベル

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年1月6日~9日 フィージ―(国連加盟国18か国目) 父親と航空会社の招待飛行

駒谷康文氏の友人に、フィージ―航空の日本支店長がいて、招待飛行に誘ってくれた。父親を誘って旅行。現地費用は個人負担。   小笠原 観光協会時代、長田さん御計らい

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1993年 JR東時代 ロシア(国連加盟国17か国目) 松田昌士JR東・副社長随行 モスクワ

橋本内閣時、北方領土の対応振りから、ロシアとの経済協力に政府は極めて消極的であった。その穴を埋めるため、民間企業であるJR東は、ロシア国鉄に経済協力を行うことになった。実際、中古のディーゼル車を寄贈し

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🌍🎒シニアバックパッカーへの道  1992年12月30日~1993年1月3日 JR東時代🏳‍🌈❹サイパン家族4人旅行 JR旅行業の難しさ

◎ビューワールド 窓口販売商品の品揃えのため、JALと提携。当時はANAとは関係が深くなかったが、大学同級生のANA社員の太田君と後に社長にまで出世した伊東さんと山形を旅。伊東さんが社長時代に、全日

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🌍🎒シニアバックバッカーへの道  JR東時代 1992年6月14日~27日 ブラジル(国連加盟国16か国目)

JR東出向中、視察候補地を聞かれ、ためらいもなくブラジルはマナオスと答えた。マナオスは、高校の地理の時間その場所を知った。アメリカ大陸のど真ん中にあるにもかかわらず、海抜が50メートルというのが驚きで

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🌍🎒シニアバックバッカーへの道  1992年6月14日~27日 JR東時代 ⑻ペンシルバニア州アーミッシュ村 ⑼ニュージャージー州アトランティックシティ ⑽マサチューセッツ州ボストン

鉄道空港全線走破を思いつく 航空局経理補給課長からJR東開発事業本部担当部長へ出向 日本の空港は、東京離島、沖縄離島についで、鹿児島離島、長崎離島が多く、これらの離島を制覇すれば、日本の空港制

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