「 シニアバックパッカーの旅 」 一覧
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1999年国土庁 ベルリン ポツダム(旧東ドイツ)ロンドン環状道路
1999/10/04 | シニアバックパッカーの旅
国土庁計画調整局担当審議官時代に、国土計画論につきいろいろ学んだ。ボンには訪問したことがあるが、旧東ドイツには訪問したことがなかった。東西ドイツの統合後に崩壊したベルリンの壁、ブランデンブルグ門、ポツ
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 フランス・ポルトガル(国連加盟国23か国目)(1999年8月22日~29日 国土庁長官随行 )
1999/08/30 | シニアバックパッカーの旅
国土庁長官官房審議官時代に、関谷長官の海外視察の同行をする。関谷勝嗣建設大臣兼国土庁長官は、政治的には運輸族として認識されていたので、運輸省出身の私に同行を命ぜられた。それまで直接の面識はなかったが、
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1997年3月7日~14日 物流企画課長 香港・ベトナム(国連加盟国22か国目)
1997/03/14 | シニアバックパッカーの旅
貨物流通企画課長時代に、ベトナム政府に物流合理化についての講義をするという名目の海外調査が実施され、参加させてもらえた。物流施策大綱を閣議決定した時であったからである。ベトナムへ行く途上、香港にたちよ
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1996年9月13日~18日 ジューロ宮本敬、義弟・駒谷康文と ハバロフスク、ユジノサハリンスク
1996/09/23 | シニアバックパッカーの旅
シベリアランドブリッジSLBの創業者であるユーロコンテナサービス株式会社宮本社長の計らいで、義弟の駒谷康文氏と、新潟空港からハバロフスク、ユジノサハリンスクへの旅に同行させてもらった。 ハバロフ
🗾🎒シニアバックパッカーの旅 1995年 小笠原諸島 父島、母島
1995/05/26 | シニアバックパッカーの旅, 国内観光
父親を誘い、小笠原に行く。片道27時間かかるので、往復1週間みなければならない。先輩に小笠原海運にお願いしてもらって、運賃を半額にしてもらった。目的はバードウッチング、母島でメグロをみる。メジロと違い
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年 国際船舶制度調査➂ ドイツ(国連加盟国21か国目)
1995/05/04 | シニアバックパッカーの旅
国旗は西ドイツ国旗が、ドイツ国旗となる。 キールに上陸し、ハンブルグへ。ハンブルグでは商船三井の支店へ。 ハンブルグは爆撃で消滅、広島といわれている。 ボンでは、運輸省からの出向者の
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年国際船舶制度調査⓶ ノルウェイ(国連加盟国20か国目)
1995/02/03 | シニアバックパッカーの旅
ノルウェイは海運大国。運輸省に調査に行く。戸田さん(参議院議員)が船舶技官時代、アタッシェで出向していた。大使にサーモンをご馳走になり、気軽にノルウェイに来てほしいといわれる。ムンク美術館にゆく。
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年 国際船舶制度調査⓵ スウェーデン(国連加盟国19か国目)
1995/02/03 | シニアバックパッカーの旅
日本でも国際競争力充実のため、国際船舶制度を作成することとなり、海外調査を実施。日本船主協会からは、商船三井が参加。 スウェーデンには、科学技術庁からのアタッシェが対応してくれた。どうもノーベル
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1995年1月6日~9日 フィージ―(国連加盟国18か国目) 父親と航空会社の招待飛行
1995/01/09 | シニアバックパッカーの旅
駒谷康文氏の友人に、フィージ―航空の日本支店長がいて、招待飛行に誘ってくれた。父親を誘って旅行。現地費用は個人負担。 小笠原 観光協会時代、長田さん御計らい
🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1993年 JR東時代 ロシア(国連加盟国17か国目) 松田昌士JR東・副社長随行 モスクワ
1993/02/03 | シニアバックパッカーの旅
橋本内閣時、北方領土の対応振りから、ロシアとの経済協力に政府は極めて消極的であった。その穴を埋めるため、民間企業であるJR東は、ロシア国鉄に経済協力を行うことになった。実際、中古のディーゼル車を寄贈し