動画で考える人流・観光学講義(開志) 2023年11月6日 観光資源⓶
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最終更新日:2023/11/19
動画で考える人流観光学
ガイドブックとしての地理的概念の発生(自然資源も文化資源?)
◎貴族の旅 観光ではない(観光とは大衆化が前提)
古代・中世の片道一週間程度の繰り返される貴族の旅は、沿道に国衙機構が整備され、社会体制が形成されていたから可能であった。十世紀代の熊野詣(Ⓗ和歌山)は、必要物資は京から持ち出され参詣費用にあてられていたが、次第に現地で調達する方式が成立していった(舘野和己・出田和久編『日本古代の交通・交流・情報2』吉川弘文堂)。いずれにしても観光概念は成立しない時代であった。
◎近世の旅
近世に入ると風景の見方に新しい変化が芽生えてきた。客観的な観察や記録に主眼をおいた紀行文の新しい動きが出てきた。同時に十七世紀中頃から旅案内の出版が始まっている。なかでも貝原益軒は早い時点でいくつもの旅行記を表した。柳田國男が、近世の紀行文学におけるこの詩歌美文から風土観察への転換が、十七世紀末の貝原益軒の紀行文から始まると指摘しているのも、このことによる。
十八世紀から十九世紀にかけては、農業生産が拡大し、商品経済が発達し、社会にはゆとりが生まれ始めた。街道は整備され、宿場はにぎわい、社寺参詣、名所遊覧、講中登山などの庶民の旅、学者や武士の採薬登山、蝦夷地と長崎への旅と新しい旅が生まれていた。浅井了意の『東海道名所記』をはじめ、十八世紀後半から十九世紀前半に、ガイドブックの販売部数が増加した。
庶民にとって想像で思い描かれるだけの歌枕が、実際に訪れることの出来る名所になった。そして視覚体験と絵画形式の落差が認識された。山梨俊夫によれば、「真景」とは想像力で作り上げた仮構の山水風景ではなく、絵描きが自分で実際見た、あるいは体験した景観を表す絵という意味が込められている。案内記に描かれた絵は、典型的な視点を選択しているから「仮構」である。旅では新たな発見と先入観の確認という、この相反する二つの事柄が錯綜して起きる。名所旧跡は、その典型的な場となったとする(『風景画考 世界への交感と侵犯〈第三〉風景画の自立と世界の変容』)。このことはテレビの旅行案内で知り得た情報を自分の目で確認する現代と変わりはない。テレビで見た大きさより小さいサイズの場合、意外感に襲われたりもするのである。(宇治の平等院鳳凰堂、モナ・リザ)
西洋において「海洋の風景」が「発見」されたのは十七世紀、
「森林や田園風景」が発見されたのは十八世紀、
山岳地等の「大自然の風景」が発見されたのは十九世紀である。
「落葉広葉樹の自然林や湿原の風景」が発見されたのは二十世紀になってからである。cf 白神山地は国立公園ではなかった
では将来の観光資源は何か? 宇宙、自然現象、歴史認識 教科書第4編第6節
従って十六世紀から十九世紀初めにかけてのオランダ商館員は、瀬戸内海の風景を賞賛することはなかったが、幕末から明治にかけての欧米人は賞賛したのである。欧米人は多島海、湖、河川、海峡といった近代の豊かな地理的概念を自由に駆使して瀬戸内海の風景を捉えた。西田正憲は、この欧米の風景観が日本に浸透し始めるのは二十世紀になる頃であったとする(『瀬戸内海の発見』)。
この点については、ミシママサオは、ヒュースケンの富士山に関する記述と、万延元年遣米使節団一行がサンフランシスコ湾の風景を表現する諸日記の文章を比較して、日本語が一人称の発達を見なかった点を原因としている(『我ら見しままに』)。
旅のガイドブックである紀行文は明治二十年までは具体的風景叙述がなく、江戸期の延長であった。柄谷行人は風景が日本で見出されたのは明治二十年代であるとする(『日本近代文学の起源』)。地理学者であり政治家・志賀重昴の『日本風景論』も明治二十七年に出版された。しかし同時に、他国の風景と比較し日本の風景を優位に置いた内容は、内村鑑三から批判を浴びていた。近年、同書が洋書からの剽窃が多いことの指摘を受け、更には金剛山等を世界に紹介するイサベラバードの著作が広まるにつれ、同書は教科書から削除された。それどころか、「志賀の漢文調は山頂の眺望は表現しえたが、自らが重視した途中の変幻自在な風景を写すには定型的」(『嘘の政治史』五百旗頭薫)とまで評価されている。
地理的概念が豊かになり通用するようになることと、固有名詞が付されるようになることは別問題である。日本航空機墜落事故をきっかけに御巣鷹山が認識されるようになった。全国に膨大な数の名もない山川が存在し、ある時突然観光対象として登場するのである。
◎ 文化とは何か
字句「文化」の概念は変化している。文化文政年間は「武威」に対する言葉であったが、西洋概念の紹介によりcultureの和訳として用いられた。今では観光学科がその中に分類される「文科」系とそれに対する「理科」系という区分にまで波及している。
「文化」財について、学生に授業の初めにいつも次のような質問をする。「全く同じパソコンが二台ある。一台はビル・ゲイツがWINDOWSを開発したときに使用したパソコン、もう一台は寺前教授が使用しているパソコン」、「観光資源としての文化財に該当するのはどのパソコンか」と質問するのである。答えは前者に集中する。次に寺前教授がノーベル賞を受賞したとするとどうかと質問を重ねる。すると、寺前教授のパソコンも観光資源に昇格する。この説明で理解されるように、観光資源としての文化財は「人を移動させる力」の説明をすることですべてが終了してしまう(つまり「観光対象」になる)。この場合観光におけるガイドブックからの情報と同様、ビル・ゲイツもノーベル賞も疑いを発生させない情報として信じられることが前提にあり、宗教における信仰と同じである。
◎文化財とは?
教科書図
桂離宮は?皇室文化財は?
3-2 皇室文化財、信仰対象物と文化観光資源
宮内庁が管理する皇室文化財は、文化財保護法の対象としない戦前からの行政慣行がある。文化財保護法の文化財とすれば、宮内庁管理の皇室財産を文化庁が管理することとなってしまうからである。例外は正倉院の建物である。「古都奈良の文化財」の世界遺産登録の一年前の1997年に「正倉院正倉一棟」を国宝に指定した。これは、世界遺産登録の希望が増加したためユネスコが所在国の法律により保護を受けていることを求めてきたため、それに対応して例外的措置として指定したものである。一種の政治的判断であるが、その後に続く世界遺産の政治問題化の始まりでもあった。皇室財産の代表格である「桂離宮」は簡素美で評価を受けているとされてきた。その簡素美はブルーノ・タウトが発見したとされるが、明治大正期の桂離宮論は、複雑な技巧美をことあげしており、内藤昌・西川猛は『作られた桂離宮神話』において、装飾主義の建築物だとする。東照宮が実構とすれば、桂離宮は実測に通常の三倍の手間がかかる華麗なる虚構に満ちており、いままでのシンプルな構成美という解釈とは全く違うと評する。桂離宮は江戸時代には一宮家の別荘であったものが、明治維新により離宮となり、平安京遷都千百年祭(1895年)以降ガイドブック、案内書で取り上げられるようになった。簡素美というイメージは、時代が支えたからこそ成り立った。昭和初期のモダニズム勃興時期にブルーノ・タウトの「発見」ということで「簡素美」が称えられるようになったとされる。従って井上章一は正直に「なのに、どうして私は、シンプルな構成を感じ取ったのだろう。結局、その頃横行していた桂離宮論の体勢に、順応したのだというしかない」(『つくられた桂離宮神話』)とする。内藤昌・西川猛の判断は、公益財団法人日本交通公社が1999年に発表した全国観光資源台帳において桂離宮を特A級と判断した基準とは明らかに異なる。この全国観光資源台帳にはご本尊等特定宗教団体が信仰の対象とするものがすべて含まれているわけではない。ご本尊等も人を移動させる力はあるが、それを観光資源ととらえるか否かは別の基準であり、何のために観光を論じるのかということになる。
文化観光資源としての贋作、レプリカ等
風景画の変遷はその画家の目の変遷であり、画家の時代の文化の変遷でもある。ジャンルとしての風
景画が独立したのは十七世紀オランダ絵画というのが通説である。
西岡文彦は、ルネッサンス時代は、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Ⓗミラノ)やミケランジェロ(Ⓗバ
チカン)のような画家彫刻家がまだ業者扱いしかされておらず、画商という新ビジネスが誕生したのは、
宗教改革を経過しなければならなかったとする。フランス革命を経て、美術館が誕生したから画商も誕
生したとする(『ピカソは本当に偉いのか?』)。
古代の画家はいわば当時の権力者のお抱え写真家であった。近代絵画は新しく誕生した写真に対抗し
て写実描写を放棄せざるを得なかった。しかし、そのことにより画家の芸術性を高めることとなった。
印象派は「手」の痕跡の強調、後期印象派は「個性」の強調、二十世紀絵画の特色は芸術的な「主義主
張」に特徴がある。カンデンスキー、モンドリアンたちは、色、形で絵画を作り上げることが、現実の
事物を描くより重要と考えたのである。画家たちの危機感は想像を上回るものがあり、ピカソの時代に
至ってなお真剣であった。
画商が誕生すると贋作も誕生した。「レオナルド・ダ・ヴィンチの習作」をめぐってマスコミで取り上
げられたことがある。イタリア文化財保護法が適用されたからといって政府が真作と認めたことにはな
らないようである。贋作とされるこの「レオナルド・ダ・ヴィンチの習作」も話題性があるから観光資
源としての価値はしばらく認められたが、長続きはしなかった。ツーリズム・プラセボ効果には永続性
はないようである。
観光客にとってアルタミラ(Ⓗスペイン)やラスコー(Ⓗ仏国)の壁画は寸分たがわぬレプリカでしか
見ることができない。レプリカであれば、現地に行かなくてもよさそうだが、観光客が押し掛けている。
本物の絵画が観光資源として価値を高める契機は、話題である。葛飾北斎が「日本を代表する芸術家」
扱いされることとなった契機がある。自然にそうなったのではなく、「民衆の生活を描くものとして思想
に合致するイメージを見出した当時の仏国の前衛的批評家たちの戦略」に合致したのであり「西洋であ
れほど人気が出なければ、たくさんいた浮世絵師の比較的有名な一人に過ぎなかった」(西岡文彦前掲
書)。捏造ではないがそこには思惑はある。
◎文化財の普遍性の限界
オバマ大統領は2016年ニューヨークにあるLGBT用のバーであるStonewall Innをアメリカ合衆国
の史跡に指定し、国立公園局が管理することとなった。一時代前の基準では史跡とは判断されなかった
であろう。時代とともに文化財と認識されるものは変化し続ける。
マサチューセッツ州にあるウィリアムズ大学のチャド・トパーズ教授は、データマイニングとクラウ
ドソーシングを使った研究で、米国全土の美術館収蔵品の人口統計的多様性を浮き彫りにしている。米
国に所在する美術館に作品が収蔵されている芸術家には偏りがあることが示され、85%が白人、87%が
男性であった。おそらく他の国でも同じような結果が出るであろう。
🌍🎒 🚖シニアバックパッカーの旅 動画で見る世界人流観光施策風土記 2016年11月4日 チームネクスト合宿 in ニューヨーク 4日目 配車アプリ関係者ヒアリング
◎観光資源として活用される伝統(昨年のテスト出題)、歴史(認識)
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