🌍🎒シニアバックパッカーへの道 1997年3月7日~14日 物流企画課長 香港・ベトナム(国連加盟国22か国目)
1997/03/14 | シニアバックパッカーの旅
貨物流通企画課長時代に、ベトナム政府に物流合理化についての講義をするという名目の海外調査が実施され、参加させてもらえた。物流施策大綱を閣議決定した時であったからである。ベトナムへ行く途上、香港にたちよ

1997/03/14 | シニアバックパッカーの旅
貨物流通企画課長時代に、ベトナム政府に物流合理化についての講義をするという名目の海外調査が実施され、参加させてもらえた。物流施策大綱を閣議決定した時であったからである。ベトナムへ行く途上、香港にたちよ
1996/09/23 | シニアバックパッカーの旅
シベリアランドブリッジSLBの創業者であるユーロコンテナサービス株式会社宮本社長の計らいで、義弟の駒谷康文氏と、新潟空港からハバロフスク、ユジノサハリンスクへの旅に同行させてもらった。 ハバロフ
1995/05/26 | シニアバックパッカーの旅, 国内観光
父親を誘い、小笠原に行く。片道27時間かかるので、往復1週間みなければならない。先輩に小笠原海運にお願いしてもらって、運賃を半額にしてもらった。目的はバードウッチング、母島でメグロをみる。メジロと違い
1995/05/04 | シニアバックパッカーの旅
国旗は西ドイツ国旗が、ドイツ国旗となる。 キールに上陸し、ハンブルグへ。ハンブルグでは商船三井の支店へ。 ハンブルグは爆撃で消滅、広島といわれている。 ボンでは、運輸省からの出向者の
1995/02/03 | シニアバックパッカーの旅
ノルウェイは海運大国。運輸省に調査に行く。戸田さん(参議院議員)が船舶技官時代、アタッシェで出向していた。大使にサーモンをご馳走になり、気軽にノルウェイに来てほしいといわれる。ムンク美術館にゆく。
1995/02/03 | シニアバックパッカーの旅
日本でも国際競争力充実のため、国際船舶制度を作成することとなり、海外調査を実施。日本船主協会からは、商船三井が参加。 スウェーデンには、科学技術庁からのアタッシェが対応してくれた。どうもノーベル
1995/01/09 | シニアバックパッカーの旅
駒谷康文氏の友人に、フィージ―航空の日本支店長がいて、招待飛行に誘ってくれた。父親を誘って旅行。現地費用は個人負担。 小笠原 観光協会時代、長田さん御計らい
1993/02/03 | シニアバックパッカーの旅
橋本内閣時、北方領土の対応振りから、ロシアとの経済協力に政府は極めて消極的であった。その穴を埋めるため、民間企業であるJR東は、ロシア国鉄に経済協力を行うことになった。実際、中古のディーゼル車を寄贈し
1993/01/03 | シニアバックパッカーの旅
◎ビューワールド 窓口販売商品の品揃えのため、JALと提携。当時はANAとは関係が深くなかったが、大学同級生のANA社員の太田君と後に社長にまで出世した伊東さんと山形を旅。伊東さんが社長時代に、全日
1992/06/30 | シニアバックパッカーの旅
JR東出向中、視察候補地を聞かれ、ためらいもなくブラジルはマナオスと答えた。マナオスは、高校の地理の時間その場所を知った。アメリカ大陸のど真ん中にあるにもかかわらず、海抜が50メートルというのが驚きで
アルゼンチンは、2014年1月に国連加盟国58番目の国としてブエノスア
プンタアレナスからウシュアイアまでBIZBUSで移動。8時にPUQを出
旅程作成で、ウシュアイアとプンタアレナスの順序を考えた結果、パスクワか
チリへの訪問は2014年に国連加盟国 として訪問済み。イースタ